「理解」と「許す」は違う。

介護の仕事をしていたとき、知的障害の人から暴力をふるわれたことがあった。その人は三十代の人なのだが、知的障害と身体障害があり、介護が欠かせない状態の人だったのだが、「介護士に暴力をふるってはいけない」という当たり前のことが分からなかったようだ。

暴行を知った母親は私に対して、

「二条さん、すいません! すいません!」

と何度も謝っていたのだが、話し合いのふとした瞬間に、こんな言葉を発した。

「障害者だと思って理解して頂いて……」

正直、この言葉はとても不愉快に感じられた。

以前、精神病の人と待ち合わせをしたとき、待ち合わせ時間を三十分以上過ぎてから電話があって、

「今、起きたとこなんだ。これからそっちに行くよ」

と言われて強い怒りを感じたことがある。彼もまた、私の怒りに対して、

「俺、精神病だから、理解してもらわないと……」

と言っていた。

なにか勘違いしているのではないか。

「理解」と「許すこと」はまったく違う。理解していれば、なにをやっても許されるというわけではない。そのへんのところを、障害者や弱者と言われる人たちは勘違いしすぎている。

今回の知的障害の人の暴力についてはどうだろう。彼が日常会話もできず、正常な思考回路もないことは「理解」できる。だが、だからといって暴力をふるっても許されるというわけではない。私は彼がどんな状態なのかそれなりに「理解」していたが、出血して病院に行くハメになったことは、絶対に許せないと思った。というより、許してはならないのだ。

弱者と呼ばれる人たちは、「理解」という言葉に甘えすぎている。「理解」という言葉のもと、どれだけ多くの人が彼らの行為に泣き寝入りしているのか、もっと知るべきである。

私はひきこもりである。世の中の人に、もっとひきこもりを「理解」して欲しいと思っている。働こうと思っても働けないこと、人間関係にどうしても馴染めないこと、それらを「理解」して欲しいと思っている。

だが、だからといって、ひきこもり当事者の行為すべてが許されるわけではない。ひきこもりといっても社会の成員である。人として許されないことは非難されてしかるべきだ。「理解」という言葉のもと、色んなことが許されれば、ひきこもりはもっと甘えていくだろう。

「理解」はして欲しいが、許されないことに対しては、きちんとその非難を受け入れていくつもりだ。

31 Responses to “「理解」と「許す」は違う。”

  1. kyotosometime Says:

    うーん、これも又、難しいテーマですね。。。神様もこんな厄介な問題は、二条さんの所に預けずに、もっと余力がある人の所に預けりゃいいのに。と思ってしまいました。

    しかし、介護のお仕事もされていたんですね、私も介護の道に入りかけて、半年で離脱しました。続けられる人は凄いなと思っています。

  2. エリナ Says:

    けがをさせられるなんて、災難でしたね。
    でも知的障害の人が、「介護士に暴力をふるってはいけない」というあたりまえのことがわかっていないというのは逆で、介護士の方がわかってないといけないのかもしれませんよ。
    学校の先生の体罰が今、問題になってますが、私は中学校の先生が生徒に殴られるケースを知っています。先生は、その生徒を許せないと思うでしょうか。職業上、それでも指導していくのが先生なんだと思います。高齢者や、子供を預かる施設の職員も同じ心構えがないと務まらないと思います。
    もちろん一人で対応するのが危険な場合は、複数の職員で対応したり、配置換えを申し出るなり、無理な場合は辞めたりしてるんでしょうね。
    (私にはとてもできません^^;)

    理解するということは許すことも半分、入っていると思います。精神病の人も暴力こそふるわなかったけど、わがままだったりドタキャンしたり、ありました。病気だから大目にみようと思ってました。
    もちろん許す範囲も、何でも許すというのではなく、その人のもつ障害の程度によって変わってくるし、接する人の立場、つまり家族、仕事上、友人恋人らと他人とでは許容範囲も違ってくるでしょう。

  3. さくら咲く Says:

    介護の仕事は大変だとお察しします。

    当事者が許してもらうことを期待して、理解してほしいと思うのは違うと思います。
    反対に理解する方は、事情が分かった上で許すことはあるのではないでしょうか・・

    二条さんも、このケースは許せないでしょうが、
    違うケースで、純粋に心から理解してほしいという態度の人が相手であったら
    理解して許すのではないかしら。
    暴力はもってもほかですけどね。

    自分が許してもらって暖かい気持ちになったら
    反対に自分も誰かを許すことができるような気がします。

  4. セリカ Says:

    二条さんの実例が「障害者」を出しているものですから、一瞬、残酷だなと思いましたが、よく考えると、暴力をふるわれる事じたい、相当な痛さが伴うのだから普通に許せないのは当たり前だと思います。
    しかも相手に仕返しもできないのだから、障害者だから理解してなんて言われても、家族でない限り無理なことですよね。ごもっともです。それは、実際に経験された方でないとわからないことだと思います。

    でも、その言葉を取り上げて考えると、つい言ってしまったご両親は、今までそうやって自分に言い聞かせて、何をされても「理解しなきゃ」と思って頑張って育ててきたのではないでしょうか。そして、いつも見かけると思うことは、いつも子どものために周りに謝りながら生きていくって、相当辛い宿命だなと思います。

    言葉って、その言葉だけを考えると怒りを感じますけど、どうしてそんな言葉がでてきたのかなと考えると少し心に余裕ができるような気がします。でも、そんなことを思ってあげるほど私もできた人間ではありません。ただ、言葉に振り回されて浮き沈みをする生き方が嫌なだけで、結局逃げているだけかもしれません。

    果たして世界中のひきこもりの家族をもつ人々は、理解しているのでしょうか。それとも理解はできないけどその生活ぶりを、ただ許してあげているのでしょうか。わからないですね。「理解」してもらっていると思っても、本当に理解しているかどうか、実際分からないものですね。

    長くなりました。。

  5. エリナ Says:

    暴力をふるわれることは痛い、怖い辛いと想像できます。また知的障害者の人は、うまく言葉が話せないから手が出たりするのも予想できます。介護士の人も辛くて辞めたくなるとは思うけど、職業上、利用者に対して「わかってない」「許せない」とは思わないんじゃないかしら。
    被介護者から暴力をふるわれたりしたことのある介護士さんたちの意見が載ってました。ご参考まで。
    http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1449956304

    二条さんが、ひきこもりの人が何をやっても許されるわけがない、甘えててはいけないと書かれているのはもっともなことなんですが、ひきあいにだされた障害者の人の例(本当にあったエピソードなら)は少し適当ではないし、同じレベルで考えない方がいいと思いました。自分がうまくいっていない人生(私も含めて)でも、弱い立場の人に思いやりの気持ちを持ちたいと思うし、状況によっては甘えてるんじゃないかと腹立つ時もあるかもしれませんね。

  6. 諸星ノア Says:

    こんにちは。

    介護職のことをよく知らなかったんですが、↑のエリナさんの貼られているリンクを読み、利用者の暴力があり、暴力の程度も相当な物であることを知りました。

    二条さんも、出血して病院に行くほどですから、相当なケガをされたのでは?大変な思いをされましたね。

    ただ介護の仕事でのトラブルなら、同じ職場のスタッフと対応を話し合うことはできなかったのでしょうか?

    精神障害者のケースは、確かに私も同様な経験があります。待ち合わせ時間に来ないとか。その時は、怒りましたけど。でも後になって、言い過ぎたなと反省しました。

    今精神科デイケアに通ってますが、時々イラッと来る方もいるんですが、まぁ病気だから仕方がないと理解するようにしていますし、気になることはスタッフに相談したりします。

    いずれにしても、二条さんは、独りで考えが固まってしまっている気がして、人に意見を求めた方が良いのではないかと思います。介護のケース、障害者のケース、ひきこもりのケース等々、個別に見ていく必要があると思われますので。

    それと私だけが感じることかもですが、二条さんは障害者に対して、相当嫌悪感を抱いているように感じました。また弱者に対する、上から目線というか、蔑視というか。そういう気持ちが、文章に通底する気がします。

    漠然と弱者の側にいる人だと思っていたんですが、立ち位置が違うんだなと感じました。私は障害者の枠にいるので、まるで自分が説教されているように感じます。

    そこら辺を感じるので、この記事は、心にすとんと落ちないんです。

  7. 二条淳也 Says:

    kyotosometimesさん

    へえ、kyotoさんも介護やってたんですね。今回の記事に、離職率の高さの一因があると思っています。

    それにしても、kyotoさんのコメントにはよく神様がでてきますね(笑)。

  8. 二条淳也 Says:

    さくら咲くさん

    もし純粋に理解して欲しいと思っている障害者がいたら、理解できるかもしれませんね。

    ただ、一方的な甘えと理解要求は、やはり飲めませんね。

  9. 二条淳也 Says:

    セリカさん

    ホント、仕返しできないのがつらいです。正当防衛すら認めてもらえないのが介護現場の現実ですから。他人に暴力をふるわれて泣き寝入りするときのつらさは半端じゃないですね。

    ひきこもりについてですが、「理解はできないけど、その生活ぶりをただ許している」という記述にはハッとさせられました。うちの親もそうかもしれませんし、他の家もそうかもしれません。ひきこもりを本当に理解している親は少ないと思うのです。

    私個人としては、今のような生活形態(ひきこもり)は「許されない行為」だと思っています。だからこそ、なんとかしようと思えるのです。

  10. 二条淳也 Says:

    ノアさん、こんにちは。

    病院に行ったら、「歯がかなり奥まで達している。もう少しで縫うところだった」と言われました。これが耳だったら噛みちぎられていたでしょうね。

    介護をご存じないようでしたらお話しますが、介護の現場は「泣き寝入り」に支えられています。暴力をふるわれてもセクハラをされても、多くのスタッフは泣き寝入りしています。ものごとには話し合いで解決できるものとできないものがあります。そして現時点では、障害者の暴力についてはなすすべがないのが現状なのです。私の上司もその障害者にお腹を殴られて骨折しました。これが人として許せると思いますか?

    なるほど、ノアさんのおっしゃるとおり、独りで考えが固まっているかもしれませんね(笑)。ただ、これはブログであり、自分一人の考えを露出する場だと思っているので、あえてそれを記述しています。

    おかげさまで、私のブログには多くの人が来てくれるようになりました。「共感している」とコメントしてくださる方も多くいます。人に意見を求めていたら、たぶんこれほどの共感は得られなかったと思います。間違っているとしても、その固まった考えを愚直に表しているからこそ、共感が得られていると思っているのです。

    記事には書きませんでしたが、障害を持つ人からはさんざんイヤなことをされてきました。そのへんの感情が、文章に出ているかもしれません。そして、それは悪いことではないと思っています。

    問題が起きると、人はどうしても「弱者」の側につきます。そのため、健常者の人権はいつもないがしろにされます。でも、健常者にも人権はあるんです。障害を持っている人はすぐに「それは差別だ!」と言いますが、実際は障害者が健常者を差別しているのではないですか? 私はこのような「健常者差別」こそが根深い問題だと思います。

    「差別」という言葉を怖れるあまり、この手の話題から社会は逃げすぎています。私も今回の記事を書いた時、障害者はヒステリックに反応するだろうなと思いました。でも、それを怖れていたら、なにも進みません。だから書いたのです。

    「病気だから許される」「障害だから許される」というのは、障害者本人にとっても不幸なことだと思います。

    障害者の多くは、とても孤独です。「病気だから許してもらえる」という考えが、孤独を招いているのだと思います。知り合いのA君は精神病で、「俺は病気だから友達ができない」と言っているのですが、私からみれば「病気だから」ではなく、「病気のせいにしているから」友達ができないようにみえるのです。「病気だから待ち合わせに二時間遅刻しても許してもらえる」などと思っていたら、人々が離反するのは当然だと思います。

    デイケアで色んな思いをされているとのこと。また、待ち合わせのときに怒ったことがあるとのこと。そのときノアさんがどうやって対処したのか。どうやって自分のなかで折り合いをつけたのか、とても興味があります。

  11. 二条淳也 Says:

    エリナさん

    >学校の先生の体罰が今、問題になってますが、私は中学校の先生が生徒に殴られるケースを知っています。先生は、その生徒を許せないと思うでしょうか。

    許せないと思います。逆にお聞きしますが、エリナさんは、自分の子供が怪我をさせられた時、「相手は障害者だから我が子が怪我をさせられても我慢しよう」と思うのですか? 愛する人が怪我をさせられても、「障害者だから仕方ない」と思うのですか。

    今回の記事のとき、私の父はカンカンになって怒っていました。

    「障害なんて関係あるか! 自分の息子が怪我をさせられて黙っていられるか!」

    と猛烈に怒っていました。

    エリナさんの例ですが、学校の先生の親の立場になったことはありますか? 息子は教師だから、殴られても我慢しようと思いますか? 相手は生徒だから息子が怪我させられてもしょうがないと思いますか? エリナさんに本当に愛する人がいるなら、考えてみて下さい。

    また、職業だからそれが許せるというものではないと思います。

    知り合いの医師は、ある患者があまりにも私生活の干渉がひどく(診察室で医師の給料を聞いてくる)、我慢できなくなり、「もうあの患者をよこすな!」と言って診察拒否にしました。職業だからなんでも受け入れられるというものではありません。暴力をふるう患者には、多くの病院が退去を命じているという話を看護師から聞いたこともあります。世の中には許せることと許せないことがあるのです。

    世の中には心の広い人と狭い人がいて、私は狭い部類に入ると思います。ですから、もし「許して欲しい」と思うなら、心の広い人とだけ付き合えば良いのだと思います。実際にそんなことがあればの話ですが。

  12. 諸星ノア Says:

    こんにちは。

    介護職の問題では、上司の方もすごい暴力を受けたそうで、それは分かりました。

    ただそのレベルと、精神障害者の方が約束を守らないというのは、また程度が違うのだと思いました。

    介護現場での利用者の暴行問題は、別個に考える問題じゃないかと。利用者の暴行で、介護の現場が疲弊していれば、それはそれで公にして、考えていくべき問題だと考えます。

    暴力を振るわれて、酷いケガをさせられれば、私も許せないってなりますね。ただ、約束を守れないくらいなら、私なら怒りますけど、まぁ我慢どころかなと。ただ注意はするでしょう。

    二条さんは、障害者の方から相当色んな思いをされたようですから、障害者憎しになってしまうのも仕方ないかもしれません。私も同じ立場なら、そうなるかもしれないですし。

    待ち合わせ時間に会えなかった人のケースですが、後になって、彼が統合失調症だったことが分かり、その行動がある程度理解出来たり、彼が自身のルーズなことを謝ってきたことで溜飲を下げたり、それ以降彼が私の怒りを恐れて私を避けていることに至り、悪いことしたなと感じたのでした。

    デイケアでの出来事ですが、暴力とかはないですが、平気で見た目の欠点(デブとか容姿のことなど)を言ったり、KYなことを言う人がたまにいるんですが、スタッフと相談したりして、その人それぞれの事情を理解したりしています。

    ただ暴行・暴力とかそうなると、そういう心の余裕がなくなるでしょうね。

    デイケアスタッフは、デイケアでのルールを守れない人や、人に迷惑をかけている人には、口頭でちゃんと注意しています。

    「病気のせいにしているから」って記述が、引っかかりました。病気を持っている人は、差別されるのが分かっているから、外に出られないのでは?周囲の無理解に苦しんでいる病気の人は少なからずいるでしょう。ひきこもりだって、そうじゃないですか?

    気になるのは、健常者の立場にありながら、ひきこもりの苦しみとなると、一般の人に理解を求める姿勢になるのが、違和感です。それは都合が良いというか、甘えじゃないんですか?二条さんが弱者の側にいなければ、世間に理解を求めずとも、我が道を行けば良いと思います。

    ブログは、書いている人が基本好きなことを書けばいいし、私もそうやってブログを書いていますが、この記事で、二条さんと私とはどうも立ち位置が違うことが分かりました。健常者と障害者ですから。

  13. セリカ Says:

    一見両方の意見がぶつかりあっているように見えますが、結局どちらも正論のように思えます。
    私にとっては、介護士として、障害をもつ方としての心情が痛いほどわかりました。
    これから、道で見かけることがあった場合、見方が全く変わってきます。そういった意味で、意義のあるブログのような感じがします。

  14. エリナ Says:

    中学校の先生が生徒に、ひどい大ケガをさせられたら、中学生といえども傷害罪で警察を呼ぶことになるでしょう。
    しかしそれは極端な例だと思いますし、子供や知的障害者に「何をやっても許されるわけではない。勘違いしている」というのは違っていて、彼らに言ってもわからないんですよ。
    だからそういう職業につく時に、接し方導き方というのもあるんだと思います。引用したページに書かれていたのを見て下さいましたか。
    知的障害者の人にケガをさせられて腹がたったお気持ちはわかりますけど、私がこれまで書いたこともわかって頂けたらと思います。

    >知的障害と身体障害があり、介護が欠かせない状態の人だったのだが、「介護士に暴力をふるっては>いけない」という当たり前のことが分からなかったようだ。

    介護の仕事をしていて、どうしてこういう文章が書けるのか違和感を感じたのです。

    なんとなく指摘した点をずらして、枝葉をひろげてすごく反論される方だなと思いました。
    前に二条さんが「私がひきこもりになったり、精神科に通うようになったことで、親が贖罪の意識を持っている」と書かれていたので、贖罪の意識という言葉がすごいなと思ったんですが、「親のせいにしていいのは20代までかも」と私が書くと、「ひきこもりは誰のせい?」という次の記事で、自分のせいにしてうつ病になってしまう人もいる、本人のせいだと簡単に言う人は、、、と書かれていたと思いますが、そこまで私は本人だけのせいだとか言ってないし、思ってもいないですよ。
    時々、文章に、少し違うのではと思うことが断定的かつ誇張的に書かれていて、根本にある何かが見え隠れします。
    でもここは二条さんのブログなので、私はもう見に来ません。ごめんなさい。失礼しました。

  15. ととり Says:

    二条さん、
    今夜は大変な討論?になっておりますが、みんなそれぞれ考えかたがあるんですね。それぐらい大きなテーマをあなたが出しているということ。
    ちなみに私はエリナさんの投稿もいつも楽しみにしてます。いつも投稿は、厳しいことも書いてはいるものの、優しさを感じるアドバイスもあったりして、二条さんも同じことを感じているはずです。来ないなんて言わず、これからも投稿してください!

  16. 二条淳也 Says:

    諸星ノアさん

    こんにちは。

    介護現場での暴力はたしかに公にして考えていくべき問題ですが、現実では泣き寝入りに支えられています。

    ノアさんの例、興味深く読ませて頂きました。ノアさんの場合ですと、相手がきちんと謝ってきたり、事情を相談できるスタッフがいたのが大きかったみたですね。私の場合はそのようなものがありませんでしたから。

    私は自分が健常者だとはあまり思っていません。知的障害の人と接しているときは自分が健常者だと思えてしまいますが、一般社会では私も障害者の部類に入ると思います。中年にもなって自宅にずっといるなんて、正常な生活とは思えませんから。

    「ひきこもりを理解して欲しい」というのは親に対してです。社会からは理解されなくても構わないと思っています。

    そして、ひきこもりを軽蔑したり差別したりする人がいても、私は「ひきこもりに対する正当な評価」だと思って受け入れます。

    ひきこもりといっても、百人いれば百通りの考え方がありますから、スタンスが違うのは仕方ないですね。

  17. 二条淳也 Says:

    セリカさん

    両者の心情が分かって良かったですね。私も今回の記事は意義があったと思います。

    基本的に、書かなければ良かったという記事はありませんね……。

  18. 二条淳也 Says:

    エリナさん

    「言っても分からないから泣き寝入り」はおかしいと思います。また、何度も書きますが、職業だからといって全てを受け入れられるわけではありません。事実、暴力や暴言が理由で退職するヘルパーはとても多いですから。

    私もエリナさんに対して冷静な話し合いができない方だという印象を抱いております。

    不満を感じている人ほど熱心にこのブログを訪れます。「こんな文章許せない!」と言いながら毎日のように来ている人もいます。

    二条淳也のスタンスや筆致に不満や不快を感じるなら、ここに来なければいいだけの話です。

    私も、エリナさんはもうここに来ないほうがいいと思います。

  19. 二条淳也 Says:

    ととりさん

    はい、盛り上がりました。ただ、「精神障害者は絶対に批判してはならない」というのはおかしいことですから、書いて良かったと思います。

  20. 安室怜二 Says:

    私のレスは何故削除されてしまうんでしょうね、二条さん。

  21. 二条淳也 Says:

    安室怜二さん

    読者から二条淳也へのコメントは承認しますが、読者から読者へのメッセージは承認しないことにしています。それを認めると、コメント欄の収拾が付かなくなるからです。

    ご理解下さい。

  22. 安室怜二 Says:

    二条さんの運営方針がそうであるなら、それは二条さんの決めることですし理解できますが。
    では、なぜ、以下の記事のkyotosmoetimeさんの私へのレスは削除しないんでしょうね?

    http://www.futoko.info/zzblogd/%E7%94%9F%E3%81%AE%E5%BC%B7%E5%88%B6%E3%80%82/

  23. あや Says:

    私もエリナさんの意見に同意します。そもそも二条さんがご自分の様々な想いを一人でノートに書かずにブログ上にあげている時点で、それは公共的な行為です。それに対して意見を述べてくる(しかも誠実に)方に「嫌なら来なければいいんです」という態度はあまりに幼すぎます。
    こういった形で公に発言された内容には二条さんは責任を負います。そこへ向けられた質問・意見から逃げずに立ち向かってみてはいかがでしょうか?(もちろん無意味な誹謗・中傷は無視していいと思いますが)

  24. 二条淳也 Says:

    安室怜二さん

    kyotoさんのコメントには不快感を感じませんが、安室さんのコメントからは不快感と執拗さを感じたので、削除しました。コメントの承認に関しては、平等ということは考えておらず、不快なものは載せないというのが私のスタンスです。

  25. 二条淳也 Says:

    あやさん

    私はブログが公共的なものだとは思っていません。個人個人が半ば無責任に独白を垂れ流す場だと思っています。多くのブロガーがコメント欄を閉鎖していることからも、それは明らかです。

    ブログというのは誰でも簡単に開設できるものです。公共性と責任が伴うなら、ブログ運営のハードルをもっと上げるべきでしょう。現実には小学生でも開設できるのが現実です。だとしたら、運営者にそこまで大きなものを求めるのは間違いだと思っています。

    また、今回の「討論」に関しては、読者が「精神障害者に対する批判は絶対に許さない」という立場であり、だとしたら結局は感情的な討論になるのが目に見えていたので、そうなる前に切り上げたのです。私と数人の読者がやりとりしているぶんには構いませんが、それを黙って見ている多くの人が不愉快に感じる可能性がありますから。

    また、今回のように、「討論」になってしまえば、コメントのやりとりが十回、二十回に及ぶ可能性があります。そうなると、コメントに応じるだけで疲れてしまい、新規の投稿をする意欲がなくなります。前にも書きましたが、私は「新規の投稿」が第一であり、コメント欄の対応は二の次だと思っています。だから、コメントの応酬が長くなりそうだと思うと、削除などで切り上げることにしているのです。

    私は「自分なりに」相手の立場に立っているつもりです。私が逆の立場なら、不愉快な記事を見てもコメントせず、黙ってそのブログを見に来なくなるでしょう。本でも映画でも、自分の立場と相容れないものに出くわしたら、それに接しなければいいだけの話です。

    それにしても、「高齢ひきこもり」にそこまで多くのものを求めているのだと知って、意外な気がしました。

    ブログ「高齢ひきこもり」は、郵便受けに入っているピザ屋のチラシより見る価値のないものだと思っております。それはそうでしょう。ピザ屋のチラシを見ても不愉快にはならないけど、「高齢ひきこもり」からは不快感を感じるのですから。ブログというのは極めて次元の低いメディアであり、公共性や責任を問う性質のものではないと思います。

    今思ったのですが、今回のようなやりとりは、二条淳也を知る上で、いい機会だったかもしれません。

    ごくたまに、私のことを「すばらしい人」などと思ってしまう方がいます。ですが、そうではありません。二条淳也は、肯定的なコメントのみを載せ、相容れないコメントは削除するような人間です。勘違いして「二条淳也はすばらしい」と思っている人に、「そうではないんだよ、二条淳也はこの程度の人間なんだよ」と知って貰ういい機会だったと思います。

  26. あや Says:

    二条さんへ

    コメントありがとうございました。なるほど、二条さんの考えていることは分かりました。ですがあえて、こちらの気持ちを伝えるためにも反論させていただきますと、

    >ブログというのは誰でも簡単に開設できるものです。公共性と責任が伴うなら、ブログ運営のハードルをもっと上げるべきでしょう。現実には小学生でも開設できるのが現実です。だとしたら、運営者にそこまで大きなものを求めるのは間違いだと思っています。

    そうです。だれでも開設できます。だからこそ一人ひとりの理性が求められるのではないでしょうか?二条さんの理論は「俺は盗みたいから盗むんだ。いやなら警察が止めにくればいい」と言っているようなものです。判断の価値観の丸投げです。小学生などがネット上の事件に巻き込まれるのはネット上のコミュニケーションのルールを学んでいないまま使ってしまうからです。

    また「討論になるのがいやだ」とおっしゃっていましたが、これは二条さんの文章ありきで起こった討論です。そして二条さんがご自分の考えをこういった場で述べられるのは、そこに本人の意識があってもなくても「人に理解してほしい」という気持ちがあるからです。一方でブログに自分の考えを発言し、その一方でそこで起こった討論に対応するのは嫌だという、そのあなたから受け取る矛盾した2つのメッセージに読者の方は混乱するのではないでしょうか?

  27. あい Says:

    私は二条さんの考え方に近いですね。いつも納得させられます。
    個人的な意見としては、今回の記事暴力に関しては、どんな理由があるにせよやってはいけないことですよね。
    理解と許すは違うっていうこと暴力だけではない場面沢山あると思います。
    いろんな意見がありますので、どれも正しい間違っているはないですよね。
    あくまで参考までにでとっておくのが一番なのではないでしょうか?

  28. 二条淳也 Says:

    あやさん

    泥棒行為と考えの発信では次元の違う問題ですから、たとえになっていないように思えます。

    何度も申しますが、二条淳也の考えに同感できないと思われたら、ここに来なければいいのです。これは発信する側の問題ではなく、受け取る側が選別するべき問題です。「討論に応じるべきだ」と思うのでしたら、コメント欄を閉鎖している多くのブロガーの行動はどう解釈するのでしょうか。

    私は障害者でもひきこもりでも、人に迷惑をかけるべきではないと思います。ですがなかには、「障害だから許される」「病気だから許される」と思っている人もいます。百人いれば百通りの考え方があるから、それはそれで仕方ない。ただ、討論になると結局はヒステリックな言葉の応酬になります。それは黙って見ている人への不快感に繋がります。考え方が違うのですから、意見の一致は難しい訳で、結局はお互いが感情的に持論を展開するだけになります。

    私は「ひきこもりは社会的に無能だ」と言われても、まったく傷つきません。それは「差別」ではなくひきこもりに対する「正当な評価」だからです。就労から逃げているうえに、社会からの正当な評価からも逃げるなんて許されない。それは私個人の感覚ですが、私は低い評価を与えられても差別されても、それは「正当なもの」として受け入れる所存です。

    百人いれば百通りの考え方がある。なるほど、二条淳也っていう人はこういう考え方なんだな。

    ……そう思うことはできませんか?

  29. 二条淳也 Says:

    あいさん

    納得して頂けて、ありがとうございます。

    ホント、暴力行為は許せないですよね。

    正しいも間違っているもなく、参考までにとっておくというのは、いい考えですねえ。

  30. まりー Says:

    初めまして。コメントさせていただきます。理解と、許すは違う。まったくそのとおりだと思います。

    かく言う私も勘違いして理解という言葉をよく使っていると思います。目が覚めるお話です。私はアスペルガーで知的障碍はありません。福祉施設の利用者として事務を担当しています。8割が軽度から重度の知的障碍者で精神、身体のかたも含めお仕事をされています。軽度の男性利用者と取っ組み合いのケンカになりました。私は女性で力ではとうていかないません。軽い怪我をおいました。

    そのまま職員さんとクリニックに行き早退しました。

    私は職員さんとお話しして彼はそういう障害(自分のしたこと以上に相手が悪いと思う。反省できない。)だから理解しないとと思っていました。

    私も逆にアスペルガーだから仕方ないとか、許して、理解してと言うのも甘えにしかならないこともあるんだなと頭を打った気持ちで勉強になりました。

    正直、彼の態度、虚言癖、暴力、小学生レベルの嫌がらせは許せない気持ちが今もあります。

    これから私自身どうしていくか課題がたくさんあります。

    この記事は勉強になりました。ありがとうございます。

    拙いコメント失礼いたします。

  31. 二条淳也 Says:

    まりーさん

    はじめまして、こんにちは。

    え、男性ととっくみあいの喧嘩ですか。大変でしたね。

    「差別はおかしい」と障害者の方がよく言っていますが、差別を招くようなことを障害者自身がやっていることはすごく多いですよね。

    私もアスペルガーの疑いが濃厚ですが、「だから許される」というような権利だけは受け入れないつもりです。

    また遊びに来て下さいね。

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