『ウルトラQ』第21話の「宇宙指令M774」で初監督。以降、ドラマチーム※の監督として、『ウルトラセブン』では14本を演出。テレビ創世記の番組づくりについて「当時は巨大ヒーローのお手本がなかった。今日やることが、明日へのお手本。苦労といえばすべてが苦労、楽しいといえばすべて楽しかった」と語る満田監督に、当時の怪獣秘話やエピソードをうかがいました。
注:「かずほ」は漢字で正しくは「禾(のぎへん)」に「斉」です。文字コードにないため平仮名表記にしています。
※当時は、ドラマチームと特撮チームに分かれて制作していました。
かわいい怪獣No.1は、ピグモン。
当時は予算もありませんから、怪獣もいろいろ工夫をしました。
『ウルトラQ』第13話「ガラダマ」のとき、特撮監督のアイデアで怪獣を小さく作ればセットも小さくて済むんじゃないかと、巨大な怪獣のガラモンをミニサイズで作ったんです。たいていの怪獣は2mくらいあって僕たちよりデカい。ところが、身長140㎝くらいの小さなガラモンが撮影現場をウロチョロしてるとかわいいんですよね。小さな人に中に入ってもらってね。
それを見た円谷一監督が、これは作品に出しても面白いんじゃないかって、ガラモンのぬいぐるみをそのままピグモンとして使ったんです。
ピグモンは、『ウルトラマン』第8話「怪獣無法地帯」でデビューして、私が撮った第37話「小さな英雄」でもふたたび登場。この回の視聴率は40%を超えて『ウルトラマン』のシリーズ最高記録になりました。
そういう意味でも愛着があるので、僕にとって一番かわいい怪獣はピグモンです。
あと、僕は新人だったので作品に予算があまりかけられなくて、怪獣を新規に作ってもらえなかった。それで東宝からゴジラを借りてきて作ったのが、『ウルトラマン』第10話「謎の恐竜基地」です。
ゴジラのぬいぐるみを、決して傷つけないことが借りる条件だったので、どこも切り刻まずに別の怪獣にしなくちゃならない。そこで、苦肉の策として作ったのが、首に大きなヒレをつけたエリ巻恐竜ジラースだったんです。ウルトラマンがエリ巻きを剥がすだけの闘いなら、ゴジラは傷つかないだろうって(笑)。
このウルトラマンとゴジラの対決が忘れられないって人、けっこう多いんです。
怪獣のネーミングも、ウルトラ級。
僕の予想では、今回のウルトラ怪獣人気投票ベスト3は、ピグモン、バルタン星人、レッドキング、ゴモラあたりで争うんじゃないかなと思っています。人気者ですから。
怪獣たちのキャラクターもそうですけど、ネーミングもユニークでしょう。
当時、怪獣の名前は脚本家がつけてきたり、現場でつけたり、マチマチでした。
脚本家の金城哲夫さんは沖縄語で考えたりもしていましたね。脚本家の佐々木守さんは、ネーミングする係の人がほかにいると思っていたらしいんですよ。それで脚本の段階では自分で適当に「ガマクジラ」ってつけておいたら、それがそのまま正式な名前になっちゃったって言ってました(笑)。数えきれないほどの怪獣がいますからね、何が大変って、名前をつけるとき、商標登録できるかも条件だから、余計に難しいんです。後半になると、なめくじ怪獣ジレンマとか酔っぱらい怪獣ベロンとか(笑)。50年の間に誕生した怪獣の名前も、宝物です。
時間との闘いの中、みんな楽しんでいた。
どんなご苦労がありましたか、とよく聞かれますが、すべてが苦しくて、すべてが楽しかったです。
週に一回、放送しなくてはならないので、間に合うかどうか、常に時間との闘い。ストーリーを考えて、脚本をあげて、プランを練って、撮影場所を探して、撮影をして、編集をして、昔は同時録音じゃなかったのでアフレコをして、ダビングといって音楽や効果音を入れる。それでようやく完成したわけです。いかに面白いストーリーを考えるかで90%が決まると思っています。お金をかけない、知恵の出し合いが勝負。『ウルトラQ』第13話の「ガラダマ」で、助監督だった僕は、脚本家の金城さんと水上温泉の奥の方にシナリオハンティングに行きました。うっそうとした、いかにも怪獣が出てきそうな場所があって、もしも怪獣が出てきた時のために今のうちにお互いの役割を決めておこうか、と話してね。1人は怪獣を見張る役で、もう1人は走って消防団か警察に届ける役。そんな風にシミュレーションしながら、自分たちも楽しんでました。とにかく楽しい話を創りたい、30分間、ただただ楽しんで見てもらえる番組を創りたい、って、それしかありませんでしたね。
オヤジさんの「光る眼」があったから。
円谷英二監督※のことは、オヤジさんと呼んでいました。テレビは新しいジャンルのものだから若い人たちでやりなさい、って20代~30代の僕らにすべて任せてくれました。直接、ああしろ、こうしろ、と言われたことはありません。熱心にラッシュを見に来てくださったり、編集をしていたら知らない間に後ろに立たれていて、その場面はもう1秒くらい伸ばしたら? と一声かけてくださったり。スタッフ、出演者全員にとって、常にオヤジさんの「光る眼」があったからこそ、とにかく面白いものを創りたい、オヤジさんのためにもいいものを創ろう、っていう気持ちで、みんな団結していました。自由に創らせてもらえたから精神的な環境はとても良かったです。オヤジさんに褒められると嬉しくてね。また、もっといいものを創ろう、って。テレビというジャンルでキチッとした土台をその時に築くことができたから、上に重ねても崩れない今があるんだと思います。オヤジさんの「光る眼」があったから、ウルトラマンシリーズが50年も続いてきたんだと思います。
※ウルトラマンシリーズを制作した「株式会社円谷特技プロダクション」初代社長。特殊撮影技術の第一人者。独自の技術で特撮映画界に多大な功績を残し、「特撮の神様」と呼ばれる。
ウルトラマンシリーズすべてが、自分の子供みたいなもの。
ウルトラマンの番組制作に携われて本当にラッキーでした。50年経っても「ファンなんですよ」と声をかけてくださる方がいっぱいいて、ありがたいです。イベントに行っても、私のこともまだ忘れないでいてくださる。心から、ウルトラマンに、どうもありがとうと言いたいです。
満田かずほ監督 プロフィール
1937年8月20日長崎県長崎市出身。早稲田大学商学部卒業。1964年円谷プロダクション入社。
「ウルトラマンシリーズ」ドラマチームの監督として、「ウルトラQ」から「ウルトラセブン」まで合計20本を演出。「ウルトラマンA」や「ウルトラマン80」でも演出を手掛けて、企画者、プロデューサーとしても数々の作品を送り出す。音楽の側面においても手腕を発揮。「マイティジャック」や「ジャンボーグA」では作詞家「清瀬かずほ」として、主題歌・挿入歌の作詞も手がける。熊本県荒尾市にあったウルトラマンランドでは初代館長に就任して、後に名誉館長を務めた。