武士道のバイブル『葉隠』は面白くてはいけないのか?(第2回)

隆慶一郎の遺作『死ぬことと見つけたり』を読み解くfinalventさんの書評第二回。このタイトルは、江戸中期に書かれた書物『葉隠』の一節「武士道と云うは死ぬことと見附けたり」から取られています。太平洋戦争でもてはやされ、現代においてはいささか時代遅れとも取れる精神性を表す言葉に、なぜ隆慶一郎は惹かれていったのか。その出会いと再開、数奇な運命をたどります。


死ぬことと見つけたり 下巻(新潮文庫)

徴兵と復員、『葉隠』との出会い

隆慶一郎の遺作、『死ぬことと見つけたり』という作品は、武士道の聖典とも言われる『葉隠』を元にした、いかにも彼らしい爽快な想像力で描いた時代小説である。表題は『葉隠』の一句、「武士道といふは、死ぬ事と見附けたり」に由来する。時代は江戸時代初期、場所は現在の佐賀県にあたる佐賀鍋島藩である。物語が最初に接する現実の歴史事件は島原の乱である。主人公は二人、佐賀藩浪人・斎藤杢之助と、その親友であり佐賀藩を支える体制側の藩士・中野求馬。物語の骨格は、鍋島藩を潰して徳川家の天領とする野心を抱く老中・松平信綱と主人公二人が協調した戦いになる。これにいくつかの副次的な物語が積み木細工のように合われている。


葉隠 上巻(岩波文庫)

骨格部分だけ見れば、なるほど普通に時代小説である。展開には寄り道のように、隆慶一郎の処女作を思わせる吉原の話などもやや冗長に含まれている。そうした点からすれば、彼の他の作品から特段に際立った特徴はない。本作品は未完の遺作ではあるが、未完作品は他にも、八瀬童子を描いた『花と火の帝』、向井水軍を描いた『見知らぬ海へ』などがある。これだけが唯一遺作とは言いがたい。他方、代表作なら、人気の高い、『吉原御免状』『影武者徳川家康』『一夢庵風流記』などが挙げられる。ではなぜ、『死ぬことと見つけたり』に注目するのか。この物語は彼が自分の人生を振り返り、自身の人生を問う契機から発しているからである。それゆえ冒頭は、時代劇らしくない。著者・隆慶一郎の、その人生への原点とも言える徴兵の思いから語り始める。それは、あたかもフランス語を訳したような響きがある。

 死は必定と思われた。つい鼻の先に、刑務所の壁のように立ち塞がっていた。
 昭和十八年十二月。
 僕は九月の末に二十歳になったところだった。
 学生に対する徴兵猶予制度が廃止され、理工科と医学部以外の学生は、一斉に徴兵検査を受けさせられ、僕は第一乙種合格ということになった。
 京都の旧制第三高等学校を、半年学業を繰り上げられて、九月に卒業し、十月には、東京帝国大学文学部仏蘭西文学科に入学したばかりである。

20歳の隆慶一郎は、戦争で兵士として死ぬことになる運命だと自身の人生を諦めていた。彼の父は、息子である彼が外務省官僚となることを期待していたが、その父親ですら、いずれ息子が戦死することを察し、自由な学問を許した。早晩死ぬことになるなら、生きていられるかぎりは好きなことを学びたいとして、彼はフランス文学を選んだ。昭和18年10月、東京大学仏文科(東京帝国大学文学部仏蘭西文学科)に入学。すでに知識人の端にいた。が、その2か月後に学徒出陣となった。すでに夢中になっていた詩を学ぶことから離れるのはつらかった。

 当時の僕は、アルチュール・ランボーと中原中也の徒だった。岩波文庫で星一つの、薄っぺらいランボオ作・小林秀雄訳『地獄の季節』が、僕のバイブルだった。中原中也の詩集はすでに入手困難で、運よく手に入れた友人の『山羊の歌』と『在りし日の歌』のすべてを、僕はその友人の監視の下で、ノートに写しとっていた。
 入隊の葉書が届いた時、まっさきに考えたのは、この二冊だけは何が何でも持っていかねばならぬ、ということだった。それは難事業といえた。僕が入ることになっているのは陸軍の歩兵聯隊である。陸軍が海軍に較べて頭が硬く、思想統制もきびしいことは、当時の常識だった。詩集、それも外人の詩集などもってゆけるわけがない。忽ちに没収の憂き目にあうことは、目に見えていた。

彼は陸軍に引きずり込まれるにあたり、所持品のランボオ作・小林秀雄訳の『地獄の季節』の小冊が見つからないよう、分厚い岩波文庫である『葉隠』に偽装して組み入れた。かくして偽装本は見た目は『葉隠』だが、めくっていくと中ほどから『地獄の季節』が読める。いかにも陸軍が好きそうな武士道の書『葉隠』なら「外人の詩集」のカモフラージュに適していると彼は考えた。しかしせっかくの偽装工作もまずは効果を発しなかった。陸軍に入るや、内容にかまわずすべての所持品が一時没収という憂き目にあった。こうした滑稽にも思われる青春の思い出が、『死ぬことと見つけたり』の序章としてあえて書かれている。

一時没収された書籍は兵士として中国に送られる際に返却され、中国大陸の戦地をともにした。戦地では活字に飢えていた彼は、偽装の包みに過ぎなかった『葉隠』の部分さえ、何とはなしに読み出した。すると、これが存外にも面白かった。

 陸軍の軍人が共鳴する思想など、僕にとっては嫌忌の対象以外の何物でもなかった。僕は一篇のロマンを読むように『葉隠』を読んだ。何をすべきだとか、何をしてはいけないとかいう部分は、いい加減に読みとばし、誰それが何をしたという、いわばエピソードの部分ばかり読んだわけである。
 〈意外に面白いな〉
 それが最初の読後感である。以後二度、三度、五度と繰り返し読んでいるうちに、この面白さは確定的になった。何より人間が素晴らしい。野放図で、そのくせ頑なで、一瞬先に何をしでかすか全く分からない、そうした人間像がひどく魅力的だった。
 武士道のバイブル『葉隠』なんてものは、どこか遠くに消しとんでしまって、実に奔放に、自分の意にかなった生きざまを頑として生きぬいた曲者たちの一大ロマンと化してしまったというわけである。以後、戦争の間じゅう『葉隠』は『レ・ミゼラブル』や『岩窟王(モンテクリスト伯)』のように、或いは又『デビッド・カッパフィールド』のように、冒険と波瀾に満ち満ちた、痛快この上ない読み物として僕を楽しませることになった。

生死もままならない戦地に一年半も置かれながら、彼が『葉隠』のなかから読み出した「実に奔放に、自分の意にかなった生きざまを頑として生きぬいた曲者たちの一大ロマン」が、この『死ぬことと見つけたり』である。死地にありながら、自由に生きることを鼓舞した一大ロマンである。

『葉隠』との再会、そこに何を見たのか

物語執筆の来歴としては、ここまでの話で閉じてもよいかのようだが、彼はその筆を続けている。嘘というほどではないが、その先に微妙な思いの影が差してくる。戦争が終わってみると、彼はもう『葉隠』は読まなかったというのだ。『スワン家の方へ』『チボー家の人々』『自由への道』などのほうが性に合っていたと語っている。終戦後の10月、22歳の彼は東京大学に復学した。25歳には、10代からの憧れでもあった『地獄の季節』の訳者でもあり、著名な批評家でもある小林秀雄に出会い、卒業後は彼の元で働きたいと直接伝え、小林が編集担当をしていた東京創元社に入社した。その年、結婚もした。『葉隠』は彼の人生から霞んでいった。

しかし再会する。再会の思いのなかにむしろこの小説の本質がある。その話の前に、戦争直後の彼をもう少し追ってみたい。外面から順調に青春の夢を取り戻したかに見える隆慶一郎だったが、内面にはある困苦があり、絶望があった。それはポール・ヴァレリーという「事件」だった。

 戦争が終わり、僕は焦土と化した東京へ帰った。戦後の生活は辛くなかったといえば嘘になるが、戦争に較べればなにほどのこともなかった。何より好きな本を選んで読めたし、象徴詩の講義に出ることができた。僕はランボオからマラルメにゆき、ヴァレリにぶつかった。僕はまるまる五年間、ヴァレリという事件の中にいたと思う。やがて絶望が来た。余りにも精緻な言葉の構築物が、僕を拒否するように思えた。それに僕自身が、はやり戦争によって変わっていたのだ、と思う。
 その後の僕の放浪については書かない。只今の問題は『葉隠』にある。

文学を志向するインテリの学生にありがちな蹉跌の述懐だと理解しても、そう外してもいない。だが、極言すればここに隆慶一郎の謎のすべてが隠されていると言ってもいいかもしれない。ヴァレリーから『葉隠』への迂回は、戦争というものと戦後というものの意味の総体に関わっている。つまり、それが彼の人生に投げかけられた問いだった。そして そのおそらく答えに近いものが『死ぬことと見つけたり』に秘められている。

もう少し迂回したい。戦後という時代が落ち着いたころ、彼は再び『葉隠』に遭遇したと言う。『死ぬことと見つけたり』の序章は続く。

 そのうち世間が落着いて来て、『葉隠』についての著作や小説がぽつぽつと現れるようになって来た。書店でそういう本を見ると、つい手にとってめくって見たくなるのは、今までの因縁のせいであろう。
 ところが違った。これらの書物に書かれた『葉隠』は、僕の『葉隠』と全く違うのである。僕は戸惑い、やがて理解した。これらの書物に述べられた方が正統なのであって、僕の『葉隠』は無茶苦茶にデフォルメされた、ほとんど別物であるということをだ。(後略)

またしばらく『葉隠』から離れる時期があり、ある日、金策で蔵書を売る際に再び手したという。その機に読み返すと、やはり面白かった。『葉隠』は戦後の日々のなかでも彼には面白かった。正確に言えば、ヴァレリーという「事件」が静かに心に沈んでいた年月のなかで、蘇ったのである。

 同時に疑問が湧いた。
 『葉隠』は面白くてはいけないのか?
 戦争中ある意味で僕を支えてくれた『葉隠』は、確実に面白かった。恣意的なデフォルメによる下等な面白さだとお叱りを受けるかもしれないが、面白くてたまらなかったことはどうしようもない事実である。ではその事実を事実として認めては何故いけないか?
 その時はそれだけだった。『葉隠』を売らない方に置き換えることで、ことは終わった。だが、疑問の方は長く尾を曳いて、僕の心に残った。

ここで序章が終わり、『死ぬことと見つけたり』という時代小説が始まる。この物語は、明確にその疑問を提出し、解き明かすという、いわば哲学の書でもある。もちろん、手に汗握る闊達な一大ロマンにも仕上げられている。

疑問は、こう言い換えられる。「武士道とは死ぬことと見附けたり」ということの真実とは何か? ここで「武士道」とは広義に人の生き方だとしてもよい。では、生き方がなぜ死ぬことになるなのか。生きることを死と見ることが、生の自由を得ることだからである。その論証がこの小説である。そしてもう一段恐ろしい問いが控えている。私たち日本人にとってあの戦争が生み出した膨大の死者たちは何であったか。

ケイクス

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finalvent

「極東ブログ」で知られるブロガーのfinalventさん。時事問題や、料理のレシピなどジャンルを問わな...もっと読む

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