ひきこもりの親御さんへ。

我が子がひきこもるというのは、親にとっては大変なことだと思う。ひきこもりが長期になればなるほど、親は絶望していく。なかには諦める親もいるだろうし、子供との接触を断ちたがる親もいるかもしれない。

ここで、ひきこもりの親御さんに言いたいことが一つある。

「自分をあまり責めすぎないで下さい」

ひきこもりの親御さんと接する機会が増えてきて感じることなのだけど、「子供がひきこもったのは親である自分の責任だ」と思い込んでしまっている親が多いように感じられる。

だが、果たしてそうだろうか?

子供がひきこもったのは、百パーセント親の責任だろうか?

二十代後半の頃、職場で大声で叱られて、それがすごくショックだったことがあったのだが、よく考えてみると、これは親の責任ではない。「打たれ弱い人間に育ててしまった」という意味では責任の一端はあるのかもしれないが、親にだって防げることと防げないことがある。学校でのいじめや職場での村八分などは、親には防ぎたくても防げないことである。親御さんは、あまりご自分を責めないで欲しいと思うのだ。

(こうなってしまったのも、親である私の責任だ)

そう思ってくれる親は、たぶん内省的な善人なのだろう。だが、それが家庭内の雰囲気を良くするとは限らないと思う。親がふさぎこむことによって、より一層家庭内の雰囲気が重くなることもあるのではないか。

ひきこもりの原因が何にあるのか、それは人によって違うだろう。自分に責任がある場合もあるだろうし、社会に責任がある場合もあるだろう。だが、ひきこもりの大半は、「様々な要因が複合的に重なって起きる」のではないか。その責任を親が全て背負い込むことはないと思うのだ。

私も一時期、

「こうなったのは親のせいだ!」

と猛烈に親を非難したい衝動に駆られたが、実際は「社会と自分は責めにくいが、親なら責められる」と思っていたフシがある。ひきこもりの子供から責められる親御さんもいるだろうが、だからといって親御さんに全責任があるともいえないので、あまり深刻になる必要はないのかもしれない。

ひきこもり当事者の私からすれば、親が責任を抱え込んで暗くなるより、明るくいてくれるほうが助かる。

2 Responses to “ひきこもりの親御さんへ。”

  1. 三条朋也 Says:

    二条さん、
    親は子が何歳であっても親なのだ、と、どこかで当たり前のことですが、深い意味合いで聞いたか読んだことがありました。親にとって、息子・娘が何歳であるかは関係ないのが親の心なのです。そして社会のせい組織のせい、何かの誰かの陰険であっても、生んで育てた分身がどの扉も閉ざして塞いでいるのは自分が切り刻まれるよりも実は切なく悲しい。私も親と離れてみて、あの時の母のキッチンの後ろ姿も父の無言も父が車中で送ってくれてそっと渡してくれたお金の気持ちも痛んで思い出されます。二条さんが明るくして欲しいという願いはせめてものその場凌ぎの時間の遣り遂しであって、笑いの向こうの悲しみを考えたことになっていないことを真に解るべきです。
    笑ってくれてせめてもに救われる。それは事実です。そして、なってしまった者のせめてもの申し訳なさの愛かもしれません。しかし、それは父母の心を真に思わない二条さんの目線の楽の筋なのです。二条さんは自分でもどうしようもないことの上で、せめてもの代弁、本当に痛み知っていることにはなっていません。いいえ、本当に知っているとは思いますが、笑顔で済ませられることではないのです。その済ませられないのを、二条さんの勇気や根気やプライドを再考して自分で歩む気概に代えないといけません。

    急にそうなれとなど言いません。しかし、二条さんが助かることを他者の救いのように主張するのはおかしいのです。親のせいでだけではないけれど、親は自分を責めるほどどうしようもできない悲しみに耐えている。その心は、二条さんが辛くて放棄した仕事の辛さを上待っている可能性が高い。

  2. 二条淳也 Says:

    三条朋也さん

    ひきこもり当事者と親御さんが良好な関係を築けるようになるといいと思っています。

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