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第二百二十四話「強気交渉」
毒を食らわば皿まで。
という言葉がある。
毒を食ってしまったなら、その皿も食っちまおうというというものだ。
この格言が出来た当時は、固く焼いたパンを皿代わりにしている事が多かった。
固く焼いたパンは、乗せられた肉などのメインディッシュで味がついており、ちぎってスープなどにつけ柔らかくして食べる。
皿まで、というのは、つまり完食を意味する。
出されたものは毒であろうが全て食べる。
ごちそうさまの精神である。
嘘だ。
本当は、どうせ死ぬ運命にあるのだから、いっそ普段食い慣れていないものを食って死のう、という前向きな精神の事を指す。
皿なんて普段は食べないからな。
磁器を食って胃袋が破裂して死ぬのも、毒が回って死ぬというのも、変わらないという意味である。
これも、もちろん嘘だ。
さて。
現在、俺はアイシャが傭兵団の事務所用に用意した物件の一つにいる。
商業区にある、廃業した酒場の地下だ。
周囲には保存食の入った樽や、加工前の黒いコートがズラリと並んでいる。
ここには、転移魔法陣のスクロールを用いて移動した。
双方向通信の転移魔法陣。
こんな事もあろうかと設置しておいたものだ。
そして、目の前には一人の女だ。
普段は幼い仕草をしているぶりっ子。
実年齢は20歳を超えているであろう女。
「なかなか、趣のある所ですね」
神子が女の子座りしている。
特に手足を縛っているわけではない。
だが、埃っぽい床に、すとんと座っている。
結局、俺はあのまま、神子を連れてここまで来てしまった。
「どういうつもりですか?」
「何がですか?」
「あんなタイミングで出てきて、逃げもしないだなんて……」
思えば、神子はタイミングよく出てきた。
まるで出待ちでもしてたかのようなタイミングだった。
そして、ごくおとなしく捕まった。
「……出てきたのは偶然です。私は、あのような争いがあるとは知らされていなかったので……外に出たら、庭園が霧で覆われていてビックリしました」
その割には、判断が早かった。
「嘘でしょう?」
「はい、嘘です。本当は、世話係の人の記憶を読み、テレーズ達があなたに何かするとわかったので、出てきました」
「ほぉ……俺を助けに来てくれたと?」
「はい。それで、外に出て、あなたの目を見て、すぐに何があったか、悟りました」
目と目があう瞬間、記憶が読める。
魔導鎧ごしによく見えたな。
神子の不思議能力なら、そんなもんか。
ザノバの怪力の秘密だって、わかってないんだ。
「私は、あなたの味方です。力になりたいと思います」
「……」
俺は無言で神子に指先を向けた。
毒を食らわば皿までだ。
さらってしまったのなら、仕方がない。
もう計画も何もない。
動かなければならない。
こちらのカードは二枚。
俺と、こいつだけだ。
そう認識した上で、最悪の状況を想定しよう。
教皇は敵、枢機卿も敵、テレーズも敵、クレアも敵。
みんなヒトガミの手先で、クリフ、アイシャ、ギースはすでに捕まっている。
まだ一時間ぐらいしか経過していないが、すでに神殿騎士も動いている。
転移の瞬間は誰にも見られていないと思ったが、実は見られており、神殿騎士団は今にもこちらに向かっている。
魔導鎧『一式』は、送還用の魔法陣を用意している暇はなかったので、泥沼で地中に沈めておいたが、すでに掘り出されて確保されている。
それぐらいが、最悪の状況だろう。
最悪すぎて、そこまでいくとどうしようもない気がするが。
俺は自身の戦闘力と、神子というカード。
二つで、この状況を打開しなければならない。
「神子、その言葉を信用する前に、俺の質問に答えろ」
「もちろんです」
そのためにすべきは、神子への尋問だ。
俺の力になりたいと言う女。
こいつを信じるにしろ信じないにしろ、まずは情報を得なければならない。
「お前の神子としての能力を教えろ」
「すでに、ご存知なのでは?」
「本人の口から改めて聞きたい」
オルステッドの情報と違っているかもしれない。
再確認だ。
「人の記憶の表層を、見ることができます」
「表層?」
「はい。その人が思い浮かべているモノと、それに関連する記憶を、少しだけ」
「それは、心が読めるというのと同じじゃないのか?」
「いいえ、私が見えるのは、過去だけです。ずっと目を見続ければ、どこまでも、どこまでもさかのぼっていけますがね……」
記憶が見える……。
というより、今考えていることと関連付けられた過去が見える。
って感じだろう。
「見るだけなのか?」
「はい、見るだけです」
「心身を喪失した者を元の状態に戻すとかは?」
「できません。治癒魔術と併用すれば、あるいは何かしらの手立てが思いつく可能性もありますが……」
ゼニスの記憶を取り戻すとかは、出来ないか。
「……相手の心を読めるわけじゃないんだな」
「ですが、推測することは出来ます」
今思い浮かべているものは見えない。
だが、会話をしながらまったく別のことを思い続けられるヤツはそういない。
「朝ごはんなに食った?」と聞かれて、空の青さに関する科学的な考察が出てくるヤツはそういないだろうしな。
「後ろ暗い所のあるヤツは、お前と目を合わせたくないわけだ」
まさに嘘発見器だ。
彼女は気に入らない相手を断罪することができる。
目があったという、それだけの理由で断罪できる。
彼女自身が嘘を言っていても、誰もわからないが……。
そんなのは関係ないのだろう。
神子ってのは、そういうものだ。
ザノバを見ればわかる通りだ。
権力のある誰かが、その効能を保証するだけでいい。
「ルーデウス様は、目を逸らさないのですね」
「後ろ暗いことなど、ありませんから」
俺は先ほどから、神子と目を逸らしていない。
やや自暴自棄になっているのもある。
だが、過去が見えるというのなら、こうして目を合わせているだけで、説明の手間が省けるというものだ。
「いいのですか? 後ろ暗くない事も、私に全てを知られてしまいますよ……」
「……」
「へぇ、オルステッド様はそのような呪いが……なるほど、ヒトガミ……最初の言葉はそういう……あら?」
突如、神子の顔が赤くなった。
どうした?
エロいものでも見えたか?
でも、こんなものは審問でもすれば、すぐに見えるだろう。
ミリスの神父が浮気した時とか、見ることになるはずだろ。
「そんな、二人同時なんて……二人なのに愛が……ああ…………あ、これは祭壇……え? …………え?」
そこで、とうとう、神子は目を逸らしてしまった。
冷や汗かいてる。
息も荒い。
見てはいけないものを見てしまったようですね。
「何か、見えましたか?」
「邪きょ………えっと、こほん、ミリス教ではない方は……その、過激、いえ、不思議な儀式をなさるのですね……」
「それが俺の魂です」
「え、ええ」
神子はスカートの端を抑えつつ、やや身を引いていた。
安心しろよ。
ロキシー教はミリス教ほどホワイトではないが、それでも綺麗な青色だ。
エロ同人みたいな事にはならんさ。
「話を戻してくれ」
「そうですね」
お互いに咳払い。
見られて困るもんじゃないのだが。
改めて知られるとなると恥ずかしいな。
二人一緒にやった時の事を見られたってことは、俺が言ったあのセリフも聞かれたかもしれない。
違うんだ。
あれはちょっと興が乗って口走っちゃっただけなんだ。
普段は言わないんだ……。
とにかく、話を続けよう。
「まず、今回の一件がなぜ起こったのか。神子様は、今回の一件、誰が首謀者だと考えていますか?」
「教皇猊下か、あるいは猊下を陥れたい枢機卿の仕業でしょう。ヒトガミは関与していないかと思います」
つまり、ミリス魔族排斥派のトップか。
ラトレイア家の人物は関係していないのかな……?
今回の襲撃とラトレイア家は関係あるのだろうか……。
「ラトレイア家は関係していないと?」
「利用はされているかもしれませんが、首謀者ではないかと思います」
ゼニスの誘拐とは関係ないか。
そうだな。
とにかく、教皇派と枢機卿派。
それぞれのトップが怪しいわけだ。
「なぜ、ヒトガミが関与していないと?」
「もし、本当に猊下がヒトガミの言葉になど従ったというのなら、それはミリス教徒の風上にもおけぬ行為だからです。猊下様方はそれはそれは悪い人ですが、それでも敬虔なミリス信徒ですから」
「でも、それをどう判断するつもりで?」
「それは、目を見れば、わかります」
愚問だったか。
さて、だが、信じられるかね。
「私を信用できないのであれば、私を人質として提示し、欲しいものを交換なさるといい」
「それをするには、カードが足りない。すでに、神殿騎士団は手をうっているはずだ。あんたと引き換えに何かを要求したところで、結局は――」
「私は、神殿騎士団の全てです」
俺の言葉を遮って、神子は言った。
ふわふわとした笑みを浮かべながら、続ける。
「神殿騎士団……というより、魔族排斥派は、私が死ねば勝利がなくなる事をよく知っています」
「つまり、向こうが何か言ってきても、あんたの身柄と引き換えに強気の交渉すれば、こっちの要求が全て通るって事か?」
「それぐらいの価値があると、自負しています」
本当かなぁ……。
それを信じて、アイシャが目の前でザックリ斬られる所とか、見たくないぞ。
「神殿騎士団だって馬鹿で無能じゃないはずだ。
今頃アイシャを捕まえて、この場所を聞き出しているかもしれない。
いや、別に捕まえなくてもいい。俺の動向を探っていたのなら、ここが怪しい事はすぐに分かるはずだ。
俺が要求を出すために教団本部に赴いた時、あんたを神殿騎士団が救出してる可能性もある」
「なら、要求を出すときに一緒に行けばいいじゃないですか」
「大胆な考えだが、道中で包囲されて、そのまま総力戦になるって事も有り得る」
「ルーデウス様なら、その全てを蹴散らす事も可能でしょう?
なにせ、あのオルステッド様やオーベールとあれほど互角の戦いを繰り広げたのですから」
そこも見たのか。
まあ、可能ですよ。
自慢じゃないが、『雑魚狩り』のルーデウスと名乗ってもいいぐらい、有象無象を倒す事には慣れているんだ。
手加減することを考慮にいれなければ、
殺すつもりで動けば、先ほど倒した連中ぐらいなら、どうとでもなる。
「それに、襲ってくるのだとしたら、神殿騎士団ではなく、教皇の手の者だと思います」
「それは、なぜ?」
「神殿騎士団は、万が一にも私を死なせたくはありません。
ですが、教皇派は偶然にも私が死んでしまうことを望んでいますので」
教皇派も、表向きは神子を守る動きをするだろう。
だが、混戦の中で殺してしまったとしても、利はあれども、損は無い。
「結界魔術やなんやらで、神殿騎士団が安全にあなたを奪い返すかも」
「神殿騎士団で、最も対人能力に優れた集団は、すでにあなたに敗北しています。
神殿騎士団の性格を考えれば、新たな戦力を投入してくることはないでしょう。
危険すぎますので」
……最もすぐれた集団ってのは、さっきの連中か。
そういえば、最強とか言ってたっけな。
上手に連携はしていたが、あんなのが……。
いや、あんなの、とは言うまい。
俺の岩砲弾を受け流す技量を持ちつつ、魔術を連発してきた連中だ。
魔導鎧との戦いにおいても、怯まず剣を抜こうとした。
一人あたりの平均値を『剣神流上級、水神流上級、攻撃魔術中級、結界魔術中級、治癒魔術中級』あたりと仮定すると、かなり高水準かつオールマイティに戦える連中と言える。
個々の強さにブレはあるはずだが、ともあれそんなのを7人も集め、あれだけ綺麗な連携を叩き込んだというだけで精鋭部隊なのは見て取れる。
テレーズだけは頭ひとつ落ちていたが、彼女の指揮も立派なものだった。
一式を使わなければ負けていたって事はないと思う。
が、何かしらやられていた可能性も高い。
ともあれ、一番強いのを倒したというのなら、確かに……。
いやでも、それはあくまで神殿騎士団内での話だろう。
「教導騎士団や、聖堂騎士団ってのもいると聞いていますが?」
「あれらは、あくまでミリス神聖国の騎士団です。
教団内部のことに口出しや手出しはしてきません。
それに、教導騎士団はいま、この国にはいませんし」
そか、いないのか。
でも、そう聞くと、なんだかいける気がしてきたな。
人質をつれて、堂々と真正面から交渉。
オルステッドの配下である俺様が、いきなり襲われて気分を害している。
本来ならば神子を八つ裂きにして、ミリス教団の威光を地に落としてやる所だが、我々は寛大だ。
きちんと謝罪しこちらの要求を通すなら、神子の命共々、許してやってもよい、という感じで。
その過程で、神子に協力してもらいつつ、ヒトガミの使徒や犯人を特定する。
無論、少々の禍根は残るだろうが……。
それでも、交渉次第では、無事にこの国を出られるだろう。
さすがに傭兵団は諦めた方がいいだろう。
それは数年後、クリフが本当に偉くなった時に改めて頼めばいい。
流れ次第、例えば教皇がヒトガミの使徒であったなら、クリフにも、この国での成り上がりを諦めてもらう必要があるが……。
こうなった以上、仕方がない。
クリフには悪いが、仕方がない。
「他の騎士団が心配だというのなら、早めに動いた方がいいと思います。もし本当にルーデウス様のお身内の方が捕まっているのであれば、時間が経過すると何をされるかわかりませんので」
「ですね」
まだ、誘拐から一時間程度しか経過していない。
最悪のケースではすでに捕まっているが、アイシャやギースを見つけて、捕まえて拷問をする……ってのには、まだ早い。
だが、隠れている時間が長くなればなるほど、向こうも焦るだろう。
焦れば何をするかわからないのは、皆一緒だ。
よし。
ここからは、賭けだ。
ダメなら、少なくとも、神子の命と引き換えに、誰かが死ぬ。
それぐらいの覚悟を持とう。
持ちたい。
持ちきれない……。
何か一つ、決め手が欲しい。
「……なぁ、神子様」
「なんでしょうか」
「あんた、なんで俺の味方をしようとしてるんだ? あんなあっさり掴まってさ」
神子はきょとんとした顔をして。
そして、柔らかく微笑んだ。
ミリス教団の象徴にふさわしい笑顔で。
「私が今、こうして生きている因果が、あなたとスペルド族の戦士にあるからです」
それは俺の記憶を見たのか。
それとも、以前にエリスの記憶を見たのか。
わからないが、確かに以前、エリスをミリスに連れてきたのは、俺とルイジェルドだ。
しかし、あまりに俺が望む答えすぎて、ちょっと疑わしいな。
「それで納得されないのであれば、せっかく仲良くなりかけた友人と、すっかり仲良くなった配下に殺し合いをさせられたことに憤りを感じているからだと、そう思ってください」
「…………」
「何日も楽しい話を聞かせてくださり、絵まで描いてくださったお礼も。ミリス様もおっしゃっています「汝、礼を失することなかれ、恩を忘れる事なかれ」と」
「………………」
「もともと、私はあなたが、母上の事で助けを求めてきたのなら、こっそりと力になるつもりでいたのですよ……結局、頼んでくださらなかったけれど」
黙っていると、神子はスネるように口を尖らせた。
「大体、ルーデウス様も、一目見て私が敵ではないと確信したからこそ、さらってきたのでしょう?」
「まあね」
一目見た時に、敵じゃないとは思った。
だからこそ、迅速にさらって、こうして話を聞いているのだ。
よし。
何にせよ、いまさらだ。
俺は後手に回り、この状況に陥った。
これ以上あれこれ考えても、事態はなんら好転しない。
次のシーンでは、より優位な立ち位置で参入し、自分の目的を果たさなければいけない。
目的は以下の通りだ。
第一目的、ゼニスの奪還。
第二目的、アイシャ、ギース、クリフの安全の確保。
第三目的、クリフに迷惑が掛からないようにする。
第四目的、傭兵団の設置。
第五目的、ルイジェルド人形の販売の許可。
第六目的、ミリスを味方に引き入れる。
ひとまず、二までの達成を目標とする。
よし、次は先手を打とう。
俺は今、カードを手にしている。
神子という、非常に強いカードを手にしている。
俺自身というカードも、それなりに強力だ。
なら、別の誰かが。
状況をまったく理解していない誰かが、何かを用意する前に。
さっさとターンをまわして、先制攻撃をするとしようじゃないか。
「この一件、もし綺麗に片付いて、何も遺恨が残らなかったら……エリス、連れてきます」
「はい、お願いします」
さぁ、行くか。
---
そして、教団本部へと戻ってきた。
戦闘開始から二、三時間といった所だろうか。
町中には、不思議なほどに神殿騎士の姿はなかった。
となると、ギースやクリフが密告したという線は消してもいいだろう。
俺たちは転移魔法陣のスクロールで脱出した。
転移魔法陣の存在は、世間一般的には知られていない。
その上で神殿騎士団が入り口を封鎖していたというのなら、「まだ中にいるはず」と考えるのが普通だろう。
すでに外に逃れただろうと現場の指揮官が判断するまでに1時間。
外を探すべく、神殿騎士団の本隊に応援要請をして、捜索部隊の編成を終えるのに1時間。
誰かが誰かの足を引っ張って遅延が発生し、1時間プラスと考えれば……。
すでに町の入り口の閉鎖ぐらいはしているかもしれないが、本格的に動き出すのはもう少し後だろう。
大きすぎる組織ってのは、いつも大変だ。
クリフとギースの二人は転移魔法陣のことを知っている。
ギースは緊急脱出用の魔法陣の設置の時にも立ち会っていた。
クリフの方は、シャリーアの事務所の地下に転移魔法陣を描く時、手伝ってもらったし。
もっとも、彼らが裏切っているなら、最初から転移先に神殿騎士団の手が回っていてもおかしくはないか。
最初から消えていた線だったな。
でも、教皇や枢機卿あたりだって、すでに俺が転移魔法陣で移動していることを察していてもおかしくはない。
あれだけ情報を得ていたのだから。
ヒトガミが裏から動かしたってそうだろう。
……そう考えると、どうにもおかしな感じだな。
まだ二時間だが、相手が後手に回っているこの感じ……。
まさか、テレーズたちが独断で動いたわけでもあるまいに?
なんて考えつつ 教団本部に近づく。
すると、中から青い鎧をきた連中がぞろぞろと出てきた。
「神子様だ……」
「ルーデウスが神子様を連れて現れたぞ!」
「応援を呼べ!」
ぞろぞろと、本当にぞろぞろと中から出てくる。
周囲からもだ。
あっという間に囲まれてしまった。
本当に大丈夫なんだろうか。
「ルーデウス様、決して私から手を離さぬようにお願いします」
「……」
俺は命綱たる神子の二の腕を掴んでいる。
特に刃物を突きつけるわけでもないが、神殿騎士たちは色めきだっている。
本当に襲ってきたりはしない。
神子の言った通りだ。
「神子様をあんなに乱暴に……!」
「おのれ、ルーデウスめ……俺だって神子様に触れたことがないのに……」
「神子様を人質に取るなど、ミリス教徒の風上にも置けないやつだ! 許せん!」
なんかちょっと変な怒り方されている……。
しかし、何も言わないうちから人質にとった事が確定事項とされている。
まあ、当然か。
護衛騎士を全滅させて神子を連れ去ったんだから。
そう見られても仕方ない。
今回の件の首謀者だって、そういう風に見ているだろう。
「隊長、やりましょう……! 『聖墳墓の守り人』との戦いの後だ、いかにヤツとて、魔力はそう残っていないはず」
「まて、それでも神子様を手にかけるだけの力は残しているはずだ」
「大丈夫です、イチニのサンで一斉に攻撃すれば、きっとヤツも、神子様に手をかけるより、自分の身を守るはず……!」
一人煽ってるヤツがいる。
あれが、今回の事件の首謀者の手駒かね……。
「神子様、あれ、誰の手の者です? ヒトガミの手先です?」
「いえ、あれは教皇猊下の手の者ですね。ヒトガミとは関係ありません。今回の一件も詳細を知らされていないようです」
小声で聞いてみると、小声で返答が帰ってきた。
まあ、あんなのまでいちいち疑ってたら、キリが無いか。
よし。
とりあえず、始めるとしようか。
「今回の一件について、教皇猊下と話がしたい! 道を開けよ!」
出来る限りの大声を張り上げる。
やや居丈高な俺の態度に、神殿騎士たちは色めきだった。
「なんだと!」
「貴様ごときが猊下とお目通り願えるものか!」
「今すぐ神子様を解放し、断罪を受けろ!」
数名、すでに剣を抜きかけた者もいた。
だが、神子が俺の腕の中でビクリと身を震わせると、その騎士はためらいながらも剣を鞘へと戻した。
おお、凄い、これが神子の力か。
『聖墳墓の守り人』の連中を見てなんとなくわかっていたが……。
思った以上に姫なんだな、この人。
さてと……こほん。
「我が名はルーデウス・グレイラット!
『龍神』オルステッドの名代である!
偉大なる主君の名において、ミリス教団の象徴たる神子に傷を付けるつもりはない!」
俺は左手を掲げる。
そこにはオルステッドよりもらった腕輪が燦然と輝いている。
身分証としては弱いかもしれないが、はったりにはなるはずだ。
「だが、話し合いの要求すらも通らぬ場合、その保証は無い!
我を敵に回すことは、ミリス教団は『龍神』とその配下全てを敵に回すことと知れ!」
交渉は強気に行うと決めていた。
セリフもちゃんと考えておいた。
オルステッドの名前を勝手につかったが、問題ないはずだ。
配下もそんなにいないけど、問題ないはずだ。
「……っ!」
神殿騎士たちはたじろいで、一歩、後ろへと下がった。
今の一言で、俺が一人の雑多な賊ではなく、組織の偉い人だと認識してもらえたらしい。
ひとまず、つかみはオッケーだろう。
「猊下より直接、先の一件についてのミリス教団の弁明を聞きたい!
なにゆえ、『龍神』の名代たる私の命を狙ったのか!
なにゆえ、我が母の身柄を拘束したのか!
返答次第では神子の命は無いものと知れ!」
私はあくまで客人です。
突然、誘拐犯の汚名を着せられ、命を狙われて怒っています。
プンプンです。
謝罪と賠償を要求します。
ついでにゼニスの一件も、ミリス教団全体の問題にしてしまおう。
「……」
「どうする……?」
「どうするたって、神子様を人質に取られているのでは……」
しかし、神殿騎士が道を開けてくれない。
どうにもぐずぐずしている。
ここにいるのは下っ端だけなので、判断に困る感じか。
少し待ってたら、指揮官が出てきてくれるだろうか。
「道を開けよ!」
「どけ!」
「神子様を見殺しにするつもりか!」
なんて思っていたら、奥の方がにわかに騒がしくなり、四人の男女が姿を表した。
その内、三人は見覚えがある。
『聖墳墓の守り人』のメンバーだ。
凹んだ鎧が痛々しい。
テレーズの姿もある。
彼女は俺の姿を見ると、申し訳なさそうに目を伏せた。
もう一人は白いヒゲを蓄えた五十代後半ぐらいの男だ。
顔には深いシワが刻まれているものの、眼光は鋭く、衰えは感じられない。
見覚えはないが、誰だろうか。
彼も同じように青い鎧を身につけているため、神殿騎士であることはわかる。
だが、少々鎧の意匠が凝っている。
テレーズの鎧をさらにグレードアップさせた感じだ。
今、俺の周囲を囲んでいる連中をノーマル神殿騎士。
『聖墳墓の守り人』の連中をホブ神殿騎士、
テレーズをエリート神殿騎士とすると、
この男はキング神殿騎士ぐらいありそうだ。
「神殿騎士団、剣グループ『大隊長』カーライル・ラトレイアである」
……あ。
この人が……カーライル。
俺の爺ちゃんか……。
「こんな状況で失礼します。初めまして、ゼニス・グレイラットの息子ルーデウス・グレイラットです」
咄嗟にそう答えると、カーライルは鷹のような眼光を俺に向けた。
クレアよりも更に鋭い視線。
似たもの夫婦ということなのだろうか。
ここで押し問答は困るが……。
「それで、良いのですか?」
「…………いえ」
どういう意味かと一瞬思ったが、クレアとのやりとりを思い出して首を振った。
今の俺はオルステッドの配下だ。
ゼニスの息子なのは間違いないが、その立場ではない。
対等な立場を主張しなければ、対等な立場での交渉ができない。
「『龍神』オルステッドの名代ルーデウス・グレイラットだ。猊下へのお目通りを願いたい」
「うむ」
胸をはり、顎を引き、エリスのポーズを意識しながらそう答える。
すると、カーライルはほんの一瞬だけ、柔和な表情を浮かべた。
しかし、すぐに顔を引き締めた。
「案内する、ついてまいられよ」
カーライルが厳しい顔のまま、踵を返した。
テレーズたちも難しい顔のまま、カーライルの後に続く。
「……どうですか、神子さま」
「…………テレーズは、枢機卿の命令に従っただけのようです。カーライル様は目を合わせませんでした、わかりません」
一応、小声で聞いておく。
便利だな。
カーライルは、グレーと。
敵という感じはしないが、ちょっとおかしな感じだし、警戒していこう。
俺は遠巻きに見守る神殿騎士たちを尻目に、彼らの後に続いた。
---
まっすぐに中枢へと案内された。
途中から、前後左右を『聖墳墓の守り人』の別のメンバーが固めた。
すでに兜は身につけていない。
二本の足でしっかり歩いている所を見ると、治癒魔術で治したか。
警戒はしつつも、彼らが襲ってくるつもりが無い事はわかっている。
俺は奴ら自慢の王級結界を破った。
その上で、真正面から奴らを潰した。
向こうも殺す気はなかったと思うが、こちらが手加減したのもわかっただろう。
彼我の実力差は歴然としている。
その上、俺の手には神子がいる。
神子を危険に晒してまで、数時間前に完敗した相手に挑むほど、愚かではあるまい。
ていうか、連中の顔はやけにバツが悪そうだ。
特にダスト氏。
さっきから俺と目を合わせようとしてない。
悪意が無い。
敵意も無い。
あまり警戒もされていない。
むしろ、俺を守るかのような立ち位置だ。
「……」
中枢を歩き始めて、ほんの数分。
俺は気づいた時には、方角を見失っていた。
やや円曲した通路と、70度ぐらいの曲がり角を数度曲がっただけだと思うが……。
前に来た時も思ったが、通路がやけにグネってる。
まるで迷路のようだ。
「迷路みたいですね」
「はい。いざという時に、私や教皇様が簡単に逃げられるように、このような作りになってるんですよ」
神子が教えてくれた。
特に結界などによるものではない、ということだろう。
ひとまず、唐突に眠らされたりする、という事もない、と思う。
「そうだ!」
「ミコ様はこの通路を全て網羅されているのだ!」
「我々も、最初の頃は追いかけっこでよく逃げられたものだ!」
咄嗟に、取り巻きが自慢気に話してくれた。
そうか、要人を逃がすため、か。
しかし、少し道がわからなくなってきた。
奥まで連れ込まれたら、逃げられんな……。
いや、天井を破壊して逃げるってのもアリだな。
壁は……結界を張られているだろうが、吸魔石を使えばいけるはずだ。
うん。
なんかのこのこ来てしまったけど、大丈夫だろうか。
「まだですか? あまり奥に行かれても困りますが」
「もう少しです」
カーライルは後ろを振り返らずに言った。
本当かねえ。
実は罠にはめようってんじゃなかろうな。
警戒しつつ、後ろの連中に視線を配っておく。
すると、奴らはハッとした顔でわめき始めた。
「カーライル様! 失礼でしょう! せめて後ろを振り返って言ったらどうですか!」
「ルーデウスは神子様の腕を掴んでいるんですよ!」
「ヤツが不機嫌になって神子様の身になにかあったらどうするのですか!」
「見てください、この鎧の凹みを! 我ら神殿騎士団の蒼鎧をここまで凹ます怪力の持ち主なんですよ!」
「少し不機嫌になるだけで、神子様の御手に醜いアザが残る可能性だって……」
「全員静かにしろ!」
テレーズの一喝で、取り巻き連中の喚きが止まった。
と同時に、カーライルが足を止め、ゆっくりと後ろを向く。
「もう少しです」
「……はい」
俺もまた頷いて答え、彼に続いた。
それから、ほんの十歩ぐらいだっただろうか。
カーライルは、一つの扉の前で足を止め、ノックをした。
「ルーデウス・グレイラットを連れて参りました」
本当にもう少しだった。
なんか急かしたみたいで申し訳なかったな。
考えてみると、方向感覚を失ったといっても、曲がり角を2回しか曲がっていないのだ。
戻ろうと思えば戻れた。
「どうぞ、お入りなさい」
中から聞こえたのは、教皇の声だった。
カーライルは扉に向けて軽い祈りを捧げた後、扉を開けた。
半身で扉を開けつつ、俺を中へと誘う。
「お入りください」
「失礼します」
俺は神子の腕を掴んだまま、部屋の中へと入った。
なんか、もうそろそろ離してもいい気がするが……。
いやいや。
油断してはいかん。
「……」
中は、会議室のようになっていた。
長いテーブルに、十数名が腰掛け、顔を突き合わせている。
その中には教皇もいる、クリフもいる。
教皇と似たような、高そうな法衣をきた老人もいる。あれが枢機卿だろうか。
カーライルより、さらに高価そうな蒼鎧を着た男もいる。
白い鎧を着ている人物もいる。
さらに奥には、七人の騎士が手を後ろに組んで立っている。
そのうち二人の顔に見覚えがある。
教皇の護衛だ。
全員が俺の方を向いていた。
今まで白熱した議論をしていたのを、俺の出現によって止められたかのように。
息を呑んで、無言で、俺の方を見ていた。
そして、テーブルのやや奥まった所。
そこに、二人の人物が座っていた。
一人は、唇を真一文字に結んだ老婆。
彼女は俺を睨みつけるように見ていた。
クレア・ラトレイアだ。
そして、その隣。
いた。
ようやく見つけた。
ぼんやりした顔で、天井を見上げている女。
そろそろ40歳近い女性。
俺の親父が誰よりも愛した女性。
俺の母親。
ゼニスが座っている。
あれ?
まて。
……何故二人がいる?
どういう事だ。
俺はまだ、何も要求していないはずだ。
ゼニスを連れて来いとは言っていない。
バタンと。
静寂を破るような音が響いた。
背後で扉が閉じられたのだ。
神殿騎士たちが扉を守るように配置に付く。
部屋の奥にいる騎士たちに対抗するかのように、一列に。
テレーズだけが着席した。
「では、役者も揃った所で、話し合いを始めましょう」
一番奥に座る教皇が言った。
どうやら、この数時間で、何かが動いたらしい。
先手を取るつもりだったが、また機先を制されたのか。
ぐぬぬ。
「ルーデウス様、神子様、どうぞ、お席についてくださいませんか?」
俺は後手に回る才能でもあるんだろうか。
だが、状況は未だ、悪くはない。
このまま行く。
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