修学旅行。

中学生の頃、修学旅行に行くことになったのだが、行く前から憂鬱だった。なにしろ、友人と呼べる人がいないのだ。これでは旅先で孤立するのは目に見えている。どうしても行きたくなかったが、親に「修学旅行に行きたくない」とは言えず、旅行までのあいだ、かなり精神的にまいっていた。

「旅行先では班で行動するから、その班決めをしよう」

と先生が言い出して、生徒達は班決めをすることになった。班をどうやって決めるか、ワイワイ話し合っていたが、その話し合いの時点から私は孤立していた。班に入れないどころか、班決めの相談にすら加われないのだ。イヤでイヤでたまらなかった。ずっとソワソワしながら適当に時間を潰していたように思う。

予想通り、「好きな人同士」で班を決めることになり、予想通り、私は余った。

私には入れる班がない。やや親しい生徒も何人かいたが、彼らはすでに特定の班に加入している。「俺もそこに入れてくれよ」と言いたかったが、その班はすでに定員に達しており、私の入れる余地はない。

結局、ある班が「仕方ないから」という理由で、私を入れてくれた(可哀想だからではない)。十五歳の少年にとって、大変な屈辱である。

「仕方ないから」という理由で入れてもらったので、班の中で私の発言権はないと思った。だから、班の中でどんな決定がされても、私は黙って従った。

旅行二日目だっただろうか、班で、ある名所に行くことになった。男子五人、女子五人の班だったように思う。私以外の男子四人はそれぞれ楽しそうにお喋りしながら、前を歩いていた。私は彼らに送れないよう、小走りをしてついていった。

それがたまらなく恥ずかしかった。

バスの中で孤立することや、寝る前の雑談に入れないこともつらかったが、先を行く「仲間たち」に送れないように、小走りをして追いかける時の情けなさは格別だった。楽しい筈の旅行で、どうしてこんな目に遭わなければならないのか。今思い返してみても、本当につらくなる。

これと同じような経験をした人が、日本中におそらく沢山いるのだと思う。

修学旅行なんて行事は、行きたい人だけが行けばいいのだと、心から思う。

参加を強制するような行事は、必ず不愉快な想いをする人が出るのだから。

4 Responses to “修学旅行。”

  1. 高齢ひきこもり女 Says:

    二条さん
    ごめんなさい
    こちらにコメントを残したつもりでしたが11年2月27日分にコメントが飛んでました。。
    なにぶんそそっかし屋なもので。大変失礼いたしました。

  2. kyotosometimes Says:

    こんにちは、今回も、あるある系ですね。。

    ところで、二条さんは、学生世界(高校生まで)と社会人世界に大きく2分別したら、どちらの方が住みにくかったですか?

    私は、両方とも十分な適応が出来ませんでしたが、偽りの適応が出来たのは学生の方で、自分に心底自身を無くしたのは、社会人の方ですかね。

    学生の方は、所詮ガキ社会の価値観だから、通り過ぎてしまえばいいやと思っていました。

  3. 二条淳也 Says:

    高齢ひきこもり女さん

    了解しました(笑)

  4. 二条淳也 Says:

    kyotosometimesさん

    こんにちは。

    私に関しては、学生世界のほうが、はるかに苦しかったですね。会社を辞めることは案外簡単ですが、学校を辞めることはかなり大変です。親の同意もいるでしょうし、別の学校への復帰は再就職よりはるかに厳しい。特に中学を辞めるという選択肢はないですから、きつかったですね。

    学生時代をうまく切り抜けたというのは、ちょっと羨ましいですね。

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