なぜ神戸は最高なのだろう

大学の先輩であるところのphaさんが、京都についての素晴らしい文章を書いていた。

とはいえ正直に言うと、私はあんまり京都が好きではない。大学生として、大学院生として、七年もの多感な時期を過ごして、街の各所にさまざまな思い出があるはずなのだけれども、京都と聞いていつも思い浮かぶのは、夏死ぬほど暑かったこと、冬死ぬほど寒かったこと、市バスに煽られながら自転車を走らせたこと、夜の河原町をヤンキーがたむろしていたこと、そういうことばかりなのだ。

私は神戸で生まれて、大学に入るまで神戸のニュータウンで育った。卒業してからは東京で生活をしている。他の街はあまり知らないけれども、自分の中で最高の街はいつも神戸だ。まあ、生まれ故郷が一番という人は多いだろう。しかし神戸人は特にその傾向が強い気がする。

phaさんが書くとおり、首都圏は電車が発達していて、京都は自転車でどこでも行けた。他方、神戸は徒歩の街だ。買物となれば、三宮から元町、神戸ハーバーランドまで途切れなく歩けてしまう。アーケードと地下街が発達しているので、雨でも雪でもほとんど関係ない。私は神戸を離れて、雨の日ってこんなに憂鬱なんだなと初めて知った。

神戸は狭くて、濃密だ。ちょっと歩くだけで、色々な発見がある。東京だと「隠れ家みたいなお店」がもてはやされるけれど、神戸はそんな店ばかり。センター街から一本外れただけ、あるいはアーケードの二階に上がっただけで、小さくて居心地の良い店がいくらでも見つかる。

北は山、南は海に挟まれているから、今日はどこを歩こうかなんて悩む必要はない。東から西へ歩いて、適当なところで西から東に戻ればいいのだ。神戸人は日本で一番よく歩くという話がどこかにあった。

神戸は港町であり、貿易の街であったので、つまり食の街である。中華、イタリアン、フレンチ、なんでもある。そして、どこもリーズナブルだ。神戸では、おしゃれだけど高すぎる店は、だいたいすぐに潰れる。美味しくない店はもっとすぐに潰れる。京都のように観光客が多くないので、地元民に見切られるのが早いのだろう(関係ない話だが、東京に来て驚いたのが「神戸に行ったことがない」という人がたくさんいる事実である)。京都が見栄の街、大阪がケチの街なのだとしたら、神戸はコスト意識の街なのではないか。

今はもうなくなってしまったけど、私は三宮の高架下にあったイタリアンで、電車が走る音を聞きながらスパゲティを食べるのが大好きだった。お洒落な店内、リーズナブルなスパゲティ、ゴトゴトと揺れる店内。なんだかよく分からないけど、この雑多なバランス感覚が神戸だと思う。

有馬温泉に行ってもいい。王子動物園に行ってもいい。須磨水族館に行ってもいい。ハーバーランドに行ってもいい。布引の滝からロープウェイでハーブ園に行ってもいい。六甲山を歩いてケーブルカーに乗ったり、牧場に行ったりしてもいい。新幹線とJRとたくさんの私鉄と地下鉄と新交通システムとケーブルカーとロープウェイがある街が、他にどこがあるだろう。素晴らしいサッカー場もある。ブルーウェーブはいなくなってしまったけど、野球場もある。モスクや異人館を見てもいい。ポートアイランドに行ってもいい。六甲アイランドにはなにもない。

こうして書いてみると、神戸人が神戸に満足してしまう理由が分かる。神戸はミニチュアの都市のようで、なんでも揃っている。欲張りな人が作ったシムシティのようだ。神戸と比較すると、他の街はなにかに欠けている(たとえば京都には海がない)。

そんな神戸人が、唯一アイデンティティ喪失の危機を感じるのが横浜だ。横浜駅界隈は三宮より少し発展していて、桜木町は元町より少し充実しており、みなとみらいはハーバーランドより少し活気があって、中華街は横浜の方が多少広く、新横浜は新神戸に比べて……でも、でも、神戸のコンパクトさはやはり何物にも変えがたい。それに、どうしても大きな街に行きたいのなら、大阪までJRで20分なのだ。

東京の住みたい街ランキングを見ると、吉祥寺とか、自由が丘とか、武蔵小杉とか、二子玉川とか、そういう場所が挙がる。気持ちは分かる。それはつまり、都会であって都会すぎない、なんでもだいたい揃うけどオリジナリティもある、東京の中の地方都市なのだ。

そう考えると、神戸は正真正銘の地方都市だ。なんでも揃う神戸人が他の街を評価すると、自然と「この街は神戸みたいかどうか」が基準になる。そして神戸は神戸みたいな都市の中ではもちろん最高の神戸で、だからこそ最高なのだ。

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