十二時間後。
割烹料理屋で働いていたときのことだ。
そこは、とても労働時間が長かった。朝八時から夜十一時まで働いたりするのだ。夕方に三時間ほどの休憩があるものの、立ち仕事が多く、体力的にはかなりつらかった。
だが、それ以上につらいことがあった。
人間関係に飽きるということだ。
他の職場に比べて、それほど険悪な関係ではなかったのだけど、毎日十二時間近く一緒にいるということが、私をうんざりさせていた。
朝八時に出勤する。いつもの同僚と会う。
夜十一時に「ごくろうさま」と言って、同僚と別れる。
その際に、いつもこう思うのだ。
(十二時間後には、またこの人たちと会うのか……)
それは、妙に重苦しい感覚だった。うまく言えないのだけど、十二時間後に自分がまたこの店にいて、十二時間後にまた同じ同僚と仕事をしているということが、妙に私をうんざりさせたのだ。人間関係に飽きるという感覚は他の人にはちょっと分かりづらいかもしれないが、十二時間後に同じ人と会うと思うと、私はいつも重い気持ちになるのだ。
あるいは、これは私のストレス耐性の弱さを示しているのかもしれない。
(十二時間後にまたこの人たちと会うのか……)
そんなことを思ってうんざりしているということは、つまり、十二時間では一日のストレスは回復しないということなのだ。丸一日働いたら、私はもっと多くの休養を要する。これほどまでに「十二時間後」にこだわるということは、私は本能的に「十二時間の休息じゃ回復しない」という自分のメンタルな能力を感じ取っていたのかもしれない。
正直、二日続けて同じ人に会うというだけでも、私は強いストレスを感じる。出会う人にはイヤな人ばかりでなく、好感を抱いている人もいるのだが、それでも二日続けての接触はつらい。近所の柴犬を毎日なでるのとはわけが違う。たぶん、性格的に人と接するのが好きじゃないのだと思う。
厨房での後片付けが終わって、
「おつかれさま!」
と挨拶する。多くの人には充実感と解放感が得られる瞬間なのだろうが、そのとき、いつも私は、
(明日の朝はまたこの人たちと一緒なんだ……)
と思ってうんざりしていた。
このようなタイプの人間でも生きていける場があればいいのだけど、難しいだろうな。
3月 4th, 2013 at 2:44 PM
12時間というのは、長い勤務時間でうんざりしますね。
基本7時間労働だとしても毎日、同じ顔をつきあわせて、それを異動がない限り、何年も続けるというのが働くということでしょうね。
長年働いていると、仕事仲間にも、何年か前はこうだったねーというような親しみが出てくるというのも確かにあるのですが、私も他人と一緒にいて疲れることの方が多かったかな。
配達とか外回りの仕事だと、職場に窮屈感がなくていいかもしれませんが、どうでしょう。
二条さんが前に書かれていたと思いますが、人づきあい苦手な人を採用してくれるような会社があればいいですね。求人欄に”明るく協調的な人求む”、じゃなくて、”暗くても人づきあい苦手な人でもできる仕事”とか書いてあるとおもしろいですね。
ひきこもり支援に、そういう仕事をつくればいいと思います。
3月 4th, 2013 at 4:39 PM
二条さんへ
(1)>>(十二時間後にまたこの人たちと会うのか……)
この思考回路、表現方法、面白いと思いました。個人的にはツボです。
(2)前回の「賛同できる日誌にだけコメントを残しているのですか?」の問い掛けですが、
答えはNoです。
・基本的には私の気まぐれです。比較的体調の良い時に読ませてもらってることが多いだけです。
・他には、同意見の先客コメントが多かった場合は、まあ良いか、、ともなります。
・(世間的価値観での)良い所も悪い所も含めて、二条さんが立っている立ち居地、物の見方、
天が与えた?運命に興味を惹かれます。
ただ、私も結構悲惨な中年なので、思索的なことは程ほどにして、生産性のあることに時間を割かなきゃと思ってるんですけどね。。。
まあ、私もブログ更新を楽しみにしている一人なので、今後も宜しくです。
3月 4th, 2013 at 4:57 PM
エリナさん
長時間労働はホント、うんざりしますね。同じ顔をつきあわせているだけでも、嫌気が差してきます。
「人付き合いが苦手な人でもできます」という募集広告は面白いですね。案外、応募が殺到するかもしれません(笑)。
3月 4th, 2013 at 4:59 PM
kyotosometimesさん
十二時間後に同じ人と会うと思うと、本当にうんざりします。
なるほど、気まぐれにコメントしていたんですね。kyotoさんのように「更新を楽しみにしている」という人がいると思うと、とても嬉しいです。
こちらこそ、よろしくお願いします。