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祭祀王になる! 足利義満の夢のタワー 室町時代の新都心のランドマークか
「金閣寺七重塔は本当にあった」-。国内有数の観光寺院、金閣寺(京都市北区)から、室町幕府3代将軍、足利義満が600年前、寺の前身・北山殿に建てた高さ110メートルの七重塔、北山大塔の破片が出土した。これまで塔に関する記録は少なく、実在の有無さえ疑われる幻の存在だっただけに、専門家からは驚きの声があがった。
比類なき財力で建設
幻の塔が実在したことを示す遺物の発見に「興奮した」と話すのは早島大祐・京都女子大准教授(日本中世史)だ。
これまで歴史上最も高い木造建築物とされていたのは、高さ約110メートルの相国寺七重塔。北山大塔は相国寺七重塔が落雷で焼失した翌年の応永11(1404)年から建設を始まったと記録があり、早島准教授は「その財力は相当なもの。日明貿易の成功が大きかった」と指摘する。
義満は南北朝の戦いで疲弊した朝廷の合一に尽力。その権力は上皇、天皇を突き抜け、過去に例のない位置までのぼりつめた状況だったという。
新都心のシンボル
調査では、塔が立っていた場所などは分からなかったが、出土を発表した京都市考古資料館の前田義明館長は「塔は、そんなに遠くない場所にあったことは間違いない」と話す。
出土状況から「頑丈な青銅製だが、破片が飛び散るぐらいにたたきつけられたような感じ。落雷で塔が倒壊した際に相当なショックを受けたのだろう」と話す。
足利幕府と寺院の関係について研究を行っている池坊総務所池坊中央研究所の細川武稔さんは、義満は北山殿周辺に新都心を建設しようとしていたと指摘。街の中心を通る南北道の先に塔があったと想定し「真っすぐに延びた道の先に建つ姿は壮麗だったに違いない」と思いをはせた。