今や国民的メッセージアプリに育ったLINEが、いよいよ日米上場という新たなステップに踏み出す。
今年、世界で最大級とされる注目株となったLINEは「日本発の世界的アプリ」と表現されてきたが、実は韓国IT業界の巨人がすさまじい日本への攻勢の果てに生み出した念願の大ヒット作だ。
上場を前に、これまで知られなかったLINEの韓国企業としての側面を深く追った『韓流経営LINE』(扶桑社新書)が発売されたのに合わせ、LINEの一番のキーマンの正体を紹介しよう。
謎の韓国人男性
2016年4月21日、東京・渋谷にあるオフィスタワーのヒカリエの9階には、LINEの社員たちが続々と集まっていた。
LINEの未来像など、大きな戦略を共有する全社集会に参加するため、社長の出澤剛をはじめとした経営幹部から新入社員たちまでが、ホールにずらりと顔を揃えていた。
そこで、開始時間になり、マイクを握ったのは、ひょろりとした姿の韓国人男性だった。
「まずは日本市場でLINEが成功させたモデルを、グローバルに展開し、各国の文化に合わせてローカライズしてゆきます」
日本にいれば、LINEというメッセージアプリの存在感の大きさは、誰もが否定できないだろう。2011年6月に誕生したこのアプリは、すでに日本国内では人口の半分以上である6800万人の月間ユーザーを抱える。
テキストメッセージや可愛いスタンプを使ったコミュニケーションは、女子高生からビジネスマン、子育てをしているお母さんたちや、地元の商店街でお店を営んでいる高齢夫婦まで、老若男女に広く愛されている。
海外に目を向ければ、世界全体で2億1860万人の月間ユーザーを抱えており、とりわけアジアの4ヵ国(日本、台湾、タイ、インドネシア)では、メッセージアプリとして高い市場シェアを誇っている。
「あのフェイスブックも、LINEのサービスを常に研究しています」
スピーチは30分を過ぎて後半に入り、喋りのトーンはいよいよ熱を帯びていた。そこには世界最大のソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)である米国のフェイスブックには規模でこそ劣るものの、新しいサービスの開発では、このLINEは負けていないという強い自負心が透けて見えた。
それにしても、急成長を遂げてきたLINEの社員たちに向かって、日本語を巧みに操りながら、壮大なビジョンを語るこの人物は一体誰なのか。
表に出ることのない「もう一人の経営者」
シン・ジュンホ――。何を隠そう、まるで学者のような雰囲気を漂わせているこの韓国人男性こそ、約5年前に、LINEを生み出すことに成功した開発責任者だ。
対外的な肩書きはLINEの海外戦略を担当する最高グローバル責任者(CGO)であり、取締役の一人に過ぎない。過去の新聞報道では幾度となく取り上げられてきたLINEにあって、不思議なことに、一度も日本の紙面上にシンの名前は登場していない。
またLINEが最新のサービスを発表する恒例の大型イベント「LINEカンファレンス」でも、これまで壇上に立ったことはない。それゆえに、同じ日本のIT業界で働いていても、シンの名前を知っている人はそう多くはない。
しかしLINE社内では、彼こそが“LINEの父”のような存在であり、表に出ることのない「もう一人の経営者」として疑う者はいない。だからこそLINEの未来を語るのはシンであり、その舵取りをしているのもシンなのだ。
ホールを埋め尽くす数百人に向かってビジョンを語るシンの姿は、まるでLINEのサービスを日々開発する社員たちに向かって指揮棒を振る、オーケストラのマエストロのようでもあった。
「シンさんが何を言ったか、どのように判断したかが、LINEとしての最終決定です。だから、誰もが気にしています」(LINE元幹部社員)
今、LINEは7月15に予定している東京証券取引所への上場によって、いよいよ日本経済の表舞台に上がろうとしている。しかも、その経営における最大のキーマンであるシンの存在を徹底して伏せたままに、だ。
何という奇妙な話なのだろうか。シンのような経営者だけではない。LINEには多くの人に知られている「表の物語」と、まだ世の中には知られていない「もう一つの物語」が、光と影のように存在するのではないか。
「メイド・イン・ジャパン」幻想
2011年6月に誕生したメッセージアプリのLINEは、それまでグローバルなサービスを生み出すことができなかった日本のインターネット産業が、世界に向けて発信することができた「メイド・イン・ジャパン」の成功モデルである。……今でも、多くの日本人が自然にそのように受け止めている。
だからこそ、韓国ネイバーがLINEの親会社であるという点については、あまり語られてこなかった。
ネイバーは1999年に設立されたインターネット企業であり、検索サービスを中核としている韓国のITを代表する企業だ。LINEは日本に本社を置く100%子会社であり、いわば韓国資本の外資系企業である。
そのため、新聞を中心とした日本の大手メディアは、LINEについては、ほぼ一貫して「日本発のメッセージアプリ」という言い回しでしか説明してこなかった。それよりも、国内市場に甘んじたままの“ガラパゴス化”した日本のIT企業が見習うべきお手本のような存在として、その成長にエールを送ってきた。
ところが、LINEが世界2億1860万人を超える巨大サービスに成長するにつれて、こうした“物語”だけでは、どうにも理解できない空白の部分も広がっていた。
「日本発アプリ」の裏に隠されたLINEの生命線。その一番の象徴が、シン・ジュンホなのである。
それでは、シンとは一体何者なのか。
天才技術者、日本に降臨
2006年初夏、韓国のIT業界を揺るがすようなニュースが、大きな話題を呼んでいた。世界の検索サービスを牛耳ろうという米グーグルと、韓国の検索市場を独占してきたネイバーが、設立からわずか1年ほどしか経っていない韓国のベンチャー企業をめぐって、激しい買収合戦の火花を散らしていたのだ。
そのべンチャーとは、検索エンジンを専門に開発していた「1noon(チョヌン)」だ。チョヌンとは韓国語で冬に舞い散る「初雪」のことを指し、洗練された検索技術で、広くインターネット上のコンテンツを自動的に収集してデータベース化し、独自のアルゴリズムでランク付けする仕組みに強みを持っていた。
まさに「韓国版のグーグル」といえる存在だった。
そして本家のグーグルのエリック・シュミット会長(当時)自ら買収攻勢を仕掛けたこのチョヌンで開発責任者を務めていたのが、シン・ジュンホその人だったのである。
結局、チョヌンは、ネイバーに買収されるのだが、その後の2008年、買収劇から2年の時を経て、シンは日本の地に足を踏み入れることになった。
「先入観を捨てなさい。白紙から始めなさい」
ネイバー創業者のイ・ヘジンは当時、シンにこう指示し、日本市場の攻略を全権委任したという。
シンの専門分野はもともと、人間が使っている言葉を、データとしてコンピュータに処理させる自然言語処理という技術だ。韓国語や英語といった異なる言葉を、いかに上手に橋渡しをするかというこの分野は、検索エンジンはもとより、近年はアップルのiPhoneに搭載されている音声認識アシスタント機能「Siri」などのサービスにも応用されている。
こうしたIT領域で抜群の技術を持つシンは、日本に降り立ってから、3年にわたり新たなサービスを発表し続けたが、なかなか大ヒットは生み出せなかった。日本のメンバーも含め、「もう、これが最後かもしれない」とギリギリに追い詰められた状況でようやく掘り当てたのが、LINEの大成功だったのだ。
だが、LINEが、爆発的な勢いで日本を席巻していく一方で、シンの姿は表舞台に全く現れなくなる。 その代わりに、公式発表の場で顔を頻繁に出してきたのは、前社長の森川亮であり、シンの参謀として知られる舛田だった。
ストックオプションで見える"日韓格差"
しかし、どれだけ表舞台に彼らが登場し、LINEにおける日本側の貢献がアピールされても、シンを頂点とする実際の社内での組織体制は、1ミリたりとも変わっていない。
それを象徴しているのが、LINEが6月に株式上場のために公表した有価証券報告書に記載されていたストックオプション(新株予約権)の序列だ。
ストックオプションとは、自社の株式を、報酬として経営陣や社員たちに与えることだ。働けば働くほど、自社の業績が成長し、それが株価の上昇につながってゆく。そうしたプラスのサイクルを生み出すための報酬システムと言える。
もちろん、会社の業績に対して果たす重要性や貢献度に比例して、付与されるストックオプションの株数というのも決まってくる。
次ページに示すのは、ストックオプションの割当株数と、想定売却益(公募価格の1株2800円、行使価格1320円ですべて売却の場合)のランキングだ。これを見ると、いかにシンの存在が圧倒的かが一目で分かるだろう。
1,026万株で、151億9146万円――。
LINEがこれまで「ツートップ」と呼んでいた社長の出澤と、最高戦略マーケティング責任者舛田が享受する恩恵は、シンのストックオプションの株数と比較して、その100分の1にも満たないものであった。
このほかにも、シンとともに、日本での成功を願って訪日したチョヌンの幹部らが、ズラリと上に並んでいる。また、スタンプに用いられるLINEの公式キャラクターを発明したカン・ビョンモク氏が、前社長の森川を超える規模なのも象徴的かもしれない。
開示されたトップ49人のランキングを眺めると、その75%にあたる37人が韓国側の経営陣や社員であるという事実がはっきりと読み取れる。韓国ネイバーの子会社であるという資本関係を考えれば当然とも言えるが、それでもLINEという会社を象徴している重要人物リストになっていると言える。
2014年夏から噂され、2016年7月にようやく実現するLINEの株式公開は、この会社の「韓流経営」そのものを映し出すクライマックスになるはずだ。