自分を愛し、人を愛す。
— しみ (@shimi_yurutabi) 2015年11月26日
目の前の一人を大切に。
ゆるく楽しく温かく生きる。
しみくんという人とは今までに2回だけ会ったことがある。
一緒にいて落ち着くし、面白いし、飾らないし、好きだ。Twitterやブログにはクサいことばっかり書いているが、会えばとっても良い人。
そんな彼のクサい言葉の一つに最近心打たれてしまったので、紹介する。
いま幸せになっていい
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「夢を叶えたい」って言ってる人って、
ずっと叶わないんですよね。
モノゴトはすべて相関関係にあって、
「夢を叶えたい」ということはつまり
「いまの自分は夢を叶えていない」
ということになるんですよ。相対的に。
だから「夢を叶えたい」って言ってる人って
ずっと叶わないんです。
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そのとき初めて人生を自分で選択したという感覚があったんだよね。「自分」を生きてるな、っていう感覚。
今までは外野の目ばかり気にして「一般的な」「みんなから見て」いいだろうな、という道を選んでいた。周りの目を気にしながら作り上げた理想像を目指して生きていてさ、苦しかった。
でも思い切ってやめてみて気づいたんだ。
「幸せは " 今 " なれる」ってこと。いつかじゃなくて、今この瞬間になれるんだってこと。
ここ最近の自分は、仕事に勉強と、全ての時間を将来のためにあて続けていた。「幸せな将来のために」と思って頑張り続けていた。これはこれで悪くないのだけど、「今幸せであること」をないがしろにしていたかなと思う。
「仕事を辞めて呑んだくれよう」という意味ではない。わずかな心持ちの問題。同じように仕事や勉強を続けるにしても、その中でも気の持ちようによってはもう少し幸せを感じられるかな、と。
「将来のために頑張る」というのは、ときに、「今は幸せを感じてはいけない」と禁欲的になることにつながってしまう。自分で自分の幸せを制御してしまうのだ。そうじゃなくて、努力は続けながらも、「今幸せであってもいいんだよ」と、今の自分を許せる自分であることができる気がする。
「良い人生だった」vs.「良い人生だ」
ぼくは、自分の人生をどうしたいかと考えた時に、「死ぬ間際に『良い人生だった』と言いたい」と考えていたことがある。
でも、これってもったいない。死ぬ間際という最後の最後の瞬間に「良い人生だった」と思うためだけに長い人生を生き続けるのってもったいない。
死ぬ間際なんて、意識もないかもしれないし。
「良い人生だ」を積み重ねたい
死ぬ間際じゃなくて、生きている瞬間瞬間に「良い人生だ」と思えるような、幸せな瞬間が積み重なった人生を生きたい。
理想を追いかけるのもかっこいいけれど、「追いかける」ばかりでは虚しい人生になってしまう。
とはいっても、努力することをやめ、現状の自分に満足するというのも違う気がする。常に自分という存在は高めていたい。
ソクラテスがいう「満足した豚」にはなりたくない。
この両立はよく分からなくてもやもやするのだけど、
気の持ちようによってはできそうな気がする。