米屋のおばさん。
去年の年末に、近所の米屋に行った。この店にはよく行くのだが、おばさんが親切で、よくオマケしてくれるので、年末の挨拶とお礼の菓子折を持って行ったのだ。わざわざ菓子折を持ってまで挨拶に行く必要もないのだが、私は「よいお年を」という挨拶が好きだし、なんとなくお礼を言いたかったので、行ったのだ。
店に入って、いつもオマケしてくれることへのお礼を言い、菓子折を渡すと、おばさんは、こっちがびっくりするぐらい、喜んでくれた。
「うわあーっ! 嬉しいっ!」
誰から見てもその喜びかたは「演技」だったが、それでも悪い気はしなかった。それを見て、つくづく思った。自分に欠けているものはこれなんだなあ、と。
私も今まで、色んな人から親切にされたことがあったが、このおばさんほど喜びを表現しなかったように思う。親切にされれば私だって嬉しいのだが、
「どうもありがとうございます」
といった堅苦しい挨拶で終わるのがいつものパターンなのだ。本当は「嬉しい! ありがとう!」とオーバーに喜びを表現するべきなのだろうが、なんだか猿芝居を演じているようで気恥ずかしい気がして、なかなかそれに踏み切れないでいたのだ。それに、親切にしてもらったら、「ありがとう」の言葉を返せばそれで充分だと思っていた。
だが、そうではないのだろう。
無表情な顔で、
「ありがとうございます」
と言うより、百パーセント芝居でも、
「うわー嬉しい!」
と喜ぶほうが、相手だって嬉しいのだ。感情の表出に照れていたために、今まで多くの人を私は不快にさせていたのではないか。恥ずかしくても、親切にしてもらった時はもっと喜ぶべきなのではないか。
だいぶ昔、旅先で知らない人から食事をごちそうになったことがある。見ず知らずの私を家に招き入れ、手料理をふるまってくれたのだ。
「どう? おいしい?」
と、そのおばさんから訊かれ、私はこう答えた。
「腹が減っているから、何を食べてもうまいですよ」
……なんて返事だろう。それが親切にしてもらっている態度だろうか。今、思い返してみても、みっともなさで汗が出てくる。
米屋のおばさんに渡したお菓子は、千円以下の安い物だし、とびきりおいしい訳でもない。それでも、飛び上がるほど喜んでくれたおばさんを見て、
(いいことしたなあ)
と思ったものだ。
少しはあのおばさんに近づきたいな。