悲しくても涙が出ない。

高校生のとき、愛犬が亡くなった。私はその犬を文字通り「狂おしいほど」愛していたので、亡くなったときは本当に悲しかった。

だが、涙は出なかった。

自分でも「どうしてこんなに悲しいのに涙が出ないんだろう」と不思議に思うほどだった。こういうときは涙を流して泣くのが正解なんだろうけどなあ、と思ったのだが、どうしても泣けなかった。自分には人間的感情が欠落しているのではないかと、不安になったほどだ。

これまでの人生でずっとそうだったのだけど、私は自分の内面にある感情を正直に表すことができない。特に涙に関しては、なかなか思うようにコントロールできない。

世の中には、「涙を流すべき場面」がある。そういうときに涙を流せないと、他人から誤解を招くこともある。

中学生のとき、第一志望の高校の受験に失敗した。悲しかったが、涙は出なかった。それを見た母は、私にこんなことを言った。

「あなた、悔しくないの? 普通の人だったら、こういうときは悔しくて泣くものよ」

なるほど、普通の人はこういうときに泣くのか、と思ってみたが、どうしても涙は出ない。悲しいときだって涙が出ないのに、悔しくて泣ける筈がない。母の前だから一応、涙の一粒でも流しておくかと思って頑張ってみたが、どうしても泣けなかった。

感情表現が率直じゃないと、周囲から「可愛くない」と見られることがある。

私はこれまで数え切れないほど多くの人から「可愛くない」と言われてきたが、それは感情表現が率直じゃないからだろう。多くの人が笑っているときは、自分も笑わなければならず、多くの人が泣いているときは、自分も泣かなければならない。そしてそれができない人が「可愛くない」という烙印を押されるのだと思う。

だが、本来、涙なんてものは頑張って出すようなものではない。出なければ出ないでいいではないか。中学生のとき、合唱コンクールでクラスが負けてみんな泣いていたのだが、私一人だけケロッとしていた。そういう生徒でも、「普通に扱われる」社会が望ましいと思う。

親が死んでも涙は出ないかもしれないが、それはそれで納得してもらうしかない。

4 Responses to “悲しくても涙が出ない。”

  1. ザック Says:

    私も、あなたがこの社会で生活しにくくしているのは、全てはそこに原因があると思います。乏しい感情表現。ただ、日本は特別にそういうタイプの人に厳しいです。「普通」と違うと差別されてしまう。ほっといてくれない。私は海外で幼少時代を過ごしていたのですが、日本に帰国したとき、酷く苦労しました。他国ではほっといてくれることを、この国では認めてくれず、吊し上げです。
    辛い因習です。もちろん、その因習のおかげで国の秩序が保たれるとか良いこともあるのですが・・。よく「個性」を伸ばせとか大人は言いますが、矛盾していますよね。私も息苦しいです。

  2. あい Says:

    自分が悲しいときは、大泣きします。が、皆が泣いているときはケロっとしています。
    なぜなんでしょうね。地震の時も、皆が騒いで買い物しているとき、私は特にさわがず、買い物も
    しませんでした。周りからは”あの人、人ごとだと思っているから”という声が聞こえました。
    だから仕事も個人プレーでやる仕事は長続きしましたが、チームプレーでやる仕事はわずか2か月
    もたずです。。理由は、皆が騒いでいるとき騒げないから。無理してでも合わせるっていうのが無理
    なんでしょうね。であるとき、性格を変えてみようと思い、皆に合わせて行動していた時期があります。
    でも無理が重なってしまいひきこもりになりました。団体の中では演技していないとダメですね。
    二条さんは自分に正直なんだと思います。

  3. 二条淳也 Says:

    ザックさん

    「乏しい」とは思いません。感情表現が派手ではないだけだと思います。

    百人いれば百通りの感情表現があるので、それを認められる社会であって欲しいと思います。

  4. 二条淳也 Says:

    あいさん

    私もチームプレーの職場はつとまりません。みんなと合わせられないっていうのは、おそらく致命的なことなんでしょうね。

    演技ができない人は、かなり生きづらい人生になりますよね。

Leave a Reply