先日、ご近所に住むジェニファーに久しぶりに顔を合わせた。
おそらく70代半ばの彼女はこのところリューマチがひどく、歩行補助機が手放せなくなって外出もままならないのだろう。
開口一番に、私にこう聞いてきた。
「どう、最近? バレエ見てる?」
「いやあ、もう見たいダンサーがあまりいなくて。話題と言えばミスティだけど、踊りは相変わらずいただけない。でも彼女をけなしたら、racist(人種差別主義者)と言われるからねえ」
「あっはっは。内輪ではみんなけなしてるわよ」
体は弱っても、あっけらかんとした性格は変わっていない。ジェニファーは高らかな笑い声を残してゆっくり去っていった。
メトロポリタン歌劇場で上演された「白鳥の湖」(筆者撮影)
このジェニファーとは、実はかつてニューヨークタイムズ紙でダンス批評を書いていたジェニファー・ダニングである。
80年代から90年代にかけて、アナ・キセルゴフと並んでニューヨークのダンス評論家として名を這わせ、バレエ関係者なら知らないものはいなかった。
ダンサーを見守る目は優しく、あまり辛らつなことは書かなかったけれど、視点のはっきりした腕利きのライターだった。
初の黒人プリマ、ミスティ・コープランドのポスター(筆者撮影)
初の黒人プリマ登場
ニューヨークを基盤とするアメリカン・バレエ・シアター(ABT)は、今年も例年通りメトロポリタンオペラハウスで2カ月弱に渡る春のシーズンを終えた。
そして今話題のミスティとは、昨年の夏、鳴り物入りで女性プリンシパルダンサー(プリマ)に昇格された、ミスティ・コープランドのことだ。
ミスティの昇格が発表されたとき、コアなバレエファンの間では「なぜ彼女が」という疑問の囁きが多く聞かれた。
だがその声も遠慮がちだったのは、ミスティ・コープランドがABT始まって以来、初めての黒人女性プリンシパルだったからである。
シングルマザーに育てられ、恵まれない環境でバレエを続けながらついにダンサーとして北米最高の頂点に到達したというミスティ。その彼女を、テレビ、新聞など大手メディアは競うように取り上げて、アメリカ社会を象徴する美談として祭り上げてきた。
愛らしい顔立ちと、端正なプロポーションもあって、今や彼女の名前はバレエファンでなくても知っている。
“Play the race card”の意味は
多くの人で賑わうメトロポリタン歌劇場(筆者撮影)
だが純粋に1ダンサーとして、プリンシパルに相応しい実力かどうかというのは賛否両論。いや、はっきり言うと長年バレエを見てきた人々の間では、「彼女が白人だったなら、今でもコールド(群舞)の一員だっただろう」という意見が主流なのである。
私も20回以上彼女の踊りを見たが、クラシカルダンサーとしての技術に難があり、表現にも深みが感じられなかった。いくら何でもプリンシパルはないだろうと信じていただけに、昨年のアナウンスメントを聞いたときはちょっとショックだった。
She played the race card.
と、ある熟年のバレエファンの知人は口にした。
Play the race card.とは、主に黒人がマイノリティであることを利用して、有利な立場に自分をもっていくことを意味している。
でもそんなことは、とてもおおっぴらに口にできない。熊川哲也氏もどこかに書いていたが、もともとクラシックバレエ界とは白人至上主義の世界である。その中で、ようやく黒人プリマが誕生したのだ。
これまで黒人男性のプリンシパルはデズモンド・リチャードソン、カルロス・アコスタなど数名いたが、女性では初めての快挙とあって、とてもではないがいちゃもんなどつけられる空気ではないのだった。
人気低下に悩むバレエ団
メトロポリタン歌劇場のホール内(筆者撮影)
アメリカンバレエシアターは、北米でナンバーワンのクラシックバレエカンパニーとして知られてきた。
バレエに全く興味がない人でも、ミハエル・バリシニコフの名前は聞いたことがあるだろう。1974年にソビエト連邦(当時)から亡命したときに、彼を団員として迎えいれたのがこのABTだった。
バリシニコフが舞台に立つ日には、ABTの公演チケットは毎回完売で、当日限定販売の立見席を求めて、人々は前夜から列に並んだというから、バレエもロックコンサート並みの人気だったのだろう。
だがこのところ、会場では空席が目立つようになった。赤字続きで運営にも四苦八苦しているという噂である。
その理由の1つは、ダンサーの質の低下で集客がままならなくなったこと。
特に女性のプリマの衰退は著しく、芸術監督のケヴィン・マッケンジーは、英国ロイヤルバレエ、ボリショイやマリインスキーバレエなど、海外のスターダンサーたちを一本釣りしてゲストプリンシパルとして迎え、どうにか体裁を保ってきた。
だがその予算も尽きたのか、今シーズンはほとんど子飼いのダンサーだけで勝負をしている。ミスティ・コープランドのプリンシパル昇格も、そんな事情の中で行われたことだった。
ミスティ昇格にメディアが果たした役割
ミスティの昇格を後押ししてきたのは、メディアである。
特にジェニファーの古巣であるニューヨークタイムズ紙は、ミスティ・コープランドが群舞として入団した当初から、初の黒人女性プリンシパルダンサーになるか、と何かにつけて彼女を取り上げてきた。
そんな彼女はドキュメンタリー映画には取り上げられる、先日急死したプリンスのミュージックビデオに出演するなど、話題性が確実に実力を凌駕していったのである。
ここまで世論が盛り上がってきては、芸術監督のケヴィン・マッケンジーも、彼女をプリンシパルにさせる以外、選択の余地はなかっただろう。昨年の夏、ついにミスティのプリンシパル昇格が発表された。
今シーズン、ミスティ主演の日だけはチケットが完売になったようである。何度もマスコミに登場している話題の彼女を一目見ようと、バレエファン以外の人々も劇場にやってきたのだろう。その意味では、ABTの経営陣のもくろみは成功した。
バレエダンサーの私生活は意外と地味なものだが、ミスティだけはブロードウェイのゲスト出演、自伝の出版、コマーシャル出演と景気の良い話題ばかり。ついには彼女とオバマ大統領との会談も実現したようである。
アメリカ社会の本音と建前
アメリカ社会には、現在でも人種差別が歴然と存在する。その一方、マイノリティの成功者を必要以上に持ち上げることで「だから自分たちはフェアなのだ」と主張してバランスを取ろうとする一面もある。
アメリカ社会の本音と建前といったところだろう。ミスティ・ブームは、こうしたアメリカ人の罪悪感とうまくマッチしたのではないだろうか。
ちょっと飛躍するけれど、ドナルド・トランプのような極端な思想の人間が大統領候補に挙げられた背景には、Politically Correct(直訳は政治的に正しい、だが倫理的に正しいというニュアンス)でいることを強いられ、納得のいかないままに沈黙してきた白人社会の欲求不満も、存在しているのに違いないと思う。
ミスティブームはABTの経営不振を救えるか
好意的に考えると、ミスティの存在は、子供たちにとっては良いお手本になるだろう。次の世代の黒人の子供たちに、夢と勇気を与えてくれることは疑いもない。またこれまでアメリカ社会が黒人にしてきた仕打ちを考えると、黒人プリマが少しぐらい贔屓されてもまあ良いのではないか、という気にもなる。
だが純粋にバレエファンとしての感想を聞かれたら、他にもっと昇格に相応しいダンサーがいたのに、と思うのが正直なところだ。
ABT初の日本人ソリストだった鍛冶谷百合子さんが、昨シーズンを最後にパートナーと共にヒューストンバレエに移ってしまったのも、今のABTの経営陣の方向性に見切りをつけてのことに違いない。
ミスティ人気は、いつまで続くのか。彼女がABTの経営難を救うことができるのだろうか、長期的に見守っていきたいと思っている。
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