ストレンジャー・ザン・パラダイス
おとこってなぁよー、意外と純情だったりするんだ。
そいつはいい男なんだ。すごくモテそうな、貴公子みたいな顔してて。
まーお笑い好きすぎて頭おかしくなってんだけど。
そいつが真面目な顔して言ってた、
「浮気とか二股とか、おれは絶対無理だわ、できない」
ほーこんなイケメンでもそんなこと言うのかー、と思ったね。
男ってなぁ意外と純なもんなのよ。女たあわけが違う。
おんななんざぁちょっと頭撫でてもらえば誰にでも股ひらくだろ?
そんなこと平気でやってるよ。
だいたいあいつら3日にいっぺんしかうんこしないくせに
澄ました顔で平然としてんだから。
てえした面の皮だよ。まったく糞詰まりのくせして。
それからおれはそいつに言ったんだ、「でも二股とかしてる奴って、よく時間あるよなー」
「あー金とかも掛かりそうだしね」
「ていうかさ」おれは長年の疑問を問うた「いつTV見るの?」
「…いや、見ないんじゃないか」「まじで!」驚愕の事実。
「うん、たぶんそういう人はTV見ないと思う」
「…おまえTV見ないで生きていける?」「…無理」「だよなー」
TVを見ないで生きていけるという人の気持ちがわからない。
TVを見る人間をバカにする人っているけど、
他におもしろいもんなんてあるのか?
ぶっちゃけ人生よりTVのほうがよっぽどおもしろいんじゃね?
TVから離れる数年ってのは誰でもあるもんだと思う。
でもたいていは、またTVの前に戻るんだ。
だって結局TVぐらいしか何もないんだから。
TVディナーって言葉は、ストレンジャー・ザン・パラダイスに出てくる。
そこらで買ったやっすい飯をTV見ながら食う、これがTVディナー。
だって貧乏な独身の男にとって、TVを見ながら飯を食う、
それが一番贅沢な食事の仕方じゃないか。
ストレンジャー・ザン・パラダイスという、何も起こらない映画。
この映画を大切に思う人たちというのは、
まさにそこに、リアルな情景を見出すのだと思う。
何も起こらないという日常。しかしそれは確かに
ある普遍的な青春の風景でもある。
女一人男二人じゃなくたって、男二人だけでも女三人でも
あるいは一人ぼっちでもかまわない。
そこに共通してあるのは、何もない、という感覚。
自分は青春時代というものを経験してこなかった。
つまりそれがおれの青春時代ってこと。
そしてそういった人間はきっとたくさんいて、
十代の頃が一番楽しかったという人と同じくらい
十代はなんにもなくて焦燥ばかりで
一番退屈な時代だったという人も多いと思う。
そうして、自分を無駄にしてしまったという思いは
多くの人が持っているものだと思う。
過去を振り返って、あるいは今だってそうかもしれんが。
果てしなく無為に過ごしてしまったという思い。
自分の場合は、十代の一番いい時代を一人で酒を飲むことに費やしてしまって、
まー今は酒は飲まないけどそんなのもう遅くて、
あの時代に失ってしまったものはとてつもなく大きい。
そこには二重の喪失がある。
青春時代が過ぎ去ってしまったこと、そして
そもそもその青春時代というものが存在しなかったということ。
不在を喪失することも可能なんだ。
ストレンジャー・ザン・パラダイスを観ると、あの頃の空気を思い出す。
何もない、何も起こらないということが起こっていた時代。
思い出せるものなんて何もないから
ただ、あの空気だけを思い出す。
自分は敗北した、という思い。
そもそも戦ってなんかいないんだけど。
常にある敗北感。
しかしこんなのあんまり馬鹿げてるじゃないか。
ありもしないことに、不在にばかり振り回されるなんて。
でもいつだってリアルなのは、その風景なんだ。
悲しくておかしくてどこか懐かしいのは、そんな風景なんだ。
失われた風景、ありもしなかったものを失ってしまった風景。
あんまりなんにもないと、すべてはおれのものだって思えてくるよ。
なんてくだらなくて、馬鹿げてて、笑えるんだろう。
なのになぜこんなに、せつないんだろうなあ。
まーつまるところ、いつまでもそうやって
ないものにばかり動かされてるパラダイスの異邦人どもは、
一人でおとなしくTVディナーでもしてろってこった。
そいつはいい男なんだ。すごくモテそうな、貴公子みたいな顔してて。
まーお笑い好きすぎて頭おかしくなってんだけど。
そいつが真面目な顔して言ってた、
「浮気とか二股とか、おれは絶対無理だわ、できない」
ほーこんなイケメンでもそんなこと言うのかー、と思ったね。
男ってなぁ意外と純なもんなのよ。女たあわけが違う。
おんななんざぁちょっと頭撫でてもらえば誰にでも股ひらくだろ?
そんなこと平気でやってるよ。
だいたいあいつら3日にいっぺんしかうんこしないくせに
澄ました顔で平然としてんだから。
てえした面の皮だよ。まったく糞詰まりのくせして。
それからおれはそいつに言ったんだ、「でも二股とかしてる奴って、よく時間あるよなー」
「あー金とかも掛かりそうだしね」
「ていうかさ」おれは長年の疑問を問うた「いつTV見るの?」
「…いや、見ないんじゃないか」「まじで!」驚愕の事実。
「うん、たぶんそういう人はTV見ないと思う」
「…おまえTV見ないで生きていける?」「…無理」「だよなー」
TVを見ないで生きていけるという人の気持ちがわからない。
TVを見る人間をバカにする人っているけど、
他におもしろいもんなんてあるのか?
ぶっちゃけ人生よりTVのほうがよっぽどおもしろいんじゃね?
TVから離れる数年ってのは誰でもあるもんだと思う。
でもたいていは、またTVの前に戻るんだ。
だって結局TVぐらいしか何もないんだから。
TVディナーって言葉は、ストレンジャー・ザン・パラダイスに出てくる。
そこらで買ったやっすい飯をTV見ながら食う、これがTVディナー。
だって貧乏な独身の男にとって、TVを見ながら飯を食う、
それが一番贅沢な食事の仕方じゃないか。
ストレンジャー・ザン・パラダイスという、何も起こらない映画。
この映画を大切に思う人たちというのは、
まさにそこに、リアルな情景を見出すのだと思う。
何も起こらないという日常。しかしそれは確かに
ある普遍的な青春の風景でもある。
女一人男二人じゃなくたって、男二人だけでも女三人でも
あるいは一人ぼっちでもかまわない。
そこに共通してあるのは、何もない、という感覚。
自分は青春時代というものを経験してこなかった。
つまりそれがおれの青春時代ってこと。
そしてそういった人間はきっとたくさんいて、
十代の頃が一番楽しかったという人と同じくらい
十代はなんにもなくて焦燥ばかりで
一番退屈な時代だったという人も多いと思う。
そうして、自分を無駄にしてしまったという思いは
多くの人が持っているものだと思う。
過去を振り返って、あるいは今だってそうかもしれんが。
果てしなく無為に過ごしてしまったという思い。
自分の場合は、十代の一番いい時代を一人で酒を飲むことに費やしてしまって、
まー今は酒は飲まないけどそんなのもう遅くて、
あの時代に失ってしまったものはとてつもなく大きい。
そこには二重の喪失がある。
青春時代が過ぎ去ってしまったこと、そして
そもそもその青春時代というものが存在しなかったということ。
不在を喪失することも可能なんだ。
ストレンジャー・ザン・パラダイスを観ると、あの頃の空気を思い出す。
何もない、何も起こらないということが起こっていた時代。
思い出せるものなんて何もないから
ただ、あの空気だけを思い出す。
自分は敗北した、という思い。
そもそも戦ってなんかいないんだけど。
常にある敗北感。
しかしこんなのあんまり馬鹿げてるじゃないか。
ありもしないことに、不在にばかり振り回されるなんて。
でもいつだってリアルなのは、その風景なんだ。
悲しくておかしくてどこか懐かしいのは、そんな風景なんだ。
失われた風景、ありもしなかったものを失ってしまった風景。
あんまりなんにもないと、すべてはおれのものだって思えてくるよ。
なんてくだらなくて、馬鹿げてて、笑えるんだろう。
なのになぜこんなに、せつないんだろうなあ。
まーつまるところ、いつまでもそうやって
ないものにばかり動かされてるパラダイスの異邦人どもは、
一人でおとなしくTVディナーでもしてろってこった。
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