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社長のための「コラム&NEWS」
「歴史の交差点」

第36話 勝算のない戦争に突入したわけ(最終)

日本はなぜ勝算のない戦争に
突入せざるを得なかったのか?


その(5) ~人かシステムか~


 明治憲法体制は、当初からその構造に矛盾を抱えていた。明治憲法は、第十一条で天皇の統帥(軍の指揮命令)大権を、第十二条で軍政(軍に関す る行政事務)大権を定めている。

 一方で、第五五条では「国務各大臣は天皇を補弼(ほひつ)しその責に任ず」と明記している。つまり、国務大臣の輔弼権の及ぶ範囲が政府の権限 と責任において政策決定を行う領域となる。明治憲法はこの輔弼権がどこまで及ぶか、特に統帥大権、軍政大権にまで及ぶかどうかという解釈上の問題を孕んで いるのである。

 少し考えればわかることだが、“統帥権の独立”を強調することは、大きな危険が伴う。統帥権を政府から独立のものとし「国務大臣の輔弼なしで 勝手に行使できる」と解釈してしまうと、統帥事項として軍が独断で行ったことが失敗したときに、軍のトップたる天皇に責任が及んでしまう。

この問題は、終戦まで結局解決が図られることがなく、明治憲法下のシステム上の問題として残った。

 当時も法理論上は天皇機関説が常識とされていた。それによれば、国務大臣の輔弼権は第十一条、第十二条にも及び、具体的な政策決定の責任を負 うのはあくまで政府である。

 昭和天皇自身も「機関説でよいではないか」と述べており、政治決定には直接関与しないよう心がけていた。一方、軍部はことあるごとに「統帥権 に国務大臣の輔弼権は及ばない」という解釈をもって、政府からの独立性を主張してくる。だが明治憲法の制定以降しばらくの間このことは問題とならなかっ た。

 なぜなら、伊藤博文や山県有朋など、いわゆる維新の元勲が“元老”という地位に立ち、政府と軍の関係の調整を行うことで表面化せずに済んでい たからである。

 しかし、元老が次々と鬼籍に入り、最後西園寺公望だけが残った頃になると、この調整システムは働かなくなり、この問題が復活してくる。象徴的 なのは、ロンドン海軍軍縮条約締結の際に起こった「統帥権干犯問題」である。時の浜口雄幸内閣は、国防兵力量の決定(明治憲法第十二条の軍政大権に関係す る)は内閣の輔弼事項であると当然に解釈し、海軍軍令部の反対を押し切ってロンドン条約の締結を行った。

 ところが、その後の国会で、このことが統帥権干犯問題として取り上げられた。ここでは、軍ばかりではなく野党の政友会までもが、浜口首相を攻 撃した。その意味では政党も墓穴を掘ったといえるだろう。結局、浜口首相は東京駅頭で暗殺されることとなる。

 以後、統帥権の問題は政争の具となり、結果として軍部の発言力を高める方向に進んでいく。軍部の中でも、陸軍では宇垣陸相の辞任(1931 年)、海軍ではロンドン条約推進派(いわゆる条約派)の追放(1933年)にみられるように、政党と協力的な人物が排除されていった。

 満州事変はこのような流れの中で起こったし、テロやクーデター未遂事件なども加わって軍の政治への影響力は格段に増した。最後は一国の中に、 政府、陸軍、海軍と3つの政府があるような状況となり、シビリアンコントロールがきかなくなる。

 結果、昭和天皇以下、多くの日本人が望まなかった日米開戦に進まざるを得なくなった。


 以上をみると、明治憲法の条文に制度上の欠陥があったことにより、軍部の暴走は必然だったようにもみえる。すると、どこかの段階で(維新の元 勲がまだ生存しているうちに)、明治憲法を改正し政府と軍の命令系統を一元化すべきだったという議論になろうし、それはその通りだと思う。

確かにシステムは大切である。しかし、制度が悪かったことが全ての原因だろうか?

 私はそれだけでは分析が不十分だと考える。個々の政治決定を下すのは生身の人間であり、その個人が下した判断が歴史に極めて大きな影響をもた らすことも大きい。

 例えば石原完爾という強烈な個性を持った軍人がいなければ、満州事変は起こらなかったであろうし、歴史は全く違った方向になっていただろう。 これまでの連載で見てきた中でも、若槻首相や広田首相の決断次第では、やはり歴史の方向は大きく変わったのである。その意味では日米開戦が歴史の必然とい うわけでもない。

 山本七平氏は名著「空気の研究」にて、日本においてはいったん「空気」による支配が生まれると、論理やデータなどとは無関係な、強力な同調圧 力がかかることを極めて説得的に述べている。おそらくこれまで述べてきた先人達の決断もすべてこのような「空気」の中での苦しい決断だったのであろ う。

そのような状況であっても、「空気」を打ち破って正しい方向の決定を下せるリーダーを育てられるか。この点も仕組みをつくることと同様に大切な ように思われる。


このシリーズ(日本はなぜ勝算のない戦争に突入せざるを得なかったのか?)今回でいったん終了するが、この問いに今時点で答えるとしたら、「シ ステム(仕組み)に欠陥があったことと、「空気」を打ち破って正論を押し通すリーダーがいなかったこと」2点に尽きる。

そして、国家であっても、会社組織であっても、この二つが備わっていれば強い。どちらが欠けてもいけない。私達が、明治維新以来激動をくぐり抜 けてきた先達から学ぶとすれば、この点なのではないだろうか。

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筆者紹介

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講師 佐藤 孝弘

東京財団 研究員・政策プロデューサー

東京大学法学部卒業。経済産業省勤務、日本経営合理化協会勤務を経て、現在、東京財団政策研究部研究員兼プログラム・オフィサーとして公共政策の研究に携る。

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