「運動の前後にはストレッチをして筋肉を伸ばしましょう」
体育の時間や部活の練習で必ずと言っていいほど言われたことがあると思う。このように筋肉をゆっくりと伸ばすタイプのストレッチを”スタティック・ストレッチ(静的ストレッチ)”などと呼ぶ。
ぼく自身もこれまでトレーニングやスポーツを行う前、終わった後にスタティックストレッチを行っていたが、現在ではこの習慣をやめている。理由としては静的ストレッチを行う事でパフォーマンス(最大筋力、筋パワーなど)が低下する恐れがあるからだ。
https://www.anatomytrains.com/wp-content/uploads/manual/meta-analysis.pdf
このmeta-analysisという手法は個々の研究の結論よりエビデンスレベルが高いとされる。
発揮される筋力の種類によって低下率などが違ったり、ネガティブな影響が統計的に有意とは言えない項目もあるが、取りあえず”静的ストレッチは運動パフォーマンスを低下させる”という事実はあると考えて良いだろう。
この理由は究極のトレーニング 最新スポーツ生理学と効率的カラダづくりによると筋紡錘という筋の長さの変化を感知する受容器の感度が低下し、脊髄中にあるα運動ニューロンと筋紡錘内にある、錘内繊維を支配するγ運動ニューロンの2つが働くγ-α共役がうまく機能しなくなる可能性が考えられるとされている。
この結果を受けて、どのような行動を選択するか?「静的ストレッチは悪」と実施するのをやめるだろうか?それも1つの選択肢だ。しかし、この結果だけで短絡的に決断をするのでは無く、頭のフィルターを通して決断してほしい。
今回の記事は静的ストレッチのネガティブな影響についての解説では無く、情報をどのように自身の行動に反映させるか?の1例として、ぼくが静的ストレッチを運動前に実施しなくなったプロセスについて解説していきたいと思う。
面倒くさいヤツになろう ~データを疑う~
【統計学入門】いかにしてデータは人を騙すのか - NO TITLEでも書かれているが、客観的データを見る時に疑った目で見ることは重要だ。
その為に今回ぼくが実施した方法が、面倒くさいヤツを自分の中に作って、上記の文献を読んで「ストレッチやめようかな…」と考えている自分へ疑問を投げかけることで、ウォームアップ&クールダウンをどのように行うかを決めたので、その”1人議論”の内容を対話形式で記事にしたいと思う。
1.静的ストレッチの目的はパフォーマンスアップじゃなくて障害リスク低減にあるのでは?
Q.上の論文では筋パファーマンスに対するネガティブな影響について説明されているが、多くの運動愛好家にとってストレッチの目的は障害リスクの低減にあるので、筋パファーマンスの低減はストレッチを中止する理由にならないのでは?
A.確かに運動を楽しむ分には筋パファーマンスの低下は大きな問題にはならないかも知れれないけど、そもそもストレッチの障害リスク低減の効果自体、否定的な研究が多いので静的ストレッチを行う理由は無さそうかな~。
2.イチローはストレッチしてるけど?
Q.イチローは試合前に沢山ストレッチして、長年トップレベルでプレーしているけど、お前はイチローを否定するの?
A.まずぼくはイチローじゃないです。
イチローがトップレベルでこれまで欠場が少なくプレー出来ていたのは事実。そしてイチローが入念にストレッチをすることも事実。でも、それがストレッチに障害リスク低減の効果があるという根拠にはならない。
そもそもイチローの身体が頑丈なだけかも知れないし、比較的ハードなボディコンタクトが少ない野球という競技を行っているなどストレッチ以外にも多くの要因がありすぎる。タイムマシンで過去に戻ってイチローにストレッチをやめるように伝えて比較できればいいかもしれないけど…
それが出来ない以上、現在わかっている科学的知見を信じた方が個人的には良いと思うのよね。それにイチローの素晴らしいところはストレッチだけじゃなくて、自分で決めたルーティンを淡々とこなす、アスリートとしての姿勢にあるんじゃないかしら?
3.静的ストレッチのネガティブな影響はその後の運動で減らせるんじゃない?
Q.静的ストレッチのネガティブな影響をを調べた研究は静的ストレッチの直後に各指標を測定していることが多いが、実際の運動の現場では静的ストレッチの直後に大きなパワーを発揮するという事は無い。
例えば野球ならストレッチなどを行ってからキャッチボールなど競技に特異的な練習を始める。それらの運動によって試合が始まる頃には静的ストレッチによる筋パファーマンスの低下などは無視できるレベルになっているのでは?
A.仰るとおりです。でもそれって静的ストレッチを実施したほうが良いという理由にはならないんじゃ?
4.静的ストレッチによる筋パファーマンスの低下はわずかなので無視して良いんじゃない?
Q.静的ストレッチによる筋パファーマンスの低下は60秒以内であればたったの0.5%程度とされているけど?このくらいなら無視できるレベルじゃない?
https://www.anatomytrains.com/wp-content/uploads/manual/acute_stretch.pdf
A.これも静的ストレッチをやる理由にはならないでしょ。ネガティブな影響が無いと言われてもポジティブな影響が無いならわざわざ時間を割く意味が無いんじゃないかしら?
それに陸上競技などコンマ数秒を争う種目なら-0.5%ってスゴく大きいんじゃない?
5.競技前では無くトレーニング前なら行う価値があるんじゃないの?
Q.トレーニングでは扱える重量だけでなく、ROM*1も重要で静的ストレッチによって各関節の可動域を向上させ、大きな可動域でトレーニング出来るのであれば、多少扱える重要が低下してもトータルではプラスになるのでは?
A.これは完全に同意。ぼくも大きな可動域でトレーニングすることはスゴく大事なことだと思っている。関節の可動域に難がある場合、局所的に静的ストレッチを取り入れる価値はあると思う。ただぼくの場合、そのような問題は無いので静的ストレッチを行う必要は無いかと。
*1 Range Of Motion 関節可動域
6.ならどのようなウォームアップが良いんだよ?
Q.さっきから静的ストレッチを行う理由が無いと言っているが、それならどのような運動がウォームアップに適しているのか?
A.個人的には適度な有酸素運動やダイナミック・ストレッチ*1で体温を上昇させてから実際の運動に特異的な動作(野球ならキャッチボール、バスケならランニングシュートとか?)を行うのが良いと思う。
トレーニング前であればその日のメインの種目を軽めの重量から行って、フォームを確認しながらメインセットに入る。その時、メインセットで使用する重量より重い重量で数回運動をすることで”活動後増強”*2という現象が起こる。
これはカルシウムイオンへの感受性向上、ミオシン軽鎖のリン酸化、神経系の興奮、心理的な効果などの要因によって高強度の運動後に一時的に筋パファーマンスがUPする現象で、これを利用することでメインセットの質を高めることが出来るじゃないかしら?
例えばその日のメイン種目が120kgのスクワットで3セット×5回だとしたらその前に160kgでスクワットを1回する。その後、休憩を入れてからメインセットに入る。この休憩時間は8分~10分程度*3で良いんじゃない?
*1 動的ストレッチのこと 静的ストレッチの逆。ラジオ体操のように反動を付けた動作をバリスティック・ストレッチとも呼ぶ
*2 PAPと言われる。Post-activation potentiationの略
こんなやり取りが自分の頭の中で行われて、ストレッチをやめることにした。ちなみに1番の理由は時間の短縮だ。
なんだか答えている自分の方が面倒くさいヤツに見えるのは気のせいだろうか…
客観的データに対する行動の選択には幅がある
今回は”静的ストレッチは筋パファーマンスの低下リスクがある”という結果を受け、静的ストレッチをやめるか?その場合、どのようにウォームアップを行うか?を決定するまでに自分の頭の中で考えていた事を文章にしてみた。
この記事で何が言いたいかというと「客観的なデータ(科学的知見など)に対する行動の選択には幅がありますよ」と言うことだ。
今回、ぼくは記事冒頭のデータに対して
「スタティック・ストレッチを行うメリットはあまり無さそうな上に、デメリットは結構あるのよね…だったらやめちゃお。これでトレーニング時間も短縮できるし。」
という結論を出したが、これはあくまでもぼくの出した答えであって他の人に取って正解ではない点に注意して欲しい。
この考え方は何もダイエットやフィットネスの世界だけでなく、日常の多くの場面で役に立つものだと思っている。
ある情報をそのまま自身の行動に反映させるのではなく、頭のフィルターを通してよく考えてから行動を選択して欲しい。
身体だけでなく頭のフィルターも鍛えて快適な筋肉生活を…
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