お手盛りで「おもてなし」? 東京五輪選手村の魚料理 日本独自の調達基準
2020年東京五輪の選手村で提供される魚料理が、“手前みそ”の味付けになるかもしれない。水産資源の持続性と環境に配慮した国際基準を満たす漁業が国内にほとんどないため、日本独自の「エコラベル食材」も認めようという声が政府・与党から高まっているのだ。五輪で日本のおいしい魚をPRしたい。でも、お手盛り基準の「おもてなし」で国際的な信用は保てるのだろうか?【井田純】
世界的な水産資源の枯渇を受け、4年前のロンドン五輪は大会組織委員会が調達する水産物について「国連食糧農業機関(FAO)の行動規範を満たすもの」と規定。国際的なエコラベル認証機関である海洋管理協議会(MSC)認証水産物を基準とした。MSCは、操業海域や魚種・漁法、漁業者の労働環境など28項目に基づいて持続性に配慮した漁業にエコラベルを認証している。リオデジャネイロ大会も、MSCに加え、「養殖版エコラベル」ともいえる水産養殖管理協議会(ASC)認証食材を基本にしている。東京五輪はどうなるか、大会組織委員会に聞くと、検討作業に着手したものの「前の大会のようにしなければということはない。日本の基準は日本で決める」とにべもない。
国際基準のMSCやASCに代わるものとして浮上したのが、水産会社・団体でつくる「大日本水産会」が認証する「マリン・エコラベル・ジャパン(MEL)」だ。業界で「日本版エコラベル」と呼ばれ、6月末現在24の漁業を認証済み。対して、国内のMSC認証は京都のアカガレイ漁と北海道のホタテ漁だけ。ASCは宮城県南三陸町のカキしかない。国際基準を採用すると、水産物はほとんど輸入食材になってしまうのだ。
水産庁は昨年11月、「国際認証にこだわらず、できるだけ多くの国産水産物の採用を組織委に働きかける」と決定。自民党水産部会小委員会も5月、MELを基準に推す方針を確認した。大日本水産会事務局は「MELはFAO基準に沿った適正な認証が行われている。東京五輪を日本の水産物とMELを世界に知らせる機会にしたい」と期待をかける。政官民一体で推進の流れができているようだ。
これに対し「東京五輪で『これが日本の考える持続性だ』と世界に発信すれば、赤っ恥ですよ」と、あきれた口調で話すのは、勝川俊雄・東京海洋大准教授だ。「日本の水産の歴史で、まともな漁獲規制をやった例はない。資源の持続性など考えず、どれだけたくさん取れるかばかり追求してきた」と指摘する。五輪でMELを世界に広めるというのは無理なのだろうか。
不透明な審査で「エコラベル」
「MELは世界で通用する基準とは言えません」というのは、地球環境政策に詳しい阪口功・学習院大教授。問題になるのは▽透明性の欠如▽審査機関の独立性▽持続性基準の不明確さ−−の3点だ。「MSCはもちろん、米アラスカ水産業界の認証でさえFAOガイドラインに従って審査過程は公表されており、審査がおかしいと思えば異議申し立ての仕組みがあります。MELは審査過程でどの漁業が審査入りしたのかも公開されず、ある日突然認証取得が発表される。MEL側はFAOに準拠したと主張していますが、十分ではありません」
環境保護団体も評議員を務めるMSCやASCに対し、MELを運営する大日本水産会と、認証審査を行う「日本水産資源保護協会」の幹部は、ともに水産庁出身者や水産業界代表らで構成され、「身内に甘いお手盛り審査」との疑念がもたれやすい。実際、08年にMEL認証第1号を受けた鳥取県境港市の「日本海ベニズワイガニ漁業」は、その約1年半後に禁止水域での操業と違法なカゴの使用が発覚し、漁業法違反で摘発された。
MSCの審査基準は項目別に採点基準が公表され、なぜ不合格か、どの項目を満たせば合格できるか対策が立てられる。対してMELでは、客観的で適正に審査されたか、第三者の検証は困難だ。「例えば、枯渇資源を乱獲しても、漁場のごみを回収していることが評価され認証されてしまう可能性も考えられます」と阪口さんは話す。
日本の水産分野はエコラベル以外でも資源保護に及び腰と見られる場面が多い。太平洋クロマグロ(本マグロ)の資源管理を議論する「中西部太平洋マグロ類委員会」(WCPFC)が昨年開いた北小委員会では、米国が提案した「初期資源量の20%」という長期資源回復目標に対し、日本が「非現実的」と強硬に反対、提案は取り下げられた。内外の専門家は「成魚の漁獲削減につながる措置を早急に取るべきだ」と、クロマグロ全消費量の約8割を占める日本の消極的な姿勢を批判した。特に、産卵のため日本海に回遊する魚群を狙った巻き網漁は「クロマグロ漁を崩壊させる危険性がある」と懸念も出ている。五輪選手を日本基準の魚料理でもてなせば、国際的に厳しい視線を浴びかねない。
なぜ日本の漁業は独自の道を歩もうとするのか。その背景について、前述の勝川さんは、戦後の食糧難による増船により、世界の海で過剰な漁獲量を確保する構造が生まれ、その体質がそのまま続いていると指摘する。
「資源に対して適正規模の漁獲に抑えることを怠り、他国の200カイリ水域で操業できなくなっても、持続的漁業の仕組みを作れなかった。業界と官庁だけの問題ではなく、メディアや消費者にも責任があります」
震災後、漁業資源保護の動き
厳しい国際基準を満たそうとする動きは、東日本大震災で被災した東北の漁業者に目立つ。MSC日本事務局の石井幸造・プログラムディレクターは「津波が漁業のあり方を見つめ直す機会になった。失った市場を取り戻す付加価値として認証を活用しようという取り組みもうかがえます」と新たな機運に注目する。
現在、MSC認証で審査中なのがカツオ・ビンナガマグロ一本釣りの「明豊漁業」(宮城県塩釜市)。松永賢治社長は「水揚げ減少で資源がおかしいと肌で感じるようになった。水産業界が疲弊していく中、ルールがないのが一番悪い。MSCに取り組むことで、日本全体が資源を考える流れになれば」と話す。
ASC認定を受けた南三陸町の県漁協志津川支所戸倉出張所では、震災後、密殖を避けるため養殖イカダを3分の1に減らし、高品質のカキ作りに取り組んだ。成長が速まり、養殖期間を3年から1年に縮めたうえ「甘みのしっかりしたカキ」になったという。出張所は五輪の調達基準について「2大会続いた国際認証の流れを後戻りさせないでほしい」と話し、国際認証取得を通じて信頼回復と復興に弾みを付けたいと意気込む。
昨年11月の開店時からMSC、ASC認証商品専用の売り場を設けたイオンスタイル板橋前野町。水産バイヤーマネジャーの黒田達士さんは「子育て世代から『子どもに安心して食べさせられる』と好評」と手応えを語る。魚介類の国際基準は日本の食卓にも少しずつ定着しつつある。
五輪村の食事はホスト国の食に対する考えを示す場。日本産の振興だけでいいのか、基準をよく考えたい。