島健が語る、桑田佳祐が歌謡曲を歌う意義「警鐘を鳴らす意味も」
- インタビュー・テキスト
- 麦倉正樹
- 撮影:永峰拓也 編集:矢島由佳子
2月26日に60歳の誕生日を迎えたサザンオールスターズの桑田佳祐。その還暦を祝うべく、各界の著名人に「桑田佳祐」に対する熱い思いを語ってもらう企画。その第5弾にご登場いただくのは、ストリングスアレンジをはじめとする、サザンオールスターズや桑田佳祐の楽曲、さらにはWOWOW特別番組『桑田佳祐「偉大なる歌謡曲に感謝~東京の唄~」』で演奏された全20曲中18曲のアレンジと演奏を手掛けるなど、桑田とは20年来の付き合いになるというジャズピアニスト / 作・編曲家、島健。
桑田より6歳上であり、サザン以外にも数々のポップソングを手掛けている、J-POP屈指のアレンジャーである彼にとって、桑田佳祐とは、果たしてどのような存在なのか? そして、アレンジの際、桑田とどんな会話を交わしているのか? 出会いから現在へと至るさまざまなエピソードともども、大いに語ってもらった。
どんどん「桑田流のジャズ」というものができていきました。そのときは、「ああ、さすがだな」って思ったし、すごく嬉しかったですね。
―島さんが初めて桑田さんとお仕事をしたのはいつ頃ですか?
島:最初にお仕事をしたのは、1996年の『Act Against AIDS』(以下、『AAA』)でやった『夷撫悶汰(いぶもんた)レイト・ショー』という、桑田さんがジャズのスタンダードばかりを歌ったイベントですね。そのときに、「ジャズならば」ということで僕にお話をいただいて、ピアノを弾かせてもらったのが最初の出会いです。
―実際にお会いする前は、桑田さんにどんなイメージを持っていましたか?
島:それはもう、一般の方々が持っているイメージと同じですよ(笑)。もちろん、デビューの頃から知っていましたし、すごい人だというのは当時から思っていて。だから、『AAA』のお話をいただいたときは、すごく嬉しかったことを覚えています。「おおっ、桑田さんと一緒にできるんだ!」って。
―企画の内容自体もすごかったですよね。イブ・モンタン(1921年にイタリアで生まれ、フランスで活躍したシャンソン歌手 / 俳優)を想起させる謎のシンガー「夷撫悶汰」に扮した桑田さんがジャズを歌うという。
島:そのあたりは、さすが桑田さんですよね(笑)。「夷撫悶汰」というネーミングも、すごく面白いなと思ったし。そのときはジャズのスタンダードナンバーばかりを演奏したんですけど、桑田さんはそれまでジャズのスタンダードを、ほとんど歌ったことがなかったみたいなんです。だから、リハーサルが始まってからも、最初のうちは「いやー、やっぱり難しいなー」って、ちょっと悩んでいたようでした。
―そうだったんですか?
島:きっと最初はいわゆるジャズボーカルというか、オリジナルに近づけようという思いがあったのかもしれません。でも、リハーサルをやっていて、あるときからふっといつもの桑田さんらしい歌になったんですね。そして、そこからどんどん「桑田流のジャズ」というものができていきました。そのときは、「ああ、さすがだな」って思ったし、一緒にやっていてすごく嬉しかったですね。
―そんな過程があったのですね。
島:はい。「桑田流ジャズ」ができあがるまでの過程をずっと見ていて、この人は音楽に対して、ものすごく真摯に取り組む人だし、努力家だし、やっぱりすごいなと思って。それで桑田さんという人の印象が、また一段と高まったというか、非常に好感を持ちました。
プロフィール
- 島健(しま けん)
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ピアニスト、作・編曲家、プロデューサー。1978年に渡米。L.A.にてアレンジを学びながらジャズシーンで活躍。86年に帰国後は、スタジオプレイヤーとして数千曲に及ぶレコーディングに参加する一方、サザンオールスターズ、浜崎あゆみ、中島美嘉、ゴスペラーズ、GLAY、平原綾香、JUJU、森山良子、加藤登紀子など幅広いジャンルのアーティストのアレンジやプロデュースを手掛け、サザンオールスターズ“TSUNAMI”(弦編曲)、浜崎あゆみ“Voyage”(編曲)はレコード大賞を受賞。また、テレビドラマやミュージカル、芝居の作曲、音楽監督など、その活動の範囲は多岐にわたり、ミュージカル『PURE LOVE』の作曲では読売演劇大賞・優秀スタッフ賞を受賞している。最近ではJUJUのジャズアルバム『DELICIOUS』『DELICIOUS 2nd Dish』のサウンドプロデュース、サザンオールスターズ『葡萄』弦・管編曲、ピアノ等を担当。自身のアルバムには『BLUE IN GREEN』『Shimaken Super Sessions』、夫人の島田歌穂とのデュオアルバム『いつか聴いた歌』などがある。