祝 ウルトラマン 50 乱入LIVE!怪獣大感謝祭

インタビュー ウルトラマン スーツアクター 古谷敏氏

『ウルトラQ』で、宇宙人「ケムール人」と海底原人「ラゴン」を好演。作品の美術全般を担当して怪獣もデザインした成田亨氏が長身でさっそうとし、バランスのとれたプロポーションを絶賛。『ウルトラマン』では主役のウルトラマンに抜てきされる。メロドラマの二枚目俳優を志していた古谷敏さんにとって、その撮影はあまりに過酷で辛い日々だったそうです。何回も辞めようと思った、という古谷さんの当時のご苦労や、スペシウム光線誕生秘話、心に残る怪獣やストーリーについて、お話をうかがいました。


どんなに苦しくても、マスクを脱ぐ時は笑顔で。

ウルトラマン役のオファーをいただいたのは、東宝専属の俳優になって5年目でした。 僕は、東宝スターの宝田明さんに憧れてメロドラマの俳優をめざしていたので、大変、抵抗がありました。顔も出ない、台詞もない、そんな役は嫌だな、と。
美術デザイナーの成田さんが僕のことを気に入って、「中に入るのは俳優じゃなきゃダメなんだ、敏ちゃんしかいない」と口説かれました。撮影が始まると、想像を絶する過酷さで。
まず、ウルトラマンのスーツが素肌に密着して冷たい。僕はビキニパンツ一枚で、裸同然でしたからね。
それにマスクの視界が悪くて、前が見えない。かすかに相手が動いているのがわかるくらいで。さらにスーツに全身を覆われて息苦しいし、耳も聴こえにくい。怖かったですね。
でも「どんなに大変でも、マスクを脱ぐ時は笑顔でいなさい」と祖母が僕に言ったんです。辛い顔をしてたら、まわりのスタッフも嫌な思いをするから、と。最初、僕がウルトラマンのスーツアクターをやろうか迷っている時に勧めてくれたのも祖母でした。「みなさんがそんなに求めてくださるならやってみたら」と。撮影中、怒鳴られてばかりで、くじけそうになると、僕は手の平に大好きなその〝おバアバ”の顔を思い浮かべて、じっと見つめました。辛さを口にできない僕が、その場を耐え忍ぶおまじないだったんです。撮影現場の写真の中に、待ち時間のウルトラマンが手の平を見つめている姿、けっこうあるんじゃないかな(笑)。

燃えさかる炎の中での撮影

1日300回、スペシウム光線を練習しました。

ドラマ班※1だった飯島敏宏監督が特撮の現場にいらした時、特撮班の的場徹監督とカメラマンの高野宏一さんと光線を描く中野稔さんと僕とで、ウルトラマンの決め技について、どう見せるのがいいだろうという話になったんです。口から何か出すのは怪獣みたいだし、目から出るのも違うよな、といろんな意見が出て。
そのうち「敏ちゃん、腕をいろんな形で動かしてみよう」と言われて、やってみたわけです。すると腕を縦にして光線を出すのが一番いい、ということになって。光線はアニメの要領で描いて合成するんですが、腕が一本だとぶれて合成が難しくなるから、左手を添えて支えたらいいんじゃないか、とあの形が固まった。丸一日かかりました。僕はウルトラマンの姿のままいろいろなポーズをしていたので、帰る時はヘトヘト。
これをウルトラマンの決め技にしよう、と毎日、鏡に向かって練習しました。構えた手でカラータイマーを隠さないように、とか工夫しながら1日300回は練習しました。形が決まるまで本当に大変でした。それだけに愛着があるんです。成田さんが「手が長くてきちっと組めていて、これは生きた彫刻だ。これこそウルトラマンなんだ」ってほめてくれた時は、嬉しかったぁ。
50年経った今も、鏡を見ると、ついスペシウム光線をやってしまいます。

※1 当時は、ドラマを撮る本編班と特撮部分を撮る班に分かれて制作していました。

スペシウム光線を出すウルトラマン

怪獣を倒さないで大空に帰したい、と頼んで。

ウルトラマンは毎回、スペシウム光線で怪獣を倒すわけですよ。僕は、それが辛くてね。
「怪獣を倒さないで、そのまま帰す回があってもいいんじゃないですか」って、脚本家の金城哲夫さんに話をしたんです。強いだけのウルトラマンじゃなくて、もっとやさしいウルトラマンにしたい、って。しばらくして金城さんが「今度ね、ヒドラって怪獣やるから。これは倒さないで帰すんだよ」って。僕は、「えーっ!」と驚きました。格闘シーンの撮影の時、ヒドラの攻撃が痛くてね。クチバシとツメは鋭いし、突かれてキズだらけになりました。そんな大変な戦いをしても、この怪獣は悪くないんだ、って演技をして。この回のウルトラマンは、スペシウム光線を発射しようとするけれども、組んだ手を解いて、撃つのをやめる。
なぜ撃たないかというと、ヒドラは、交通事故の犠牲になった少年の魂の使いなんです。その子の魂を背中に乗せて飛び去るヒドラを、ウルトラマンは倒さずに見送るんです。あの感情の入れ方とか臨場感が良かったよ、ってみんながいってくれたので、ウルトラマンがやさしくてもいいんだ、って心からホッとしてね。だから僕は、ヒドラの話※2が一番、好きなんです。あとはジャミラの話※3も好きですね。かわいそうなんだけど、倒さなくちゃならないという葛藤のシーン。僕の心情も、演技で出せたんです。撮影の前には、ジャミラ役の荒垣輝雄さんと、ああしようこうしようって話し合いました。子供たちに嫌な思いをさせないためにはどうすればいいかって。ただ倒せばいい、というのでは子供たちは納得しないんです。地球に戻りたかったジャミラの気持ちを思いながら戦いました。僕の台本に台詞はありませんが、自分で考えた台詞を心の中でつぶやきながら演技していました。「ジャミラごめんなぁ」とか「シーボーズ、お前、素直に帰れよ」とかね。あの時、役者は台詞だけじゃないんだ、って初めてわかりました。

※2 『ウルトラマン』第20話「恐怖のルート87」
※3 『ウルトラマン』第23話「故郷は地球」

少年の魂を乗せて飛び去るヒドラ
ジャミラとの戦い

戦いやすい怪獣と、戦いづらい怪獣。

戦いやすかったのは、シーボーズ※4。これはスペシウム光線で倒さない怪獣。
宇宙から落っこちてきちゃったのを帰してあげるという思いやりのある展開でした。
あとは、大阪城のゴモラ。ゴモラ役が友だちの鈴木邦夫さんでしたから、僕がやりやすいように、動いてくれるんです。親しい仲間が怪獣役の時はいつも戦いやすかったですね。戦いづらかった怪獣は、ジラース。ジラース役は東宝で大先輩にあたるゴジラ役で有名な中島春雄さんでしたから。殺陣(アクションの段取り)も中島さんが決めて、本気で向かってこいと言われるし、中島さんは本気で殴るから痛いんですよ(笑)。ネロンガ、ガボラ、キーラも中島さんでした。
スーツは薄いですから、キズが絶えませんでした。でも後で画面を見ると、中島さんと戦っている姿はやっぱりカッコいいんです。中島さんに本気で向かっていった価値があったな、って思いましたね。
ある時、僕も怪獣の中に入ってみたことがあるんです。そしたら重くて立てなかった。怪獣は足が短くて、僕は足が長いから、足が曲がる部分にうまくはまらなくて這うこともできませんでした。中島さんは簡単に立ったり歩いたりしてるように見えたけど、こんなに怪獣って大変なんだってあらためて感じました。

※4 『ウルトラマン』第35話「怪獣墓場」

亡霊怪獣シーボーズ
エリ巻恐竜ジラース

最終回、マスクの中で流した涙。

「ウルトラマン」は最高視聴率が40%を超える大ヒットになりました。しかし、特撮班の撮影に毎回時間がかかって、制作が放送に間に合わないということで、やむなく39話で打ち切りになってしまうわけですけど、僕自身は、まだまだやりたかった。最終回、監督さんの「カット!」の声がかかって、ウルトラマンの出番が全部終わると、スタッフ全員が拍手をしてくれたんです。僕は感無量でね、マスクの中で泣きました。
それまで辛くて流した苦しい涙や悔し涙はありましたが、嬉し涙は初めてでした。
ウルトラマンは僕の宝物です。愛おしくて、愛おしくて、しょうがない。苦しい思いをしながらも、本当にやってよかったって思います。ウルトラマンの原点は、「やさしさ」なんですよ。顔を見ただけでホッとするでしょ。だから、長い間にいろんなウルトラマンが出て来ましたけど、顔の基本は初代ウルトラマンと同じホッとする顔だから、50年も続くんですよね。この先の50年もみなさん応援してください。ぜひみなさん、お元気で100周年も迎えてやってくださいって、今は、そんな気持ちでいます。

古谷 敏氏 プロフィール

1943年7月5日東京都港区出身。東宝演劇学校卒業後、東宝第15期ニューフェースとして東宝に入社。『ウルトラQ』では宇宙人「ケムール人」と海底原人「ラゴン」を、『ウルトラマン』では主役のウルトラマンを、スーツアクターとして好演。『ウルトラセブン』では念願の「顔出しで演じる役」としてウルトラ警備隊のアマギ隊員役でレギュラー出演。著書に『ウルトラマンになった男』(小学館)がある。

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