敷地内から装飾品出土 七重塔「北山大塔」部材か
京都市埋蔵文化財研究所は8日、巨大な仏塔の一部とみられる装飾品が、鹿苑寺(金閣寺)=京都市北区=敷地内から出土したと発表した。室町幕府三代将軍の足利義満(1358〜1408)は金閣寺近くに「北山大塔(だいとう)」を建立したとされ、その部材の可能性があるという。七重塔だったとみられるが史料がほとんど残っておらず、部材とすれば初の発見となる。
最大のもので横幅37.4センチ、高さ24.6センチ、厚さ約1.5センチの青銅製破片が、東側敷地で計3個見つかった。塔の屋上から突き出た「相輪」の一部で、輪を9個重ねた「九輪(くりん)」の破片とみられ、一部に金メッキが施されている。
義満は1404年、自身の山荘「北山殿」(後の金閣寺)で北山大塔の建設に着手したが、08年に死去した。塔はほぼ完成したとみられるが、16年に落雷で炎上した。室町時代後期の書物には「北山に七層大塔」と記されており、七重塔と推定される。
北山大塔に先立って義満は1399年、自身が創建した相国寺(京都市上京区)近くに「七重大塔」を建立。この塔が落雷で1403年に焼けたため、西約3キロにある北山殿での建設を決めた経緯がある。北山大塔の焼失後、四代将軍義持が相国寺近くに大塔を再々建したが、これも70年に焼失した。
七重大塔は、同じ室町後期の書物によると高さ約110メートルで、現存する国内の木造建築で最も高い東寺の五重塔(京都市南区)の約55メートルより、はるかに高い。北山大塔も、破片の大きさから九輪の直径は約2.4メートルと推定され、東寺の五重塔の1.6メートルを大きく上回る。市埋蔵文化財研究所は、七重大塔に匹敵する規模とみている。
ただ、大塔の基礎部分の土盛り「基壇」の跡などは出土しておらず、建設場所などは分かっていない。
京都大大学院の冨島義幸准教授(日本建築史)は「権勢を誇っていた義満は高い塔に執心していた。今回の破片は大きな塔の一部と考えられるが、北山大塔と断定するには、塔の場所の特定などが必要だ」と話している。
出土品は9日〜11月27日、京都市上京区の市考古資料館で特別展示される。【宮川佐知子】