劣等感の強い上司。
その職場の上司は、
「負けたくない」
というのが口癖だった。とにかく何をするにも「負けたくない」のだ。
「俺は夜遅くまで働く。負けたくないからよう」
そんな言葉を頻繁に口にするのだが、一体なにに「負ける」のか、まったく分からなかった。
だが、一緒に働いているうちに、その上司が強烈な劣等感を持っていることが分かって、だんだん辟易してきた。
同じフロアで早稲田大学を卒業していた人がいたのだが、上司はこの人が大層気に入らないようだった。
「早稲田を出ているのに、こんなことも分からないのか!」
彼を叱る時、上司は必ずこんなことを言った。上司の「負けたくない」の裏側に強い劣等感が隠されていたのは確実だった。
私も劣等感の塊のような人間だから分かる。
劣等感が強ければ強いほど、優劣にこだわるようになる。
自分が相手より優れているか劣っているか、つねにそのことばかりを考え、優劣に一喜一憂する。私の周りに、ごく少数だけど静かな自信に満ちあふれている人がいるのだが、そんな人たちはまず優劣にこだわらない。他の人より劣っていても平然としているし、自分より優れている人を見ると素直に賞賛する。
あるいは、この上司は可哀想な人だったのかもしれない。頭の禿げ上がった四十過ぎの人だったのだが、年下の高学歴を相手に威張り散らす。そうやって優越感を感じ取ることによってしか、自分の位置を確認できない人だったのかもしれない。「負けたくない、負けたくない」を連発するその陰には、
(自分は負けているかもしれない。劣っているかもしれない)
という強い不安が見て取れる。仕事なんて勝ち負けでするものでもないのに、必死に勝ち負けの問題に持って行こうとする姿に、私は哀しいものを感じた。
もっと可哀想だったのは、こんな上司に当たった部下だろう。早稲田卒の人も気の毒だった。早稲田を出ているだけで叱られるのだ。どこの職場にもこんな人はいるのだろうが、「劣等感の強い上司」を持つと、そこで働くこと自体が苦痛になる。どんな上司に当たるかで、その職場での居心地は左右されるのだ。
私が上司になったら、部下たちはかなり気の毒だろう。
私も劣等感の塊だから。
10月 17th, 2012 at 6:33 PM
これだけの心模。人は済んだことに拘るのは善しとはしない風潮があるけれど、あの時のあの人の心と自分を思い返すことは人生の歩みに非常に有益で、過去の思いが発酵してなんだか自分が前進できたようにも思えることもあったりします。
二条さんの文章に脚色や過剰な表現、故意の聞かせ方が無いのであれば、二条さんの軌跡は誰もの反省の手本になるほど素晴らしい。私はそう思うのです。このブログの次なるアップが、またしてもハッとさせられる人生の縮図、人の未熟の航海図のようにさえ思われて、待ち遠しいほどです。
でも、二条さんはどうしてその思いで留まって(とどまって)しまい、どうしてそれを超える成し方をしなかったのでしょう。嫌なら辞める、また始める。また嫌な目に遭った。また去ってせいせいする。また始める。また不可解で即放棄。また始める。今度も人に嫌気がさした。
要するに、辞める始めるの輪廻のような繰り返しで、純粋で綺麗だった布が、ささくれだってボロボロになり、その布の厚みすら薄くなってもう修復のしようもない状態になってしまうかのような軌跡。
しかし、衣類と同じで、慣れ親しみ、着慣れた古い服ほど着心地がよく、ついついそれを身にまとって落ち着いてしまうのも人間のサガです。そのボロ着を大事にしながら回顧する二条さん。失礼な例えはすみません。その愛着の経験でどんな大洋も渡れる筈なのに、どうして二条さんは自分を超えられなかったのか。
これほどの自己分析をできながら、痛んだ心を額縁に封じ込めずに、全部もう燃やして廃棄して、お父様を真に喜ばせてあげて欲しい。
自分の人生は自分のものであって他の誰の者でもない。だから自分の思いと感情が全てでも、そんな二条さんを支え続けて来たお父様に静かな喜びを与えてあげて欲しい。
お父様の一挙手一投足で、あんな言葉を吐いた、とかそれも書いていらっしゃいましたが、お父様もお母様も観音様や聖母マリアではないのです。未熟な男女で自分の道をご自分なりに歩んで来たのです。その歩みは讃えられても、ほじくり返されてあの若い時代の自分に酷かった言葉を赦せないように書き留める二条さんは無念に甘える駄々っ子であって、親を乗り越える・親を諭すほどの話者になるべきだったのです。あの時の残忍な言葉の為に俺は止まってしまったんだというかのような非難は、階段で先に上られたと言って泣いて上がろうとしない強情な駄々っ子の稚拙。
二条さんは全部解っている筈なのに、みんなを赦せない。(許せなかった)
人間がいったいどれほど完璧なら二条さんはスイスイ闊歩できたというのでしょうか。
劣等感の上司の醜さを横で浴びたのであれば、どうして、その早稲田人を違う形で励ます、いや、励まさずとも親しみの気の分散を届けなかったのでしょう。
そんな資格など在るはずもない、という見解だったのでしょうか。
いいえ、二条さんなら出来た筈です。二条さんのプライド・羞恥心は周りが自分に対して完全でなければいけないかの如く、ワガママなのです。無念に対してシャッターを下ろしているばかりでは、孤立無援の人生になる。認めず、赦さずともいいけれど、人間の未熟に向き合い、どう理解を得られるか、忍耐というものが絶対に要るのが人生なのです。忍耐や試行錯誤が嫌、ということは、子どものままということ。
二条さんの分析は、その「嫌」を超えるだけの思慮に満ちている。
自己否定をブログで肯定などせずに、本気で父のため、あの時はああとしかできなかった母のために生きて欲しい。自分のために生きる本気、それすなわち、あなたを生み、先に逝く、父の、母のため、という意味です。
10月 18th, 2012 at 1:32 PM
三条朋也さん
早稲田卒の人に、私が味方になってあげられれば良かったのでしょうが、あの頃は私も新人だったので、なかなかそんな余裕はなかったですね。
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