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「勝てていたかも」。20年前、伊達公子は女王グラフを追い詰めた

2016.07.11

  • 長田渚左●文 text by  Osada Nagisa photo by TISCH(takahashi office) 小菅孝●ヘア&メイク hair&make-up by Kosuge Takashi 西尾妹子●スタイリング styling by Nishio Maiko

1996年ウインブルドンで4強に進出。当時を振り返ってくれたクルム伊達公子クルム伊達公子インタビュー(2)

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2016年、今年もウインブルドンでは数々の熱戦が繰り広げられた。日本の錦織圭や土居美咲も健闘したが、ベスト16止まりに終わった。20年前のあの夏、伊達公子は当時、女王として君臨していたシュテフィ・グラフ(ドイツ)と準決勝で対決。いまも語り継がれる2日越しの激闘となった。

――”有明の奇跡”と語り継がれるフェドカップの3時間25分の死闘の2ヵ月後、2日にわたるウインブルドン準決勝がありました。あの日から20年、今も伊達さん、あのままサスペンデッドにならず、試合が続いていたら? と同じ質問をされ続けていませんか?

「96年ウインブルドン準決勝。そうですね。20年も経ちますが、今も(勝利する)可能性は高かったと感じています。

 あの日は朝から雨でした。試合がないかもしれないという感じもあって、のんびり構えていました。ロッカールームで寝たり、状況をチェックしたりという過ごし方をしていました。空を見上げたりもしましたけど、妙なイライラもなかったんです。もう雨も止まないし、試合をやる確率は低いだろうという情報もありました。

 しかし雨が止み、もうひとつの準決勝もスピーディに終わって、急に夜7時半ぐらいから、まだ試合ができる……という見通しになりました。冷静に考えれば、試合を始めても長びけば、日没になって順延になるということも想定できたかもしれない。ただ、夏のヨーロッパは7時、8時でもかなり明るいですからね。実際”日没”と言われた9時ごろでも、あの段階で、ああいう決定になるとは思ってもみませんでした」

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