10代は野球に打ち込み、プロ野球・東映フライヤーズ(現日本ハム)に一度は入団するも、けがで正式契約を断念。特異な風貌から、関係者に親会社の東映で俳優になることを勧められて応募し、1957年に第4期東映ニューフェイスに選ばれた。
佐久間良子(77)や故山城新伍さん(享年70)らが同期で、松方弘樹(73)、梅宮辰夫(78)、八名信夫(80)とも親交が深かった。山城さんとは、彼が2009年8月に嚥下障害による肺炎で死去した際、曽根さんが看取るほどの仲だった。
「仁義のはらわた」はオールイン エンタテインメントから発売されたばかりで、遺作となった続編の「-2」は8月5日に発売、同25日にレンタルが開始される。最期まで自分の本分をまっとうした人生だった。
曽根 晴美(そね・はるみ)
本名同じ。1937(昭和12)年9月5日生まれ、大阪市出身。58年に映画「裸の太陽」でデビュー。61年に千葉真一(77)が主演した「風来坊探偵 赤い谷の惨劇」で、千葉と「拳銃コンビ」のキャッチコピーで売り出された。その後も多数の映画やドラマに出演。2003年には自ら製作・出演したVシネマ「極道恐怖大劇場 牛頭GOZU」(三池崇史監督)が、第56回カンヌ国際映画祭の監督週間に出品されるなど、話題と人気を集めた。