上司がイヤだから辞めた。

工場で掃除のアルバイトをすることになった。もう十年以上前の話だ。私と同時に採用された人が五人ぐらいいて、エンドウさんもその一人だった。エンドウさんはかなり優しい人で、危ない仕事を私がやっていると、

「それ、俺がやってあげるよ」

と代わってくれるような人だった。口調もまた穏やかで、六十歳のエンドウさんは、はるか年下の私に必ず敬語をつかってくれた。休憩時間も同僚と下らない世間話をすることはせず、エンドウさんはいつも一人で考えごとをしていた。私はエンドウさんに好感を抱き、電話番号を教えた。

しばらくして、エンドウさんから電話がかかってきた。

「今の仕事は、僕が受注することになった。給料は僕から二条くんに支払うから」

どうやらエンドウさんが仕事を会社から請け負い、私の雇い主になったようだった。会社とエンドウさんとのあいだにどんなやりとりがなされたのか分からないが、きっちり給料さえ貰えれば文句はない。私は「ああ、そうですか」とだけ返事をした。

ところが、これをきっかけにして、私とエンドウさんとの仲は不穏になった。仕事を受注し、雇い主になってから、エンドウさんは変わった。尊大な口調になり、態度もまた極めて横柄になった。

「エンドウさんは今日は何時までの勤務ですか?」

と何気なく訊いても、

「うるさい! いいから黙ってやれ!」

などと、高圧的に相手を黙らせることが多くなった。「二条くん、二条くん」と穏やかに話しかけてくれた態度はなくなり、

「イヤならもう来なくていいから!」

というのがエンドウさんの口ぐせになった。あの優しかったエンドウさんが……と、しばらく悲しい思いがしたが、次第に悲しい思いはなくなり、エンドウさんの豹変に対する怒りばかりを感じるようになった。結局、最後はエンドウさんと衝突し、私は辞めた。その頃、同じ理由でほぼ全ての人が辞めており、私が辞めたあと、工場はエンドウさん一人だけになった。威張り散らした報いだと思って、私は内心「ざまあみろ」と思った。

「上司がイヤだったから辞めた」

という人はすごく多い。私の周囲を見ても、そんな理由で辞めた人が何人もいる。正社員ですら、この理由で辞めている。女の子もまた「店長がイヤな人だったから辞めた」と口を揃えて言っている。

イヤな人が上司になるのだろうか。それとも上司になった途端、人はイヤな人間に変わるのだろうか。

人なつこく「二条くん」と話しかけてくれたエンドウさんが本当のエンドウさんなのか、雇い主になって威張り散らすようになったエンドウさんが本当のエンドウさんなのか、今でもよく分からない。

立場が上になると、人は豹変するということが分かっただけだ。

2 Responses to “上司がイヤだから辞めた。”

  1. あい Says:

    短大時代、コンビニでアルバイトしていました。そこの上司が仕事中は厳しかったけれど優しい人だったので、社会に出てからも連絡を取り合っていました。であるとき上司が店長からオーナーに変わり、私も失業していたので、店舗が変わっても雇ってもらいました。が十数年経てば人柄も変わるんですね。私のこと認めてくれていたはずの店長が、オーナーになってから態度が180度変わったんです。
    横柄な態度、物を叩くなどして(怖い思いした)、で喧嘩になり速攻辞めました。
    あれから2年が経ちましたが、今でもあの光景が浮かびあがります。
    面接行くのが怖くなりひきこもりになった原因でもあります。
    今となっては、表裏があった人と受け取っていますが、どれが本当の上司だったのかわかりません。
    短大のときの優しさは仮面だったのかな。。自分も含めてですが、環境が変われば人って変わりますよね。
    変わらないのはワンコだけかも。ワンコはどんなときもしっぽふってきてくれる。。人間よりも癒されますよね。

  2. 二条淳也 Says:

    あいさん

    あいさんもつらい思いをされましたね。立場が上になればなるほど、人間は態度が悪くなっていくようですね。二年ぐらいなら、まだ恐怖感も残っている頃でしょう。

    ホント、信頼できるのはワンちゃんぐらいかもしれませんね(笑)。

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