2016年の「保守」運動への注目
2016年に入り、「保守」にこれまでにない注目が集まっている。中心となっているのは、現政権に近く「最大の保守団体」とされる日本会議。火付け役となったのは、菅野完氏のウェブ連載「草の根保守の蠢動」(HARBOR BUSSINESS ONLINE)だ。この連載は現在、新書化(『日本会議の研究』扶桑社新書、2016)され、品切れが相次ぐ話題作となっている。
菅野氏の連載によって、運動体としての日本会議の特徴や、宗教界との関係、その来歴――特に、「生長の家」創設者・谷口雅春の国家観を受け継ぐ一派によって主導されていることなど――が広く知られるところとなった。3月には朝日新聞が、日本会議のこのような背景について3回にわたって特集を組む(「日本会議研究 憲法編 上・中・下」2016年3月23日-25日付)など、政権をとりまく「保守」団体への注目が、日増しに高まっている。
日本会議への注目のほかにも、ここ数年「保守」をかかげる団体や運動についての研究書が何点か刊行されている。地方自治体レベルで活動する「保守」運動の担い手たちを描いた山口智美・斉藤正美・荻上チキ『社会運動のとまどい:フェミニズムの「失われた時代」と草の根保守運動』(勁草書房、2012)、塚田穂高『宗教と社会の転轍点 保守合同と政教一致の宗教社会学』(花伝社、2015)などだ。いずれも豊富な取材やデータに基づいており、21世紀に「保守」を掲げる団体の実情について多くのことを教えてくれる。
現代「保守」言論を論じることの難しさ
しかし、これらの著作が教えてくれることをもとに、読者らがいざ現代「保守」運動について考えてみよう、論じてみようと思っても、特有のやりにくさを感じるのではないだろうか。その原因として、現代「保守」言論が主張する内容が「改憲」「安全保障」「学校教育」「家族観」など多領域にわたる上、主張それぞれがどうつながっているのか、どこを目指して論じられているのか、なじみのない者にはわかりづらいということがある。
例として、2014年2月26日に行われた参議院憲法審査会において、赤池誠章自民党副幹事長(当時)が行った、以下の発言をみてみよう。
BLOGOS編集部「「憲法自体が“憲法違反の存在”」自民党副幹事長・赤池誠章議員による憲法審査会冒頭発言書き起こし」
上の記事で赤池議員は、「自主憲法」を今こそ実現する意義と理由を3点あげている。1点目はいわゆる「押し付け憲法論」である。現行憲法は戦後に連合国総司令部(GHQ)から押し付けられたものであるため、日本国民の自由意思に基づく新しい憲法が必要だとする。2点目は現行憲法の内容に関するもので、まず9条の「戦争放棄」は「アメリカが日本人の無力化を狙って定めたもの」とみなされる。また、伝統ある日本国家は「人工国家」アメリカと違い、「社会契約説」という「フィクション」に基づく憲法はなじまないと、社会科学のスタンダードが根本から拒否される。
さらに唐突(と少なくとも筆者には感じられる)に、「第24条の家族生活における個人の尊重や、両性の平等、27条の勤労の権利及び義務」は「旧ソ連の1936年スターリン憲法に影響」されていると主張され、これが「社会主義者や共産主義者が護憲になる理由」だとされる。3点目として、東アジア近隣諸国とのあいだの緊張関係が強調され、国民が現行憲法下では「自分の家族、地域や国家を守ることができないのではないか」と懸念しているとする。
同記事のコメント欄に表れているように、この種の言説に初めて触れた人は、まずうろたえる。特殊な戦後史認識のもとでの「現行憲法」の見方、「社会契約説」と「伝統」を二者択一にする思考法、現行憲法と「共産主義」を結びつける考え方などは、通常の社会科学教育を受け入れてきた人間であれば、どこをどうして、何を根拠にするとそんな発想にいたるのか、筋道がみえないのだ。そこで発言者の「無知」「不勉強」を嘆き、ともすれば見下したりしがちになる。
しかし上の発言で注目すべきは、議員個人の無知や不勉強ではない。これは現代「保守」言論の、特殊な語りの枠組から生み出されたものである。議員はこの枠組にしたがって「現実」を学び、解釈し、(おそらく)真摯に現実にはたらきかけようとしているのだ。
この語りの枠組は物語のかたちをしており、国防や歴史認識から、教育、宗教、人間関係のあり方にいたるまで、多様な領域の出来事をつなげ、秩序立てて理解しやすくしてくれる。物語の断片は、たとえば日本会議の機関誌『日本の息吹』などをはじめ、「保守」言論人が登場するメディアをひもとけば、どこにでも見られる。これを仲間うちで共有し、おたがいの語りのなかで繰り返し、確認し合ううちに、物語の「現実」理解の枠組としての強度は増していく。一方で彼らにとっての「現実」が確かなものになればなるほど、それを共有しない者は、議論しあうことが難しくなる。
現代「保守」言論における救済の物語
現代「保守」言論において「現実」理解の枠組となっている物語とはどのようなものか。これについて筆者は、2013年4月から2015年3月までの『日本の息吹』の記事をデータベース化し、各所にみられる物語の断片を拾い集め、再構成するという作業を試みた(詳細は、岡本智周・丹治恭子編『共生の社会学』太郎次郎社エディタス、2016の第一章「保守言論における「日本」と「危機」――カテゴリの更新を拒む言説とその限界」を参照されたい)。その結果表れたのは、現在をユートピアの喪失による危機とみなし、その解決(救済)の道を示唆するストーリーである。以下、4つの要素にわけて書き出してみよう。
【要素1】時間・空間的に一貫した国家「日本」とその伝統
大前提として、第二次世界大戦前の「日本」は、時間的にも空間的にも、一貫した伝統と枠組を持つものであったとされる。その固有の伝統の基盤となっているのは神道であり、それは宗教というより共有されたメンタリティや哲学である。また、日本の伝統の中にある日本人は、「勤勉」「謙譲」「和を尊ぶ(=個よりも集団を優先する)」といった固有の性質を持っており、それはとても美しいものである。
また、伝統的日本は家族の絆をとても重視しており、家族の和合は成員がそれぞれの役割を果たすことによってなされる。家族の調和は、集団のなかでの役割を果たすことを尊ぶ円満な人格をつくることにもなる。それが社会秩序の土台となり、美しい「国柄」の基となる。
【要素2】戦後の占領による「ユートピア・伝統日本」の喪失
しかしそのような調和の世界は、第二次世界大戦後の占領政策によって失われた。特に、冷戦後の世界情勢のなかでGHQは日本を弱体化させる必要があり、戦前・戦中の日本を悪しきものと決めつけ、日本の強みであった伝統的心性を否定するような政策を行った。さらに、集団の和を尊ぶ日本人の美徳を否定し、個人の権利だけを重視するような(これは「近代合理主義的」とも「共産主義的」とも形容される)価値観に基づく憲法=現行憲法を押しつけたとする。
この新憲法的な価値観は、「民主化」の名のもとに、戦後の日本人の精神に強く植えつけられている。現在、マスメディアやそこに登場する「知識人」の多くは、この価値観に「洗脳」されているため、または日本を破壊する悪しき目的のために、この「戦後民主主義」「戦後レジーム」を礼賛する傾向がある。そのことに気付いているのは、「健全な常識」を維持する少数の人間だけである。
【要素3】現在の危機
新憲法に体現された戦後民主主義の精神と、戦前・戦中の日本を悪しきものと決めつける「自虐史観」は、学校教育(共産主義に影響された日教組が大きな影響力を持つ、としばしば言われる)を通じて、現代日本人の精神に浸透している。その結果、現代の日本人は個々人の権利を主張するばかりで、日本の伝統の中にあった、集団内での役割や義務を勤勉に果たすという美徳を失ってしまった。
国を愛する心に裏づけられた誇りやアイデンティティを失い、行動基準や「公」への動機づけがなくなったことで、社会秩序も崩壊しつつある。これが、近年の日本の経済的な地位の凋落や家族の崩壊を招いている。家族や国家より個人を優先し、国を守る気概を失った若者ばかりでは、少子化や東アジア近隣諸国との領土問題などにも対応できない。
【要素4】問題解決(救済)へのプログラム
このため、喫緊の課題は現行憲法を「伝統」「日本の国柄」にあったものに戻すことと、「本来」の(彼らの考える)よき日本の「伝統」を、学校教育によって普及させることである。しかし「正常」「健全」な感覚を持つ人びとは少数派で、多くの人びとはまだ戦後レジームの価値観の中にいるので、主要マスメディアに対する断固たる働きかけや宣伝によって、世論を変えるべく努力していくことが重要である。【次ページにつづく】
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— Synodos / シノドス (@synodos) 2016年6月3日
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