評価:★★★★★ 5.0点
人間というのは本当に思い込みが強い動物だと思うのです。
ホロコーストを題材にした映画というだけで、もう「ナチスの悪」と「ユダヤの苦難」という物語が私の中で出来上がっていたのですが、この映画は違う事を伝えていると気が付きました。
この映画のあらすじは、ナチスドイツがポーランドに侵攻した1933年、ピアニストのシュピルマン(エイドリアン・ブロディ)はワルシャワの放送局で演奏していた。その後、ユダヤ人はゲットーに移され、飢えやナチスの殺人に脅える日々を過ごす。やがてユダヤ人が収容所へ移されるようになった時、たったひとり収容所に向かう列車から逃れたシュピルマンは、戦火の街の中、廃墟に必死に身を隠し、餓死寸前の彼の前にナチスの将校が姿を現す・・・・・というような物語です。
この映画を最初見た時、ドラマ性を強くしたり、感情表現を強調せず、淡々と描写しているのが、なぜなのか不思議に思いました。
それゆえ見ている方では、通常のユダヤの迫害を描いた映画のように、単純にユダヤ人に感情移入する事ができません。
どうにも、違和感が拭えなかったもので、その後繰り返し見てみました。
それで、私の見方が間違っていたのだと気がついたのです・・・・・・
この映画は、通常のホロコースト映画のような、ナチスの非人道性を訴えるものでも、ユダヤの悲劇を広く訴えると言う作品でもないと確信するようになりました。
この映画は、ユダヤ系ポーランド人のピアニスト・シュピルマンの実話の原作を映画化したものです。
この映画の3分の2は、はこのピアニストの苦難が語られていきます。
その苦しみと悲惨な境遇は、過去のホロコースト映画と同様の眼を背けたくなるような光景です。
しかし、これは間違いなく現実に起こったことなのです。
そして、その元凶は間違いなくナチスドイツに在ります。
これほどの受難を与えた敵を憎み、抹殺したいと思ったとしても、私は非難できません。
そして実際に過去の映画は、ナチスの悪とユダヤの犠牲を語り、結果的に過去の罪を追及することで、ナチスドイツとホロコーストに関わった人々に、新たな罰を加えてきたと思うのです。
しかしこの映画が過去の映画に無かった「新しい視点」を、ホロコースト問題に投げ掛けます。
以降ネタバレがあります。ご注意下さい。
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このピアニストは、からくもワルシャワのゲットーから脱出したものの、一人廃墟の中で餓死寸前まで追い詰められます。
そんな時、このピアニストを発見したドイツ人将校から命を助けられます。
別れ際にピアニストが発した質問「なぜ助けてくれたのか」という問いに対し、この将校は「神の意思」だと答えます。
この回答こそ、人間にとっての希望であり、救いだと、私は思います。
それは、人は人を助ける資質・善性を神から授与されているという事を、意味していると語ってはいませんでしょうか。
つまり、ナチスドイツは絶対悪では無いと、この映画は宣言している事に気がついたのです。
ナチスドイツの将校であっても、芸術を愛し、ユダヤ人という「殺して当然とされていた相手」を救うのだとこの映画は語っています。
さらに、この将校が口にする「ナチスの敗北」が目前に有るという言葉も、重要なキーワードだと思います。
それは、将校にとって社会的な責任がなくなることを意味するからです。
これは、ナチスドイツという社会の一員で在るときには、彼はユダヤ人を殺さざる得ません。
しかし、その社会的な抑圧が崩壊すれば、彼は一個の人間として音楽を愛し、人の命を尊重するのだと語られていると思うのです。
さらにこのドラマでは、この助けられたピアニストが「ナチス軍将校」を救えなかった事に対し、後悔の表情を浮かべます。
これはユダヤ人といえども、ナチスと同様「人を死に追いやる」という描写です。
けっきょく、人は神から「性善」を授けられているにも拘らず、社会的な状況と立場によって「悪」を成さねばならないのだと語られていると思うのです。
つまり、過去の「ユダヤ人虐殺」のドラマで描かれた、「ナチスドイツの悪逆」と「ユダヤ人民の受難」という図式で割りきれない現実もあったのだという事実を、その体験者が証明をした映画なのです。
そう思えば、この映画は過去の「ユダヤ人ホロコースト映画」に対するアンチテーゼとして描かれているというのは言い過ぎでしょうか。
しかし、この映画が実際にホロコーストを体験した人間から、発せられていることは重要だと思うのです。
この映画の前半で語られた、ナチスの非道を体験してもなお、このドイツ人将校の命に対して救済をしたいというこの主人公の志こそ、敵対するもの同士が如何に救われるかの回答だと思うのです。
けっきょく、敵を許す事こそが自らが救われる道だと、このピアニストと、また同じ体験をしたロマン・ポランスキー監督が語っているのではないでしょうか。
この受難体験者の告白には善悪や愛憎を超えた、他の生命に対する根源的な敬意や赦しを見る思いがします。
実際の戦争体験者が、このように「赦し」を口にするのは、自らの痛みと同じ痛みを、後世に繰り返したくないという祈りにも似た気持ちからだったでしょう。
戦争体験者が高齢になり、その声が社会から消えていくにつれ、日本も含め、世界は右傾化の度を高めて来ています。
そんな時こそこの映画の語るメッセージに向き合うべきだと思うのです。
そのメッセージの高潔さがあるがゆえに、カンヌ映画祭のパルム・ドールであり、アメリカ・アカデミー賞の監督賞、脚色賞、主演男優賞につながったのでしょう。
しかしこの映画はその崇高な思いゆえに、通常のように勧善懲悪の明快さや善悪の対比によってドラマ性を高められなかったと思うのです。
それはこの懺悔を強く打ち出せば、現代社会においては「ナチスを擁護するのか」という非難を受けざるを得ないという現実を、反映したものだったようにも思います。
それでも、そのタブーを超えて超然と響くピアノの音に、巨匠の強い信念と祈りを聴いたように思います。
ポランスキー監督の映画:『大人のケンカ』
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本当ですね・・・殺されかかったユダヤ人の側から、ナチスでも全てが悪かった訳ではないという意思表示は、結構大変だった見たいです。
たしか、ポーランドでは原作が出版禁止になったとかm(__)m
実は覚えてなかったりするのですが、絶対観るべき映画ですよね。
最近戦争映画をたくさん観ましたが・・
やっぱり戦争はダメですよね。
映画ってそういう事も教えてくれるので良いですね!
ありがとうございます。地味な映画なんですよね(^^;
最近怖いのは、トランプさんにしても、阿部さんにしても、イギリスの離脱も、第二次世界大戦前の状況に良く似ていると感じます。
こんなときこそ、戦争を実体験した人達の告白を真剣に受け止めるべきだと思いますm(__)m