book「種まく子どもたち――小児がんを体験した7人の物語」の部屋

体験談集「種まく子供たち」単行本・文庫本ヒストリー

1997年9月
18日未明 次男・拓也死去
(多分)11月
体験談集「種まく子供たち」の出版を思いたつ。
7〜8人は執筆メンバーが必要だとアドバイスくださる方が
いて仲間をさがしはじめる。
知り合いに相談するが、手がかりがつかめない。
1998年1月
新聞記事で、西田英史君の「ではまた明日」(草思社)の存在とTVドラマ化を知る。
*西田眞弓さま
すぐに購読して感動。出版社経由で、西田君のお母様に手記をお願いする。
「お気持ちは分かります。お力になれるなら」と手記の執筆にかかってくださる。
この時、引き受けていただかなかったら、たぶん この本が世に出ることはなかったと思う。
2月
がんの子どもを守る会・会報で横浜療育学会開催を知り、出かけてゆき聴講する。
会場に趣旨を書いたチラシを置かせていただく。

3人の体験談発表者の方に手記をお願いする。
*加藤祐子さん
一度は3人共ひきうけてくださるが、いろいろな事情で、最終的
には加藤祐子さんのみ、手作り手記「私の運命」に加筆して送ってくださる。

           
執筆メンバーを探すために色々な団体に参加したり、 テレビ局、新聞社に手紙を出したり、小児ガン関係者の方にお会いするが、断られ続ける。一度お引き受けくださっても後でだめになる。
長野オリンピックで、地雷のために片足となりがら、走り続けるクリス・ムーンさんの姿を見て感激。小児ガンの子どもたちへのメッセージを体験談集にいただけたら・・・と思いたつ。
あちこち電話をして、クリスさんのファックスナンバーを知る。
地元で通訳などのボランティアをしている方たちにお願いして 私の手紙を英訳していただき、イギリスへ送る。
新聞でアメリカのスーザン・ネッシムさんの活動を知る。彼女はがん経験者が、社会で差別を受けないように協力しあう当事者の会を運営していた。
さっそく小児がんの体験を寄せてほしいと手紙を書く。
           
平行して出版社探しもはじめるが、こちらもメンバー探しと同じくらい難航。

ボランティア団体の方、児童文学者の方、知り合いのそのまた知り合いの方が紹介くださった出版社の方、いずれも出版業界の不況や体験談出版の難しさを理由に、あきらめるよう言われる。

やはり、無理なのだろうか・・・・。
何度もあきらめかけては思い直すことのくりかえし。

3月

外国の小児ガン体験者に 協力をお願いするという考えが浮かぶ。
当時、高野山に仏教の勉強に来ていたベルギーの方を知り、本国での体験者を紹介いただけないかと、お願いしてみる。
このことがきっかけで、ベルギーで生と死について 独自の活動をしているパトリック氏と知り合う。

文通を通じて、いろいろな勉強をさせていただいたが、体験談集に参加くださる方は見つからなかった。

4月
拓也の手記を書き始める。体験後日が浅いので、ビデオを巻き戻しては、何度もストップをかけるような重い作業となる。
5月

初七日に届いた一枚の絵はがきがご縁で墨彩詩画作家・ひろはまかずとしさんと知り合う。

     
執筆くださる方が見つからないのでHPを作成し仲間を募ることを思いつく。
長女の全面的な協力で、HP「種まく子供たち」を立ち上げる。

1999年4月
加藤祐子さんのお母様が、清水真帆さんのお父様清水透さんをご紹介くださる。お電話でお願いする。
*清水透さま
辛いので、と一度は断られるが、お引き受けくださる。あきらめていたので、本当にうれしかった。
この後、清水さんには、様々な形で教えをいただく。
5月

瀬尾日東美さんのお母様は、ボランティア団体の長をされていた時に、私の手紙を読んでくださり、体験者のお嬢さんに体験談集参加を勧めてくださったが、当時はその気持ちがないということで、一度は断られていた。
*瀬尾日東美さん
けれど、あれから気持ちが動いてきていると知らせてくださる。
この月、瀬尾さん親子が尼崎に来られるとのことで、出かける。
初めて瀬尾日東美さん、同じく体験者の小俣智子さんにお会いできる。
2人の爽やかな笑顔。どちらも快く引き受けてくださる。

*小俣智子さん

8月
医療古書店パラメディカの星野さんとHPを通じて知り合う。
体験談集を研究する上で本当に助けていただく。
のちに胃ガンの体験者で、そのことをきっかけに「いのちの授業」に取り組む種村さんとのご縁も結んでいただく。
9月

大阪女子大学のF先生(社会心理学)のワークショップに参加させていただく。
拓也の話をさせていただきながら「治してやれなくてごめんね」という気持ちが、母親の一方的な思いではないかと初めて気づく。

拓也が自分で自分の人生を生ききったこと。そのことに敬意を払うべきではないかという気づきを得たことについて、F先生には深く感謝している。

(多分)11月

HP「種まく子供たち」を見て、工藤育ちゃんのお母様が参加を申し出てくださる。
お忙しい中、インターネットを通じて何度も書き直してくださる。


宝塚の小児ガン学会で、子を亡くした当事者として、体験を発表させていただく。 

出版社周辺の方たちに「出版は難しいだろう」といわれた理由のひとつに、「そんな本は世の中にたくさんある」ということがあった。

けれど次男の闘病中、そうした本を書店で見かけることはなかった。
もしかしたら、出版社の方たちの認識と現実との間にはへだたりがあるのではないか。

そしてそのことを理解していただけたら、出版社の方たちのこころを動かすことが出来るかもしれない。そう思いついて、
全国の都道府県から2,3店舗ずつ書店を選び、返信用封筒同封で体験談や、小児がん関係の本が置いてあるかどうかを中心に書店調査を行う。50パーセントの回答をいただく。

ほとんどの書店にそういった本がないことが分かる。

書店調査の結果
(ご協力下さった書店の皆様、本当にありがとうございました)

 

2000年2月

加藤祐子さん死去。(祐子ちゃん、間にあわなくてごめんね ・・・。)

祐子さんのご葬儀からの帰路、種村エイ子さんの「「死」を学ぶ子どもたち」の本を初めて読む。
この本との出会いをきっかけに、「種まく子供たち」の出版に向け、種村さんに大きな助力をいただくことになる。

3月
7人のメンバー全員の手記が手元に届く
4月

医療古書店パラメディカから送っていただいた体験談集を参考(ページ数、行数など)にしてワープロ、パソコンで、完成形に近い見本を何冊も作る。

東京在住のメンバーに見本を何冊か送り、出版社にあたっていただく。

5月
出張で京都へ来ていた種村さんに初めてお会いし「種まく子供たち」の見本をお渡しする。
6月
種村さんを取材に来ていた朝日子ども新聞の記者さんからポプラ社さんへ見本が渡る。
10月

東京のメンバーより、持ち込んだすべての出版社から断られたとの連絡が入る。

インターネットでご協力を申し出てくださった編集の方が、他の児童書の出版社に紹介してくださるが断られる。

私があたった出版社からも断られる。

11月
インターネットでご協力を申し出てくださった別のフリー編集者の方がポプラ社さんと連絡をとってくださる。

このときはじめて、実は6月の時点で社内OKが出ていたことを知る。
いくつもの行き違いで、その嬉しい知らせを知るまでに5ヶ月がかかったことになる。今ではこの本の数多いエピソードのひとつとなった。
これより一気に出版の運びになる。

HPを見た名古屋の小学校より、いのちの授業にぜひ使いたいとの依頼があり、見本原稿をお送りする。

12月
最終執筆者7人が決まり、校正が始まる。
2001年1月

1ヶ月かけ、手記「空いろの種」を納得いくまで書き直す。
私のありのままの気持ちと、等身大の拓也を描こうと努める。

2月
「空いろの種」脱稿。
2000年2月
全本文校正終了。
3月
4日。表紙校正終了。
4月
10日。見本完成。
16日。配本。ポプラ社さんより一刷出版。

18日。朝日新聞、毎日新聞、それぞれ和歌山版で出版のことを大きく取り上げてくださる。

22日。7人の執筆者全員が初めて東京で顔をそろえる。自分たちで手作りの出版記念会を開く。
これまでメールやお電話のみで、お目にかかったことのなかった西田さん、工藤さんとも初めてお会いする。
全員すてきな方たちで、心からねぎらってくださる。今日までの日々を振り返ると感無量。鬼の目に涙。

5月
13日。読売新聞一面「編集手帳」で取り上げていただく。
★偶然母の日。
14日。朝日新聞・家庭欄で取り上げていただく。
★偶然拓也の誕生日。
・5刷がきまる。
・原稿料の一部を巻末団体6社に寄付する。
6月
舞台「友情」(実行委員長・清水透さん)の劇場でも「種まく子供たち」の販売を始める。劇場やイベント用のポスターができる。
7月
10刷が決まる。
8月

18日。日本TV系列「愛は地球を救う」中ドラマ「最後の夏休み」に、加藤祐子さんの体験が原作として使われる。
★原作「私の運命」加藤祐子・出版芸術社 2000年8月出版

★原作「種まく子供たち・ミニバラいろの種」 加藤祐子・ポプラ社 2001・4月〃

9月
18日。拓也五回忌
10月
18日。TBS系列「3年B組金八先生」(第6シリーズ)で体験談集「種まく子供たち」が取り上げられる。
12月
多くの新聞、医療関係の刊行物などで紹介していただく。
TV化などをきっかけに10代の方たちからのお便りが増える。お便りにより、読書会、学芸会、いのちの授業、朝の10分間読書など小・中・高校で、積極的に活用していただいていることを知る。本当に嬉しい。



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                《  ご挨拶  》
          

          おかげさまで36万部を突破しました。

         種をまいてくれた7人の子どもたちへ。

         その種を受けとめ、やさしい花を咲かせてくださっている
         全国の読者の皆さまへ。

         心からお礼申し上げます。
         本当にありがとうございました。

         どうぞ、この本が多くの皆さまに支えられて
         これからも 長く 読み継がれていきますように・・・。

                              2004年12月記

            「種まく子供たち」呼びかけ人・佐藤律子

   

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2006年4月
種まく子どもたち 角川書店さんより文庫版として第一刷出版


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