第2次世界大戦で日本の敗戦がきまった直後から、各地で公文書の焼却がはじまった。戦争犯罪の追及をおそれてのことだった。政府や軍だけでなく、指示は市町村にまで及んだ。

 言論弾圧事件として知られる横浜事件の裁判記録も、このとき処分されたとみられる。

 元被告の遺族らが「記録がないのを理由に再審の門を閉ざされるなど、一連の行為で損害をうけた」と国に賠償を求めた裁判で、東京地裁は先ごろ請求を退ける判決を言い渡した。警察による拷問、その事実を知ったうえでの有罪認定、記録の廃棄など違法な対応はあったが、国家賠償法ができる前の話で、責任は問えないとの判断だ。

 別の裁判で、当時の捜査や司法の過ちはすでに認められ、元被告らの判決も効力を失っている。とはいえ、権力による違法行為の証拠を、権力が自ら隠滅したのに、すべて不問に付される。この理不尽さに対する遺族の憤りと不信は、多くの人が共感するところだろう。

 71年前の行為を、敗戦の混乱の中で起きたそのとき限りの話と片づけることはできない。

 差しさわりのある記録は、隠す、なくす、作らない。市民に背を向け、歴史に対する謙虚さを欠いた体質は改められないまま、今に引き継がれている。

 沖縄返還時の密約文書、長野五輪招致の会計帳簿、薬害エイズをめぐる旧厚生省内の討議資料、海上自衛隊が行ったいじめ実態調査の結果――。あるべき文書が廃棄されたり、ないとされたものが後から出てきたりした例は枚挙にいとまがない。

 最近も、集団的自衛権の行使に関する内閣法制局内部の協議が、記録として残されていないことが明らかになった。

 「行政文書を適切に管理し、国の活動を現在および将来の国民に説明する責務をまっとうする」。そう宣言した公文書管理法が2011年に施行された後でも、このありさまだ。

 管理するだけでない。その記録を適切に開示し、国民の理解と批判の下においてはじめて、民主主義は機能する。

 民主党政権のころ、「文書を開示しないとき、行政庁は理由をできる限り具体的に記載しなければならない」などの条文を盛りこんだ情報公開法の改正案が閣議決定された。「文書はない」との言い訳に逃げこむのを封じる狙いがあったが、審議されないまま廃案になった。

 もう一度議論をおこし、この国のゆがみをただす。それが、横浜事件の元被告らの無念に、私たちがこたえる道である。