蹴球探訪
奇跡の初優勝見えた レスター・岡崎が激白「試合後はいつも悔しい」(4月27日)
【芸能・社会】永六輔さん、7日肺炎で死去 「上を向いて歩こう」など2016年7月12日 紙面から
大ヒット曲「上を向いて歩こう」や「遠くへ行きたい」の作詞、ベストセラー「大往生」の執筆など多彩な活躍で知られる放送タレントの永六輔(えい・ろくすけ、本名永孝雄=えい・たかお)さんが7日午後1時57分、肺炎のため東京都渋谷区の自宅で死去した。83歳。東京都出身。葬儀・告別式は11日、永さんの実家の東京・浅草の最尊寺で近親者で行った。喪主は長女千絵(ちえ)さん。お別れの会を開く予定。 永さんは2010年、パーキンソン病と診断された。その数年前から言葉が不明瞭だとラジオリスナーから指摘されていたが、診断が出た後は投薬治療や鍼治療で、一時は奇跡的な回復を見せていた。 しかし、今年2月に背中の骨の炎症で手術を受け、その後、肺炎を併発。体調不良のため、2月からパーソナリティーを務めていたTBSラジオ「六輔七転八倒九十分」(今年6月末に終了)を休み、自宅で療養していた。 永さんの長女の夫で、事務所の代表を務める永良明さん(59)がこの日、永さんの実家の東京都台東区元浅草の最尊寺で取材陣に応じた。 良明さんによると、永さんの葬儀は11日に同所で身内のみの密葬で営まれた。永さんは亡くなる前日まで会話できる状態で、最期は眠るように息を引き取ったといい、医師とともに親族4、5人でみとったという。 良明さんは「(最期は)穏やかでした。苦しまずに静かな顔でした」と振り返り、「(容体は)もうダメだというより、急な感じでした」と話した。 永さんの所属事務所がこの日、マスコミ各社に送った発表文によると、永さんは番組終了が決まった後もリハビリに務めていたが、「徐々に気管の炎症が収まりにくくなり、肺炎により息を引き取りました」。また、「お医者さまの話では『死因は肺炎としますが、老衰と言ってもいい状況です』というように穏やかな最期でした」と説明した。 6月27日の「六輔七転八倒九十分」の最終回には、永さんの次女のフリーアナウンサー永麻理(54)が出演。マネジャーから「(永さんは)爆睡しています。最終回を拒否しているかのようです」とユーモラスな近況報告があり、黒柳徹子も番組終盤に飛び入り出演した。 PR情報
|