京都市北区の金閣寺(鹿苑寺)で、室町幕府3代将軍足利義満が建立した「北山大塔」のものとみられる金属製飾り「相輪」の破片が見つかり、京都市埋蔵文化財研究所が8日、発表した。完成前の1416年に落雷で焼けたが、これまで遺物が見つからず幻の塔とされてきた。
これより前に義満が相国寺(京都市上京区)で建てた七重大塔は高さ約109メートルとされ、国内で最も高い木造建築物だったという。市考古資料館の前田義明館長は「分析したところ、破片には金メッキが施されていたことも分かり、復元すると相輪は大型。北山大塔は七重大塔にも匹敵する規模だったのではないか」と話している。
相国寺の大塔も遺物は見つかっていないが、景徐周麟(けいじょしゅうりん)が書いた文献「翰林葫蘆集(かんりんころしゅう)」には「高さは360尺(約109メートル)」と記されていた。
相輪は、塔の最上部から突き出た装飾部分。破片は輪が9つ重なる九輪の一部とみられる。
金閣から約200メートル東の境内にある室町時代の溝で破片3個が見つかった。最大の破片は幅約37センチ、高さ約24センチで、厚さ約1.5センチ、重さ約8.2キロ。復元すると相輪は直径約2.4メートルになることから、巨大な塔だったと推定できるという。塔の土台はまだ確認されていない。
義満は1399年、相国寺に七重大塔を建立したが、落雷で焼失。このため、住んでいた北山殿(現在の金閣寺)で1404年から北山大塔の建築を始めた。08年ごろには金閣もあったという。室町時代の皇族の看聞日記には「北山大塔は七重で、落雷で燃え、僧らが懸命に消火したが焼失した」などとあるが、場所や規模は記されていない。義満は08年に死去、北山殿は金閣寺となった。
京都市左京区では平安時代に白河天皇が建てた法勝寺の八角九重塔の土台跡も見つかっている。
見つかった破片は9日~11月27日まで、市考古資料館で展示される。〔共同〕