サザエさんのダンス。

ある老人ホームで働いていたときのことだ。フロアのチーフから、こんなことを言われた。

「二条さん。今度の敬老の日は、みんなでサザエさんのダンスをするから、頑張ろうね」

私はこの老人ホームで働いてまだ二週間ほどだったので、何が何だか分からない。「どういうことですか?」と尋ねると、チーフは教えてくれた。

「入居している高齢者が喜ぶように、ヘルパーたちがサザエさんの仮装をして踊るんだ」

去年もやったらしいので、そのときの写真を見せてもらった。写真を見て、唖然とした。男性職員も女性職員も、サザエさんのカツラをかぶって、つけまつげをして、スカートを履き、ほっぺを赤く塗ってる。この格好をして、サザエさんのテーマ曲に合わせてみんなで踊るというのだ。

お魚くわえたどら猫……という曲を流しながら、みんなでお年寄りを笑わせるために踊るのだという。

……冗談じゃないと思った。こんな、こっぱずかしいことやってられるかと思った。カラオケで歌うのもイヤな私が、こんなことできる筈ないじゃないか。自分がサザエさんの格好をして踊っている姿を思い浮かべると、恥ずかしさと屈辱感で汗が噴き出す思いだった。フロアには十人ぐらいの職員がいて、気の合わない人もいれば若い女の子もいる。そんな人たちは、私がギクシャクしながら踊っているのを見て、どう思うだろう。

(見ろよ、二条、踊ってるぜ……)

想像するだけで、卒倒しそうだった。去年の写真を見る限りでは、職員一同、みんな笑顔で踊っているのだが、

(あんたたち、正気かよ? 恥ずかしくないの?)

という疑問しか起こらなかった。お年寄りを楽しませるなら、もっと他の方法もある筈だ。どうしてこんなマネを……。

「これも仕事のうちだと思って我慢すればいい」と思う人もいるかもしれないが、恥辱の対価として時給八百二十円はあまりにも安すぎる(三万円もらってもイヤなぐらいだ)。恥をかくのを怖れて人生のあらゆる場面から逃げてきた私に、この任務はあまりにもつらいと思った。大げさに聞こえるかもしれないが、私にとって、サザエさんの格好をして踊るというのは、人間の尊厳を傷付けられるような行為に思えたのだ。

結局、敬老の日が来る前に、その老人ホームは辞めてしまった。

今度、面接を受けるとき、

「どうしてこの老人ホームを辞めたのですか?」

と訊かれたら、

「サザエさんの格好をして踊るのがイヤだったからです」

と答えなければならないのだろうか。

そんなこと正直に言う必要もないけど、人並みにおどけることもできないということは、言っておく必要があるような気もする。

2 Responses to “サザエさんのダンス。”

  1. kyotosometime Says:

    >>と訊かれたら、
    >>「サザエさんの格好をして踊るのがイヤだったからです」
    >>と答えなければならないのだろうか。

    個人的見解範囲では、充分な理由になると思いますし、世間話レベルなら「まあ、人によるよね」位の同意は結構得られると思います。

    ただ、面接官相手には、まあ、よそ行きの言葉に微修正して話す必要有りますね。。

    >>そんなこと正直に言う必要もないけど、人並みにおどけることもできないということは、言っておく必要があるような気もする。

    ってことだと私も思います。

  2. 二条淳也 Says:

    kyotosometimeさん

    そうですね、人によるんでしょうね。でも、私には屈辱的すぎて耐えられなかったです。。。

    他の人はあれぐらいは出来るんでしょうかねえ。。。

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