嫌なことがあってもめげない、くじけないさかのうえのまろ(@sakanoueno_maro)です。
どちらかというと、精神的に強い方ではありません。若い頃はたくさんの壁や嫌なことにぶつかって、そのたびにめげてしまって、くじけていました。
と、書いていて、突然関係ないことを思い出しました。
泉州(大阪府南部の海沿いの地域)に住む先輩がその昔、「クルマぶつけて、めげてしもたわ!」って言うから、事故を起こして相当気落ちしてるんだろうなあって先輩のことを気遣ったら、「何言うてんねん?めげたんは、クルマやで」と言われました。
めちゃくちゃ車好きの先輩のことだけあって、クルマはすでにクルマではなく、擬人化されて先輩の恋人のようになっているのか!と思っていたのですが、泉州弁で「めげる」は「壊れる」という意味があるのですね!
そりゃ、心も「めげ」ますわ(´・ω・`)
発端は「高校野球」の記事
ことの発端は、「高校野球が嫌い」という趣旨を書いたこちらの記事。
記事中の「ファーボール」に関するルールの説明に間違いがあって、たくさんの方から指摘を受けました。
読み返してみると、確かにおかしい。何度も何度も読み返したときは気がつかない、というか、気にもしていなかったんだけど、指摘していただいた視点で読み返すと確かにおかしい。
読み方によっては、ぼくが「高校野球が嫌いである」という論拠が崩れるとも見れなくはないけれども、それは文中の「各論」のことであって、「総論」としては、流れには支障がないと思っていたんですけれどもね。
許してくれない人が世の中にはいるんですわ。
噛みつかれたような気持ち
ゆういちさん(@fp_yuichi_fp)がTwitterで、
やっとわかった。
何が気持ち悪いって、距離感がわからない人が気持ち悪いんだ。リアルでもネットでも急に目の前に現れて、自分の言いたいことを話す。こっちがびっくりしてるのにも気がつかずガンガン来る。気の知れた仲でもないのに顔の近くまで来る圧迫間が気持ち悪いんだ。— 双子のパパYuichi@大阪行きます! (@fp_yuichi_fp) July 6, 2016
とつぶやいていらっしゃったのですが、まさにこんな感じ。
いきなり襟首つかまれて、飛沫のかかる距離で大声で話をされる感覚。
あのね、前振りがあって、順序があって、事情があってそうなったんなら状況は理解できます。
道を歩いていていきなりそんなことされたらどう思います?こちらとしては、自爆テロに会ったか、通り魔に会ったか、狂犬に噛まれたくらいの衝撃は受けますよ。決して笑撃なんてくだらないことは言ってられないですよ。
Twitterでぼくに嚙みついた人は「正義感」振りかざして間違いを正しているつもりなんだろうけど、それは「正義」ではないです。襟首をいきなりつかまれた方は「悪意」さえ感じます。
いや、悪意としか感じなかったです。
間違いを指摘すること
記事の間違いを指摘されること自体はとてもありがたいことです。こちらとしても間違いに気がつき、書き直すことで記事の正確性が増します。
ぼくも他の方のブログの記事を読んでいて、間違いに気がついたら指摘させてもらうことがあります。
でも、いきなり相手の襟首掴んで飛沫のかかるような距離で注意しませんよね?相手が日々やり取りのある親しい間柄であったとしてもですよ。親しき仲にも礼儀あり、です。
まして、相手に付きまとい、Twitterでの発言に対していちいち反応して反論したり、ネチネチ裏でぼくのことをツイートしたり。指摘された内容を訂正しようとして、とりあえず該当箇所をコメントアウトして公開したら「消した消した!」と大騒ぎ。
記事の訂正中にツイートが来たら邪魔に感じると思い、その間ブロックしたら「ブロックした!」と大騒ぎ。
どこまで人に付きまとい、どこまで粘着したら気がすむんですかね?
見えないからこその礼儀
Twitterは相手が見えません。目の前の人に対して話をするのとは違います。相手が見えないからといって、無礼な振る舞いをして構わないということはありません。
見えない相手だからこそ、気を使わないといけないことはあると思います。普段やり取りのない相手に対してはなおさらです。
今回の相手の方とは、お互いにフォローしていませんでした。相手の方のことは全く知りませんでした。
相手の方がぼくのことを知っていたかどうかは分かりません。仮にぼくのことを知っていて、友達感覚で襟首をつかんできたのなら、まだ幾分かは、理解できます。
しかし、仮にぼくのことを全く知らないのにいきなり襟首をつかんだのであれば、それは、自爆テロか通り魔か狂犬ですよ。
てなこと書いたらまた粘着されるのかなあ?と思いながら、記事にするべきか、しないべきか、悩んでいます。
Twitterは怖いところですね。こわいこわい。みなさんも心がめげないようにお気をつけくださいね。
ほなまた、ごきげんよう。さいなら〜