「ホンっトサイテー!!信じらんないわね!」

「・・・ごめん」

「悪いと思ってんなら、態度で示してもらおうかしら?」

「態度で、って・・・何をすれば・・・」

「そうね・・・あたしの下僕になるってのはどう?」

「下僕!?」

「そうよ、たった今からあんたはあたしの下僕、いえ、奴隷になるのよ!!」

「・・・ど・・・れい・・・」

「そ、そうよ、あんたはあたしの奴隷!

 これからはご主人様であるこのあたしの命令に絶対服従よ!わかった!?」

「・・・・・・わかっ・・・いえ」

 

「かしこまりました、アスカ様」


Slave

ブレイズ


ことの起こりは、数分前。

 

「あっつぅぅーい!!」

いつものように、バスタオルを一枚体に巻いただけの格好で、アスカが浴室からリビングに飛び出してきた。

「ごめん」

これまたいつものように、反射的・・・というか、機械的に謝るシンジ。

そう、あまりにも『いつものこと』すぎて、いいかげん慣れてしまったシンジは適当にあしらおうとしているのだが、それこそアスカが最も嫌うところであった。

こうやってケンカをふっかけていること自体、シンジにかまってほしいという気持ちの表れなのだから。

「またそうやってすぐに謝って!ホントに悪いと・・・」

アスカがそこまで言ったとき、

バサッ。

「「・・・・・・!!」」

アスカの体を覆っていたバスタオルが、床に落ちた。

アスカは感情を全身で表現するタイプである。当然、怒りも例外ではない。

両腕を激しく振り、オーバーアクションで怒りを表現している間中、彼女の年齢に似合わぬ豊満な胸はその動きを受けて、ゆさゆさと大きく揺れていたのだ。

胸元に引っかかっているだけのバスタオルを振るい落とすほど大きく。

その豊かな胸が、白く美しいアスカの裸身が、シンジの目の前にさらされた。

「「・・・・・・」」

シンジはアスカの裸から、目を背けることができずにいた。

シンジとて、思春期の男の子である。女の子の裸が目の前にあれば、見てしまうのが自然だろう。

ましてやそれが、いつもケンカばかりしてはいるが内心では憎からず思っている女の子の体なら、なおさらだ。

加えてそのプロポーションが完璧とくれば、見入ってしまうのも無理からぬことではある。

が、そのアスカの体が、徐々に白から赤へと染まっていく。

それが臨界に達し、彼女の着るプラグスーツ、はたまた彼女の乗るエヴァと見まがうばかりの真紅に染め上がったとき、

「いつまで見てんのよぉーっ!!!」

バキィッ!!

叫びとともに、アスカのハイキックがシンジの側頭部に決まった。

意識を蹴り飛ばされる瞬間、シンジが何を見たのかは、彼の幸せそうな表情と鼻血だけが知っている。

(・・・素っ裸でハイキックはまずかったかな・・・)

もとい、アスカも知っていたようだ。

(ま、シンジになら見られてもいっか♪・・・そうだ!これを利用して・・・)

一計を案じたアスカは、シンジを彼の部屋に運び込んだ。

 

(あ・・・アスカ・・・アスカの・・・)

ハッ!

「お目覚め?シンジ」

目覚めたシンジの名を、剣呑(けんのん)な響きを含む猫なで声が呼ぶ。シンジは反射的に声のした方を向いた。

その動きは、わずかな物音に反応する小動物のような、防衛本能と恐怖に根ざすものだった。

視線の先にいたのは、いまだにバスタオル一枚のアスカ。

シンジの椅子に逆向きに腰かけ、またいだ背もたれの上に組んだ腕を乗せて、さらにその上にあごを預けている。

顔は一見にこやかだが、その目の輝きは鋭く、肉食獣のそれを思わせる。

小動物と肉食獣・・・それはまさに、 獲物と狩猟者の図式であった。

シンジは寝かされていたベッドから、素早く上半身を起こす。ここでようやくシンジは、自分が今いる場所を理解した。

「あ、アスカ!」

ここまで運んでくれてありがとう。

ハダカじっくり見ちゃってごめん。

そんな言葉で逃げようとするシンジの退路を、アスカの言葉が断つ。

「どこ見てんのよ?」

背もたれの板を支える2本のパイプ。それをバスタオル一枚のアスカが、大きく足を広げてまたいでいるのだ。

パイプの間越しに見えるアスカの中心部は、ギリギリのところでバスタオルの影に隠れているが、その見えるか見えないかの感じがかえって扇情的。

意識を失う寸前に見た光景が、鮮明によみがえる。

見てはいけないとは思いつつも、シンジの視線は先ほどから、アスカの顔とその部分とを往復していたのだ。

あわてて視線を顔に固定するが、もう遅い。

「あ、いや、あの、その・・・」

言葉をもつれさせたシンジの急所に、アスカがとどめの一撃をくらわした。

「スケベ」

「う・・・」

シンジの息の根が止まる。アスカの『狩り』が成功したのだ。

「ホンっトサイテー!!信じらんないわね!」

「・・・ごめん」

もとはといえば裸同然の格好でシンジの前に出てくるアスカに原因があるのだが、今のシンジは『自分の欲望に負けてしまった』という罪悪感にとらわれており、そこまで考えが及ばなかった。

「悪いと思ってんなら、態度で示してもらおうかしら?」

シンジの反応に気をよくしたアスカは、かさにかかって言いつのる。

「態度で、って・・・何をすれば・・・」

「そうね・・・あたしの下僕になるってのはどう?」

「下僕!?」

「そうよ、たった今からあんたはあたしの下僕、いえ、奴隷になるのよ!!」

そう、それこそがアスカの目的であった。

 

自分がシンジに対して持っている感情・・・それをなんと呼ぶかぐらいアスカ自身も知っているが、プライドの高いアスカは、自分がシンジ『ごとき』に心を奪われた、という事実を素直に認められない。

それでも、『シンジの全てがほしい』という想いは、日を追うごとに強くなってゆく。それはたとえるなら、箱の中の風船だった。

このままふくらみ続ければ、箱か風船、どちらかが壊れてしまう。しかし、それはどちらも『アスカの心』なのだ。

アスカは迷う。プライドという箱を壊して想いをさらけ出すか、風船を手ずから割ってプライドを守るか。

だがここで彼女は、どちらでもない、どちらも選ばなくていい第三の選択肢を見つけてしまった。

自分の優位を確保し、本心を隠したまま、相手の全てを掌握できる方法・・・『支配』である。

かくして、人の愛し方を知らない悲しい少女は、愛する少年を『奴隷』としてそばに置くことを選んでしまったのだ。

 

が、その『奴隷』という言葉を聞いた瞬間、シンジの様子が激変した。

ビクンと大きく震えたかと思うと、目を見開いたまま凍りつき、

「・・・ど・・・れい・・・」

うめくような声で繰り返す。その反応にとまどいながらも、アスカは勢いに任せて駄目を押した。

「そ、そうよ、あんたはあたしの奴隷!

 これからはご主人様であるこのあたしの命令に絶対服従よ!わかった!?」

「・・・・・・わかっ・・・いえ」

シンジはベッドから降りると、なんとアスカの前にひざまずき、うやうやしく頭を下げた。

「かしこまりました、アスカ様」

このシンジの言動には、アスカの方が意表をつかれた。

「な!あ、あんた、あたしにケンカ売ってんの!?」

そう思うのも無理はない。アスカにしてみれば、シンジがこれほど素直に自分の言葉に従うなどとは夢にも思っていなかったのだ。

あらかじめシンジの『反抗』に対してはある程度予想して対応策を立てていたが、これは予想外だった。

他人から『奴隷になれ』と言われて、腹を立てない人間がいるだろうか。いかにシンジが人の顔色を気にする性格だといっても、この反応は明らかに異常だ。

当てつけでやっているとしか思えなかった。

「滅相もございません。奴隷の分際でご主人様にケンカを売るなど、そんな大それたことは・・・」

椅子から立ち上がり、なおも当てつけがましいことを口にするシンジの胸ぐらをつかむと、自分の目の前まで引き寄せる。

「いいかげんにしないと、本気で怒るわよ」

「私(わたくし)が何かアスカ様のお気に障るようなことをいたしましたのでしょうか?でしたら、ご存分に罰をお与え下さい」

よどみなくそう言ったシンジの瞳には、もはや以前のような輝きはなかった。

(まさか・・・本気?そんな・・・)

アスカの心に不安の影がさす。その影の暗さを隠すため、アスカはさらに暗い闇に自らの心を包んだ。

(ふん、当てつけの猿芝居に決まってるわ。

 そっちがその気なら、お望み通りぼろを出すまでこき使ってやるわよ。徹底的にね)

シンジを乱暴に突き放す。ぶざまにしりもちをついた奴隷に向かい、アスカは最初の命令を下した。

「もういいわ。お風呂に入り直すから、温度調節してきなさい。

 ちょっとでも熱かったりぬるかったりしたら、承知しないわよ!!」

「はっ、直ちに」

立ち上がって深々と一礼し、シンジは浴室へと向かう。その背中を見送ったあと、アスカはシンジのベッドに拳をたたきつけた。

 

「ふう・・・」

改めてお湯につかり、アスカは大きく息を吐く。

湯温は完璧。本当は初めからそうだった。

シンジが何回目で怒り出すか試すため、わざと10回ほど『熱い』『ぬるい』を繰り返したが、そのつどシンジは文句ひとつ言わず、嫌な顔ひとつせずに作業をこなし、逆にアスカの方が根負けしてしまったのだ。

そもそもアスカはお湯の温度ごときに執着などしていない。ぬるければ追い炊きすればいいし、熱ければ水でうめればいいだけのこと。

いちいち文句をつけるのは、あくまでシンジにかまってもらいたいがためだ。

だが、シンジを自分のものに・・・奴隷にすることができた今、これからは好きなときに好きなだけかまってもらえる。

(・・・なのに、なんで?なんでこんなに嫌な気分なの?)

ミサトいわく『命の洗濯』である風呂も、アスカの心の黒いシミを洗い流すことはできなかった。

結局、アスカは暗い気持ちを抱えたまま風呂から上がり、

「お湯かげんはいかがでしたか、アスカ様・・・アスカ様?」

シンジと一言も会話を交わすことなく、自分の部屋に引っ込んだ。

 

 

翌朝。

「アスカ様、お目覚め下さい」

いつも聞く、『アスカ、早く起きないと遅刻するよ』と呼ぶ声ではない。

「アスカ様、お・・・」

「起きてるわよ!!」

思わず怒鳴ってしまった。いつもと同じはずのシンジの声が、目覚まし時計のアラーム音のように無機質なものに聞こえたせいだ。

今朝に限って寝覚めが特に悪いのは、きっと気のせいではないだろう。

それでもいつものようにシャワーを浴び、制服を着てリビングにやってきたとき、アスカの目は完全に覚めた。

テーブルの上には、いつものように朝食が並べられている。

一人分だけ。

もう一人分・・・シンジの分は、床に置かれていた。

「シンジ!?」

驚くアスカに、床に正座したシンジがこともなげに説明する。

「奴隷ごときが、ご主人様と同じ席で食事するわけにはまいりませんから・・・。

 ささ、私のことはお気になさらず、どうぞお召し上がり下さい」

アスカの顔がゆがむ。その表情は、怒っているようにも、泣いているようにも見えた。

ガシャーン!!

突然、アスカがシンジの朝食を蹴飛ばした。だが、それだけでは終わらなかった。

ガシャーン!!

テーブルに乗った自分の朝食をも払い落としたのだ。二人分の料理と食器の残骸が、無惨に床にばらまかれた。

「アスカ様!?」

「・・・片づけときなさい」

「・・・かしこまりました」

シンジの声を背中に聞きながら自分の部屋へと戻るアスカ。その顔と心には、ドス黒い影が落ちていた。

 

作り直す時間はなかったため、二人とも朝食をとらずに学校へと向かった。

シンジがアスカの後ろについてゆく。それだけならいつもと同じだが、二人の距離はいつもより遠かった。

普段の倍近い距離がある。

「あんた、なんでそんなに離れてんのよ!?」

「ご主人様の御影をお踏みするわけにはまいりませんから・・・」

アスカの奥歯がきりりと鳴った。

「そんなもんどうでもいいから、もっとこっち来なさい!!これは命令よ!!」

「はっ、では、失礼いたします」

シンジは『命令』に従い、いつもと同じ距離まで寄ってきた。

だが、物理的な距離がいくら近づいても、心の距離は前より遠く感じる。

今、シンジはアスカの奴隷。『手をつなげ』と言えばそうするだろうし、『腕を組め』と言えばそれに従うだろう。

しかし、アスカにはわかっていた。そんなことをしても、自分の心は満たされないということが。

結局アスカは学校に着くまで、もうシンジを振り返ることも、声をかけることもしなかった。

 

二人が教室に入ると同時に、

「おはよ・・・アスカ、どういうこと?」

「シンジ・・・何しとんねん?」

「おいシンジ、何の冗談だよ?」

ヒカリがアスカに、トウジとケンスケがシンジにそれぞれ声をかけた。

憂悶を顔に貼りつけたアスカの後ろに、二人分の荷物を持った無表情のシンジが従者のようにつき従う。

普段の彼らを知る者には、この光景は異常きわまるものだった。

それぞれのカバンを手に、口げんかしながら教室に入ってくるいつもの二人のような、生き生きとした表情はどこに行ってしまったのか。

「・・・見ての通りよ。シンジはあたしの奴隷になったの」

ヒカリの目を見ることなく、捨てばちにアスカが言う。

「「ど、奴隷!?」」

「・・・う、嘘よね、アスカ?お願い、嘘だと言って!」

すがるようなヒカリの言葉。しかし、

「嘘なんかじゃないわ、ヒカリ。あたしはシンジを奴隷にしたのよ。

 今のシンジは、あたしの言うことなら何でも聞くわ。なんなら試してみる?」

開き直ったのか、挑発とも自嘲ともとれるおどけた口調で、アスカはヒカリに答えた。

「惣流!!おんどりゃぁぁーっ!!!」

トウジが雄叫びとともに、アスカに殴りかかる。

心の底からの怒りを具象化したその表情は、普段アスカにからかわれたときに見せる表情とは違う。

トウジが、自分以外の誰かのために怒った時の顔だった。

バキッ!!

トウジの拳がクリーンヒットする。

が、とらえたのはアスカの顔ではなく、トウジとアスカの間に割って入ったシンジの顔面だった。

「「「シンジ!!」」」

「碇君!!」

吹っ飛ばされたシンジに、アスカを除く全員が駆け寄る。

本当はアスカも駆け寄りたかった。だが、何かがアスカの動きを止めていたのだ。

「なんでや、シンジ!?なんでこんなヤツかばうんや!?」

「・・・自分を盾にして・・・ご主人様を守る・・・それが・・・奴隷の務め・・・」

シンジの言葉を聞いたケンスケが、憎悪と侮蔑に満ちた視線でアスカをにらみすえた。

「ずいぶん『調教』が行き届いてるこったな、惣流」

「ち、違・・・!」

アスカがあわてて反論を試みる。そう、自分はシンジに対して『調教』など施した覚えはない。

だが、アスカの言葉を遮って、ヒカリが冷たく言い放った。

「アスカ、今のあなた、人間として最低よ」

親友の言葉に、アスカの中で何かが切れた。そして次の瞬間、アスカは教室から飛び出していた。

 

 

気がつくと、自分の部屋でベッドの上に寝ていた。どうやって帰ってきたかなど、覚えていない。

(『人間として最低よ』)

ヒカリの言葉が心に突き刺さり、そこから血が流れ続けている。

(そんなこと・・・言われなくたって・・・)

「アスカ様!」

部屋の外からかけられた声に、アスカの思考は中断させられた。

「アスカ様!?」

シンジの声。気遣うような響きはこもっているが、自分の名前が呼ばれている気は全くしない。

「何よ!!なんであんたがここにいるのよ!!」

「アスカ様が飛び出して行かれたもので・・・心配で、追いかけてまいりました」

「『心配』!?奴隷のあんたに心配なんかされたくないわよ!!

 だいたいこうなったのも、全部あんたが悪いんじゃない!!」

「・・・申しわけございません」

理不尽な責任転嫁であることはアスカ自身が一番よくわかっているが、もう自分でもこの『暴走』は止められない。

悔しさと情けなさに、涙があふれてくる。

「消えて」

もうこれ以上、シンジの前にこんな自分をさらしていたくない。

もうこれ以上、シンジを傷つけたくない。

「アスカ様!?」

「いいから、さっさと消えなさい!!」

「・・・かしこまりました」

一番そばにいてほしい・・・いてほしかった人の足音が遠ざかってゆく。

それが完全に聞こえなくなった瞬間、アスカは枕に顔をうずめ、声が外に漏れないようにして泣いた。

 

アスカの目を覚まさせたのは、携帯電話の着信音だった。

いつの間にか泣き疲れて眠っていたらしい。まだ日が高いところを見ると、そう時間はたっていないようだが。

ディスプレイに表示されたのは、ゆうべからネルフにいるはずのミサトの名前だ。寝転がったまま、通話ボタンを押す。

「もしもし」

『アスカ!シンジ君が!』

アスカの意識が一気に覚醒し、上半身が跳ね起きた。

「シンジが!?どうしたの!?」

『うちのベランダから飛び降りたらしいのよ!』

「えっ!?」

アスカの体が大きく揺れた。

『幸い、街路樹の上に落ちたみたいで、それがクッションになって軽傷で済んだわ。

 けど、意識を回復したとたん、彼、また自殺を図ったのよ。

 理由を訊いても、『僕は消えなきゃならない』って言うだけで・・・

 仕方ないから、今は薬で眠ってもらってるわ。

 アスカ、最近彼の行動に不審な点とかなかった?・・・アスカ?』

アスカは何も答えない。答えられない。

『アスカ!?』

「それ・・・あたしのせいよ」

『え!?』

「・・・・・・」

『・・・周りが静かね。今、うちにいるの?』

「うん・・・」

『・・・迎えに行くわ。待ってて』

 

10分後、アスカを迎えに来たミサトは驚いた。あの気丈なアスカが、ベッドの縁に座って滝のように涙を流している。その上、

「ごめんね・・・シンジ・・・ごめんね・・・」

今までどんなに自分が悪くても、決して口にしなかった謝罪の言葉を繰り返しているのだ。

「・・・アスカ、何があったか、話してくれる?」

アスカが落ち着くのを待って、ミサトはアスカの涙ながらの『自供』を聞いた。

裸を見られたのを利用して、シンジを『奴隷』にしたこと。

それを親友たちに非難され、家に逃げ帰ったこと。

心配して追ってきてくれたシンジに、『消えろ』と言ってしまったこと。

シンジが飛び降りたとき、自分は部屋で泣き寝入りしていたこと。

全てを聞き終わったあと、ミサトはアスカの頬を殴った。

その直後、ミサトに抱きすくめられたアスカは、その胸の中で再び号泣した。

 

 

「シンジ君ね、前の学校で、ひどいいじめに遭ってたのよ」

ネルフに向かう車の中で、ミサトはアスカにシンジの過去を話し出した。

「当時からまじめでおとなしい性格だったシンジ君は、悪ガキどもの格好の『ターゲット』にされたわ。

 そして毎日毎日、肉体と精神にありとあらゆる苦痛を与えられ続けたの・・・何の理由もなく、ね」

「抵抗しなかったの?」

「したわよ。でも、無駄だった。

 逆らえば、2倍、3倍になって自分に返ってくる。

 周りの人間たちは、自分に累が及ぶのを恐れて見て見ぬふり。

 教師に訴えても、『何とかする』と言ってそれっきり・・・

 さらにそれがばれると、『告げ口した』と言われて、もっとひどくいじめられたのよ」

「・・・・・・」

アスカは涙を流しながらミサトの話を聞いている。それは同情と、後悔の涙だった。

ミサトは、さらに話を続ける。

「まさに孤立無援・・・そんな状態で、シンジ君はよく戦ったわ。自殺しなかったのが不思議なくらいにね。

 けど、そのあとの彼の選択は、死ぬよりつらいものだった。

 ある時とうとうシンジ君は耐えきれなくなって、自分をいじめた人間にひざを折って許しを請うた。屈服してしまったのよ。

 その瞬間から、シンジ君は『奴隷』になった・・・」

アスカが唇をかみしめた。ミサトの声も震えている。

「使いっ走りをやらされたり、時には犯罪の片棒をかつがされたりもしたわ。ばれた時に責任を背負わされるための『いけにえ』としてね。

 当然、拒否すればひどい暴力が待っている。彼に選択の余地はなかった。

 そうやってシンジ君は、従順な奴隷として『教育』・・・いえ、『調教』されていったのよ」

あの流暢(りゅうちょう)な奴隷言葉と、卑屈な奴隷根性は、その時に教え込まれたのだろう。

いや、文字通り『たたき込まれた』に違いない。『奴隷』という言葉を聞いただけで、『自分』を消してしまえるほどに・・・。

「・・・ひどい」

「ええ、まったくひどい話よ。実際にそれを見てた人間は、さぞつらかったでしょうね」

「え?・・・どういうこと?」

「碇司令の息子であるシンジ君には、当時から保安部がガードとしてついていたのよ」

「だったらなんで!!」

「碇司令の絶対命令よ。『生命の危険がない限り、何があっても手を出すな』って・・・」

「なんて父親なの!!」

「ところがある日、ガードの一人があまりのいじめのひどさにキレちゃってね・・・

 命令を無視して、シンジ君をいじめてたヤツら全員を病院送りにしちゃったのよ。

 想像できる?保安部の人間をキレさせるいじめって」

ネルフ保安諜報部の人間といえば、過酷な拷問にも耐え得る強靱な精神力・忍耐力が要求されるはずである。

そんな人間が、怒りのあまり自らの任務を忘れるような状況・・・そんな状況下に、シンジはいたのだ。

アスカはシンジを思い、ただただ泣くことしかできなかった。

だが考えてみれば、自分もそんな奴らと・・・シンジをいじめていたクズどもと同類なのだ。

(『人間として最低よ』)

心に刺さったままのヒカリの言葉が痛い。

「・・・そうして、彼をいじめる人間はいなくなった。けどそのあとに、もうひとつの悲劇が待っていたのよ」

「もうひとつの・・・悲劇?」

「ええ。悪ガキどもがいなくなると同時に、今まで遠巻きに見ているだけだった生徒たちが、彼のそばに集まってきたの。

 とばっちりを恐れて傍観を決め込んでた人間たちが、安全になったとたん手のひらを返したように寄ってくる・・・

 それを見て、シンジ君はどう思ったかしらね」

アスカが息をのんだ。

「そう、この一件以来、彼は極度の人間不信に陥ったのよ。

 そして他人との接触を避け、決して誰にも心を開かなくなった・・・

 そんな時、碇司令が彼をここに呼んだのよ」

「でも、それって・・・!」

「そう、初号機に乗せるためよ。

 そのことは当然シンジ君には伏せてあったけど、彼にとってはそれさえ『どうでもいいこと』にすぎなかったのよ。

 ただ、あの場所を逃げ出すための口実がほしかっただけ。

 父親は息子を利用し、息子は父親を利用した・・・彼には『家族』さえなかったのよ」

ついに瞳から落ちた涙をぬぐいながら、ミサトは話し続ける。

「私はシンジ君をうちに引き取って、少しずつ彼の心を解きほぐそうと努力したわ。

 でもある時、私のもうひとつの顔・・・サードチルドレン監視役としての顔を知られてしまったの。

 彼は家出したけど、保安部によってあっという間に連れ戻された。

 その時、彼ははっきりと悟ったのよ。もう自分は『逃げ場』を失った、ってことをね・・・

 あなたに『消えろ』と言われたとき、真っ先に死ぬことを考えたのは、そのせいよ」

そこまで話したとき、車が止まった。ネルフ本部に到着したのだ。

「あ・・・あたし、あたし・・・」

自分が言ってしまったこと、してしまったことの恐ろしさに、アスカは顔色(がんしょく)を失い、ガタガタと震えている。

そんなアスカを、ミサトが大喝した。

「しっかりしなさい、アスカ!!

 あなたには、もうわかってるはずよ!!

 自分の為すべきことが何なのか!!」

アスカは驚いた。二重の意味で。

「あたしの、為すべき・・・こと?」

そして、何かに思い至ったように目を上げる。その表情に、もう迷いやおびえは見られない。

「ミサト、シンジの病室はどこ?」

「第3外科病棟308号室」

ミサトが言い終わる前に、アスカは車のドアを開けていた。そして、

「ミサト」

「何?」

「・・・ありが

バン!

言い終わる前にドアが閉まる。走り去ってゆくアスカの背中に、ミサトは親指を立て、微笑みのエールを送った。

 

 

薬がまだ効いているのか、シンジはこんこんと眠り続けている。

そのそばにアスカはたたずみ、その姿をじっと見つめていた。

ベッドに横たわるシンジは、全身を包帯に包まれている。だが、それだけではない。

両手足をベッドに拘束され、口には何か器具をくわえていた。

アスカはその器具が何か知っている。捕虜が舌を噛み切って自殺しないようにくわえさせるためのものだ。

アスカは拳をグッと握りしめた。このシンジの姿こそ、自分の罪そのものなのだ。

(『人間として最低よ』)

心に刺さったヒカリの言葉は、自分の力で引き抜かねばならない。

きっと今まで以上に痛むだろう。出血も激しくなるに違いない。

しかしそれでも、自分はその痛みと、今から戦わなければならないのだ。

それはきっと使徒との戦いなんかより、もっとつらくて大事な戦い。

「・・・ん・・・んん・・・」

シンジが目を覚ました。戦闘開始だ。

シンジはベッド脇に立つアスカを見ると、

「うー!うーうー!」

何かを訴えながら、必死に身をよじった。

アスカにはわかっていた。シンジは必死に『消え』ようとしているのだ。

自分が最後に与えた命令を、忠実に遂行しようとしているのだ。

『奴隷』として。

アスカは涙をこらえ、叫んだ。

「おとなしくしなさい!!」

とたんにシンジの動きが止まる。

「今からあんたを自由にしてあげるけど、自殺しようとするんじゃないわよ!

 あたしの前から消えるのもなし。そのままおとなしく寝てなさい。わかった?」

シンジはうなずいた。

「よろしい」

アスカはシンジの戒めを解いてゆく。手が自由になると、シンジは口の器具をはずし、アスカに問いかけた。

「アスカ様・・・なぜ、こちらに?」

足の拘束具をはずし終わったアスカは、その質問に答えることなく、シンジの目を見すえて言った。

「今からあたしが訊くことに、正直に答えて。

 『あたしが喜びそうな答え』や、『奴隷としての模範解答』じゃなく、『あんた自身の正直な気持ち』を答えるのよ。

 あたしはあんたが何を言おうと、怒ったり殴ったりしないから。いい?」

「・・・はい」

「じゃあ訊くわね。ゆうべから奴隷としてあたしの命令を聞いてきて、どんな気分だった?」

「・・・悲しゅうございました」

「『悲しい』?『つらい』じゃなくて?」

「はい。何と申しましょうか、アスカ様がアスカ様でなくなってしまわれたようで・・・」

「あたしが・・・あたしでない?」

「はい。普段のお元気で明るいアスカ様からは想像もできないような、つらそうなお顔をなさっておいででした。

 アスカ様のご命令を受けること自体はつらいと思いませんでしたが、そのお顔を見るたびに、悲しくなりました」

こいつはどこまで優しいのか。そんな言葉を聞かされたら、もう・・・。

「・・・これからあんたに最後の命令を下すわ。その命令が遂行できたら、あんたを自由にしてあげる。

 いい?命令するわよ」

「はい、何なりと」

シンジが答えた瞬間、アスカはその瞳からあふれる涙もそのままに、シンジに抱きついた。

「アスカ様!?」

もう一生、誰の奴隷にもならないで!!

 誰の命令にも従わないで!!

 あなたはあなた自身の意志で生きて!!

 ・・・お願いよぉ、シンジぃ・・・」

「・・・わかったよ、アスカ」

シンジはアスカの背中に腕を回し、トントンと優しくたたいた。

「ごめんなさい、シンジ・・・許して・・・許してぇ・・・」

アスカは泣きながら許しを請う。が、

「アスカ・・・好きだよ」

そうシンジにささやかれ、涙が止まる。

「うそ・・・」

「嘘なんかじゃないよ・・・僕はアスカが好きだ。愛してる」

「嘘、だって、だって・・・」

自分はあんなにひどいことをした。百歩譲って許してはもらえても、愛してもらえることなど永久にないはずだ。

いや、愛されてはならないのだ。それが自分への罰なのだ。

「ダメよ!!あたしなんかを好きになっちゃ!!」

いやだ!!僕はアスカが好きだ!!

 アスカが言ったんじゃないか、『自分自身の意志で生きろ』って!!

 僕は僕自身の意志で、アスカを愛する!!

 アスカが何と言おうと、絶対に放さない!!

 アスカが誰を好きだろうと、絶対に誰にも渡すもんか!!」

シンジが、アスカの背中に回した腕に力を込める。

アスカは気づいた。この強い意志・・・これこそが、シンジの本当の姿なのだと。

過酷ないじめによって押しつぶされていたシンジ本来の心が、今よみがえったのだと。

「シン・・・ジ・・・」

アスカもシンジを力いっぱい抱きしめ返した。想いの強さを伝えるために。

こんなに幸せになっていいのだろうか。もうこれ以上の幸せを望んだらバチが当たる。それなのに、

「絶対、幸せにしてみせるから」

そんなこと言われたら、

「うわあぁぁーん!!!」

もう泣くしかない。

 

その後、二人はお互いの心を全て相手にさらけ出し、見せ合った。

過去のトラウマに始まり、今までの出来事やそれに対する自分の気持ち、相手や周囲への考えなどを、包み隠すことなく相手に伝える。

納得できないことや許せないことがあった時には、それを指摘して納得いくまで話し合い、許し合った。

どうしても折り合いのつかないこともあるにはあったが、それでも相手を嫌いになる理由には不足であった。

長い時間をかけて全てを話し終えた二人の間に、沈黙が訪れる。

その沈黙に、二人は学んだ。

唇に、しゃべる以外の使い道があることを。

そしてそれさえ知っていれば、ある特定の感情を伝えるのに言葉など必要ないことを。

 

 

シンジが退院した翌日。

「「おはよー♪」」

何日かぶりに、朝の教室にアスカとシンジの元気な声が響く。二人はこの数日間、無断欠席扱いになっていたのだ。

「アスカ!」

自分の言葉がアスカを傷つけたと思っていたヒカリは、久しぶりに聞く親友の声に即座に反応した。

あのあと、心配して携帯に電話したがつながらず、家にもおらず、ネルフに問い合わせても『機密』と称して教えてくれない。

優しいヒカリはアスカと、彼女と一緒に行方をくらましたシンジのことが気がかりでしょうがなかったのだ。

だが、声のした方を向いたヒカリは・・・そのまま固まった。

シンジだけを心配し、いまだにアスカのことを軽蔑しているトウジとケンスケも、その感情を視線に乗せてそちらを見やり・・・やはり目を見開いて固まる。

アスカは、シンジの左腕にしっかりとしがみつき、その肩に頭をもたせかけて幸せそうに笑っていた。

シンジも、右手に二人分のカバンを持って、満面の笑みを浮かべている。

「「「・・・・・・」」」

3人は、まだ固まったままだ。

「やだ、どうしたのよ、ヒカリ?」

名前を呼ばれた瞬間、それが呪縛を解く合図であったかのように、ヒカリが正気に戻った。

「あ、アスカ、それ・・・」

「これ?見ての通りよ。

 あたしたち、恋人同士になったの♪」

「そーいうこと♪」

「「ね♪」」

アスカとシンジが見つめ合い、最高の笑顔でユニゾンする。

「そ、そう、奴隷ごっこはもうやめたのね」

「何言ってんの、シンジは永遠にあたしの奴隷よ」

そのアスカの一言に、ヒカリの目が一瞬にしてつり上がる。

「アスカ!!」

「た・だ・し!!」

アスカは両腕をシンジの左腕から首に回し直し、なんといきなりシンジと唇を重ねた。

呆気にとられる周囲をよそに、唇を離すとアスカは言い放つ。

「・・・『恋の奴隷』だけどねっ♪」

シンジは突然のことにうろたえて・・・

「アスカだってそうだろ?」

・・・いない。

「もちろんよ♪」

再び重なる二人の唇。

そんな二人を見ながら固まるヒカリの肩を、トントンとたたく者があった。トウジとケンスケだ。

3人は円陣を組んでしばらく何か相談していたが、しばらくしてそれを解くと、

「「「イヤーンな感じ!!」」」

変なポーズでユニゾンをキメるのだった。

−了−


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♪あなたと〜、逢ったあの(JASRACフィールド展開!!)

・・・歌詞全文載せても、誰も知らねーだろーな、こんな古い歌・・・。

あ、どうも、ズレイブ・・・じゃねーや、ブレイズです。

今回の話を思いついたきっかけは、あちこちのHPを回っていろいろなSSを読んでるうちに、

(そーいや、アスカがシンジを必要以上にいじめてるSS多いよなー)

と、思ったことです。

私自身いじめられっ子だった(作中のシンジほどひどい目には遭ってませんが)せいもあり、そういう感じの作品はあまり好きではありません。

そこで、あえてその醜さをエスカレートさせて浮き彫りにし、批判してみたわけです。

つまり本作のテーマは、『いじめ、かっこわるい』・・・(絶叫)。

いや、でもいじめが許せないってのはマジですよ、ええ。学校でも、職場でも、そしてLASでも。

やっぱり、シンジとアスカはベタ甘らう゛らう゛でしょー!!(力説)

というわけで、次回作はこの続編です(またかい)。ベタ甘のギャグ系LASです。二人の愛の『暴走』にご期待下さい。

ブレイズでした。ありがとうございました。