2016年07月09日

ウォークラフト/汝、星くずの守護者となりて

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こんなカッコいいグリフォンは『シンドバッド黄金の航海』以来だなあとか、ほとんど伝統芸と化したベン・フォスターの転向クンっぷりとか、ぶっ潰してたたっ切る鉈のような重量の白兵戦とか、何だか意外とグルダン嫌いになれないなとか、ローサー(トラヴィス・フィメル)の喰ってる肉おいしそうだなとか、おお、そこで◯◯をぶっ殺しちゃうなんて豪気だな!とか、自家中毒みたいな内省や葛藤でドラマを偽装するよりは、こうやって騎士道の矜持が連れてくるプライドと尊厳の物語にした方が闘わざるをえない者たちの追い風としては健やかだなあとか、そもそもハイ・ファンタジーに現実の反映による共感とか持ち込むのは野暮だろとか、全米がコケた的な喧伝にそれなりの?はついたわけである。とはいえ、あらかじめトリロジーが約束されていたLOTRに比べると、スタートダッシュでタイムを稼いでおかなければ次のランナーにバトンを渡せないという足かせがあったことで少しばかり駆け足が過ぎたのは確かなところだし、特にガローナ(ポーラ・パットン)の人間とオークに引き裂かれた過去の陰影を十分に浸透させないままアゼロス側に寄り添わせたことで、続篇があるならば明らかに彼女が物語の主役を担うであろうことを考えた場合、彼女の苦渋の決断と偽りの女王としての葛藤(おそらくタリアとの対称となるはずである)がそれにふさわしい重荷となるには彫り込みが浅いままであったように思えてしまうのは否めない。そして、精神性も行動もその重荷を受け止めるためにあるのかと思われたデュロタンを退場させたのはシナリオ上のブースターとしては有効ながら、彼とローサーが種族を超えた絆を紡ぐまでには至っていなかったこともあってローサーの仕上がりは一面的なままだし、生き残った者たちが果たしてどれだけの恩讐を紡ぐことができるのかと言うと少々心許ない気がしてしまうのが正直なところなのである。ただ、撮影期間中の監督の父親と妻をめぐるタフなプライベートのことを思うと、絶対的な悪や闇といった存在を手近に置きたくなかったのではなかろうかという推測は可能だし、その細やかで柔らかいあくまでパーソナルな物言いにはブロックバスターで筆が荒れるのではないかという危惧とも無縁だったことに安堵はしているのである。荒んでいるのは生け贄が血を流すストーリーを欲しがってしかたのない客の方なのではなかろうか。
posted by orr_dg at 23:30 | Comment(0) | TrackBack(0) | Movie/Memo | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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