ひきこもりは誰のせいか。

大学生のとき、心理学の授業で、教授がこんな話をしてくれた。

「この世で絶対に精神病にならない人がいます。それは『なんでも人のせいにする人』です。こういう人は絶対に精神病になりません!」

この話は、私にもとても納得できた。私もそれまでの人生で「なんでも人のせいにする人」に何人か出会ってきたが、まさしく、心の病とは無縁の人ばかりだった。

ここから、私の仮説を述べてみたい。

「人のせいにする」ことは、ある意味、精神的にとても健全なことなのではないか。実社会ではそれが軋轢をもたらすこともあるかもしれないが、多くの人は、問題の何割かを「人のせいにする」ことによって、精神の健康さを保っているのではないか。そして、それができず、すべてを「自分のせいにしてしまう人」が、心の病に陥っていくのではないか。

私も意識的に試してみることがあるが、あらゆる問題を「人のせいにする」と、とても心がラクである。自分にふりかかるマイナスの出来事は、すべて誰かのせいにする。そうすると、本当に気持ちが軽くなる。

逆に、ものごとを自分のせいにすればするほど、精神的に苦しくなる。自分のせいにすればするほど、人間の心は狂っていくのではないか。自分のせいにすれば、あたかも「いさぎよい」ように見える。だが、そうすることによって、実はなにも解決になっていない。実際、私は大抵のことを自分のせいにしてきたが、そうすることによって、なにも解決しなかった。人のせいにして、そこから対話なり衝突なりが生まれたほうが、はるかに健康的だ。

ひきこもりは、誰のせいだろう?

我が子を批判に弱く、繊細な子に育てすぎたという意味では、親のせいである。

精神の安定を壊すまでその人を追い詰め、極めて緊張した組織を作り上げたという意味では、社会のせいである。

ストレスに耐えきれず、困難から逃亡したという意味では、ひきこもり本人のせいである。

……これがすべてが複合的に混ざり合って、ひきこもりはかたち作られていくのだろう。混合の割合は人それぞれであり、3:3:4かもしれないし、4:4:2かもしれない。

ひきこもりになった原因を、すべて本人のせいにすれば、とてもラクだろう。

「ひきこもりになったのは、お前のせいだ!」

といえば、親や世間はひきこもりに対して持っているストレスを発散できる。だが、それによってほぼなにも解決しない。間違いなく、親や社会にも責任はあるからである。

もっとも、誰のせいかなんて考えるより、これからの対策を考えたほうが建設的なのだろうけど。

 

6 Responses to “ひきこもりは誰のせいか。”

  1. あいさ Says:

    二条さんのいうことに全く同意します。

    たくさん言いたいことはあるんですが、、、人は誰しも自分の思考の中に社会を意識せずとも、取り込まざるをえないですから、自分の考えはすべて自分によって生み出されていることはありえないのです。「朱に交われば赤くなる」ということわざがありますが、自分の交友関係以外にも社会の影響は自分の思考の中に取り込まれていきます。

    個人の問題あるいは成功は、個人の努力と運が半々というのが西洋でのおおよその考えだそうです(NHKの英語番組のコラムで話していました)。日本では努力がもっと多く、努力でほとんどのことができると考え易いようです。しかし、世の中には偶然や本人に責任のない事象や不条理はたくさんあります。どんなに科学が進歩しようとこれはなくすことができません。

    成功したと思っている人ほど、多くが自分の努力だと主張します。そして繰り返し主張すればするほど誇大な話になっていきます。これは特定の個人の講演やある新聞のコラムを追跡し調査したレポートがあるそうですが、年が経つほど話は盛られていくそうです。成功に運がよかったからなどと主張するのは極めてまれです。運のおかげだと主張しても運は努力でよくなるという話もよく聞く話です(それって運といわないだろうといいたいのですが)。

    そして、近年の「自己責任」の流行。この言葉自体「その問題は私には責任がない」ということを主張するために頻繁に使われた言葉です。決して「私(自己)に責任があります」と主張するために流行った言葉ではありません。

    こんなことを考えれば、ひきこもりがすべて個人の責任だなどと主張することがばかばかしいのがわかると思います。決して努力しなくていいということではないですが。

  2. ポールM Says:

    毎日閲覧させてもらっています。

    ここまで「ひきこもり」について分析をされていることに返って素晴らしさを感じてしまいます。
    「ひきこもり」は確かに、一人では起こせないですね。その行為は育ってきた環境、両親、まわりの友人、会社の同僚などの関係性が、全て積もりに積もって、出来上がったストレス玉みたいなものと、私は思っています。

    私「ひきこもり」という言葉が、実は好きでないのです。数十年前まではあまり使われなかった言葉だと思います。それが、ワイドショーなのかコメンテーターなのか、そんな言葉を流行らせてしまったので、なんだか、一つの定規みたいなものができてしまったように感じます。

    すみません、表現が下手なので伝わりにくいと思うのですが、人それぞれ事情があってそういう状態になっているのに、勝手に一括りされたように思います。だから、周りに「ひきこもり」と言われているような生活ぶりをしていたら、すぐに白い目で見られる風習が大嫌いです。最も、身近な人間がそういう考えだと、尚さら辛いです。

    「もっとも、誰のせいかなんて考えるより、これからの対策を考えたほうが建設的なのだろうけど。」という言葉で、二条さんはちゃんと分かっているんだ・・と思いました。

    本当に、自分の状況を誰かのせいにすることや、誰かに分ってもらおうとするのではなくて、どうしたら自分がどうどうと生きることができるかを考えるべきなんでしょうね。長くなりました。

  3. こりー Says:

    二条さん、いつも興味深い記事をありがとうございます。こりーです。
    相手に責任を求めればラクだというのは本当にそうだなあと思いました。

    責任論を考えるとき、私は「そもそも自分は自分で作れるのかな?」と、いつも考えてしまいます。
    「OO出来ないのは本人のせい」という言葉を聞くとき、
    人間って自我をいつ持つのか、1歳くらいの環境、性格は何のせいか、
    本当はその辺から、遺伝的要素すら含めてずっとずっと連続して、
    各々の現在や性分があるわけですが、
    本人に責任を求める方の意見って、突然「自我が生まれた辺りから」を
    切り取って語っているように聞こえます。

    一般の人も幼年期だったり痴呆の方等には意思の責任を問いませんけど、
    成人の自由意志もそうなる過程含めて、自己形成できる範囲って広くない気がします。
    私の日常の行動や取捨選択も、自分の自由意思でやっている気でいますけど
    連続性からは逃れられてないんだろうなあなんて。

    運命論みたいになってしまいましたが、いつも未来は不確定なつもりで生きてるので、
    思いつく選択肢から満足出来そうなのを選んで、人生の終わりまで過ごしたいですね。

  4. 二条淳也 Says:

    あいささん

    たしかに、運という要素は大きいですよね。どんな親から生まれるか、どんな上司と出会うかもすべて運ですし。

    それに、ホント、成功者ほどその成功を努力のせいにしたがりますね。そして周囲もそれに応じてしまう。結果、勝者はより賞賛され、恵まれない者はさらにみじめな気持ちになる。残酷ですね。

    それにしても、NHKのコラムや新聞記事を根拠に話してもらうと、とても説得力があります。

  5. 二条淳也 Says:

    ポールMさん

    いつも読んで頂き、ありがとうございます。

    なるほど、たしかにひきこもりはストレス玉かもしれません。それに、昔はひきこもりなんて言葉はなかったですよね。登校拒否という言葉こそありましたが。

    数十年前も、働かずに家にいた人はいたと思うのですが、彼らはどうしていたんでしょうねえ……。

  6. 二条淳也 Says:

    こりーさん

    いつも読んで頂き、ありがとうございます。

    自分は自分でつくれるのか。……難しい質問ですね。ただ、親によってかたちづくられていることは事実であり、それはひきこもりの一つの原因にはなっていると思います。

    これからも、自分で最良と思われる選択肢を選んで生きていきたいと思っています。

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