母の日とひきこもり。

近所のスーパーに食材を買いに行ったら、なにやら画用紙がたくさん貼ってあった。見ると、どの画用紙にも似顔絵が描いてある。もうすぐ母の日なので、近所の子供たちが母親の似顔絵を描き、それをお店が貼りだしたようだ。

〈おかあさん いつもありがとう〉

〈おかあさん だいすき〉

そんな文字が、似顔絵のすぐ横に書いてある。二歳児が描いた似顔絵はぐちゃぐちゃで、なにがなんだか分からないが、それだって、その子なりに大好きな母親を描いたのだろう。

複雑な気持ちである。

私が物心ついたときには、すでに母親に対して強烈な恐怖と嫌悪感があった。

(家に帰ったらお母さんがいるのか……)

と思うと、本当に家に帰るのがイヤだった。母の日になにかプレゼントをしようと思った時期もあったが、たぶんなにもあげななったように思う。なにかあげた年もあったかもしれないが、一度として喜んでもらえたためしがない。

「そんなものいらないから、勉強しなさい!」

そんなふうに言われて、あげたプレゼントを開封してもらえなかった光景が、今でも記憶に残っている。自分の生んだ息子によくそんなことができるなあ、と呆れてしまうが、そういう態度しかとれない親もいるのだろう。「ひきこもりは自己責任だ」という人もいるが、私はそうは思わない。ひきこもることによって、毎日少しずつ母親に仕返しができていると思うと、ちょっとばかりの充実感を感じるほどだ。

中年になって、自分の人生を振り返ってみても、母の日に関して心温まる思い出というのは、ただの一つもない。人格を否定されたような思い出ばかりだ。スーパーには、

〈大切なお母さんへカーネーションを〉

などとあって、カーネーションがたくさん売られていたが、それを買おうという気持ちはまったく兆してこなかった。そして、たぶん自分は一生これを買わないんだろうなあと思って、ちょっと悲しくなった。

子供たちが描いたお母さんの絵は、みんな笑っている。ウインクをしているお母さんもいれば、ピースサインをしているお母さんもいる。

だが、もしかしたら、「笑っているお母さん」を描けなかった子もいたかもしれない。

そんな子は、どんな人生を歩むのだろうか。

この時期はいつもつらい。

6 Responses to “母の日とひきこもり。”

  1. あいさ Says:

    二条さんが可哀想に思います。

    しかし、これも現実。人生をやり直すこともできないし、自分の過去も変わらない。
    どう思うか、それは二条さん自身の問題ですから(決して突き放して言っているのではありません。重い問題だし、私は十分に共感しています。私自身も少なからす二条さんの生育環境に似ていますから)、仕返しの毎日でも私はそれが良いとも悪いとも本当に断定出来ません(大抵の人は悪いことだと決め付けることでしょうね)。

    スーザン フォワードの「毒になる親」を読まれることをおすすめします。
    きっと二条さんは頷くことが多いと思いますし、ありきたりの考え方を要求されることもないでしょう。

  2. kyotosometime Says:

     私も、青年期までは、AC(アダルトチルドレン)関連の本をよく読んで、自分が生き生きとした人間になれなかったのは、親との関係性、、、ついてねえなあと思っていた所があります。

     途中で、総括してみた所、親の責任より、自分の不甲斐なさの要素の方が大きかったと、その感情は封印しました。(生活がめちゃくちゃになって、AC関連の思想どころではなくなった。)

     でも、一方で、AC関連の心が絡まったまま、一生を過ごす人は、確実に一定層居るんだろうなとも思って来ました。引きこもり関連とAC関連の集まりにどの程度共通性があるのか、私には分かりませんが、後者の集まりにも出てみれば、同じ思いを共有できる人と会えるのかもしれません。。。

    後、もひとつ余談話。学生の頃、生きづらくて、ある本を読んだら、「内観をすると生きている感謝で一杯になるから、死ぬ気などなくなる」とあったので、冬の寒い時期に、北陸のお寺まで出かけました。。
    その後は、内観をご存じの方、お馴染みの「@@さんに、してもらったこと、してかえったこと」を屏風の一角に正座して、1日中、思い出すわけですが、始まりにして、最重要人物の@@がお母さんなわけです。。

    割と多くの人が(不良少年なども含めて)、母への感謝の思い出が沸き上がってきて、そのことを和尚さんに、泣きながら、語りだしたりする展開になるようなんですが、、私は、何も浮かび上がってこず、1日でギブアップしました。

    その頃からも「私は、どうも例外的経験をすることが多く、一般論や多数派の論理では生きていけないよな。自分だけの生きていく指標を掴まないと人生しんどいよな」と思っていました。

    まあ、今も相変わらず、どうにもなっていないのですが。。

  3. 二条淳也 Says:

    あいささん

    母の日、私と同じ心境になった人も案外多いと思います。

    残念なことですが。。。

  4. 二条淳也 Says:

    kyotosometimeさん

    北陸のお寺のお話、興味深かったです。私なら、涙を流しながらお母さんのことを話す人に対して、芝居めいたものを感じてしまいますね。

    例外的経験を多くするというのは、私と似ていて、ちょっと笑ってしまいました。ごめんなさいね(笑)。

  5. まりも Says:

    二度目の投稿です。プレゼントなんていらないわよ、、なおさら思春期に言われると傷つきますよね。
    実はうちの母も同じこと言うことがあるのですが、影で喜んでいたことが発覚してから、少し母の性格がより分かったような気がして。
    ある日、何気なく開いてあった母の携帯を覗いたら、母の日にあげたお花の写真がわんさかとファイルに入っていました。
    母はこうあるべきだという定規をもっていたら、憎むべき態度ばかりかもしれませんが、やっぱり超不器用な母親失格な母親も世の中にはいるんだと、最後には認めてあげるしかないと思います。ちなみに隠れ更年期障害をもつ母親は、ただの鬼です。

  6. 二条淳也 Says:

    まりもさん

    ホント、傷つきますよね。

    まりもさんのお母さんは喜んでいたようで、良かったですね。ただ、携帯を見なかったら、まりもさんは今でもつらかっただろうな、とも思いました。

    不器用な親に育てられると、子供も気難しくなりますね。

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