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織田信雄の秀吉宛書状見つかる

07月09日 09時27分

織田信雄の秀吉宛書状見つかる

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「本能寺の変」で織田信長が亡くなった後の織田家の後継者について重臣たちが話し合った「清洲会議」の3日前に、信長の次男、信雄が羽柴秀吉の指示を仰いだとみられる書状が見つかりました。
専門家は、信長から秀吉の政権に移り変わる状況が伺える貴重な史料として注目しています。
この書状は、名古屋市の中京大学文学部の村岡幹生教授と播磨良紀教授の2人が、6月に東京の古書店から購入しました。
書状には清洲会議が開かれた3日前の6月24日の日付や、織田信雄のサイン、花押が書かれ、宛名には羽柴筑前守殿と記されています。
村岡教授によりますと、文面には、現在の三重県北部にいた信雄が岐阜城にいる羽柴秀吉に対し「私に連絡をください。近くに我が陣を寄せますと」と書いています。
また、信雄は、それまで使っていなかった織田家の花押を書いていて、秀吉に対し織田家の後継者であると誇示したのではないかとみられるということです。
さらに、書状を折り畳んだ際に重なる部分には花押の墨がついていて、墨が乾く前に急いで畳んで送ろうとしたのではないかということです。
この書状は7月16日と17日に行われる中京大学のオープンキャンパスで公開されます。

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