友情を試す。

かなり前の話だけど、毎年、Aさんという男性から年賀状が来ていた。「食事に行こう」という誘いのメールも来た。私はAさんのことが好きでも嫌いでもなかったのだけど、私にアプローチをしてくる人は滅多にいないので、貴重な存在だった。

そんなAさんと、ある日、衝突した。私は言いたいことをメールして、「しばらく会いたくない」と伝えた。Aさんは謝罪した後、「これからも二条さんとは友人でいたい」と書いてきた。

それから何度かAさんからメールが来た。

私は返事を書かなかった。

彼が私のことを友人だと思っているなら、何度でもメールをくれる筈だ。そう思って、あえて彼のメールを放置したのだ。いわば、私は彼との友情を試そうとしたのだ。

Aさんは何度もメールをくれたが、やがて来なくなった。いくらメールしても返事が来ないのだから、当然といえば当然なのだが、私は落胆した。もっとしぶとく粘ってくれるかと期待していたのだ。

私は強固な友情を築いた経験がない。だから、たまに友情めいたものが発生すると、それが果たして本当に強固なものなのか、試そうとしてしまう。

(ここまでやっても大丈夫か)

(それなら、これではどうだ)

そんな感じで、私に対する友情の真剣さを試そうとしてしまう。およそ大の男がする行為ではない。

そして結局交際が途切れると、「やっぱりなあ」という感じで、決裂を受け入れるのがいつものパターンだった。

半ば、そんな結末を私自身が期待していたフシもある。正直、Aさんとの付き合いに、私は少なからずストレスを感じていた。彼のほうが私より年上なのに、なぜか彼は私に甘えてくる。頻繁に「二条さんの家に泊まりに行きたい」と言ってくるのもイヤだった。私が本を読んでいるとそれを覗いて来るし、頻繁に電話してきて「今、何しているの?」などと訊いてくる。そんなAさんが、ちょっと鬱陶しかった。

そんな経緯があったので、

「あれほど私を慕っていたのだから、Aさんはずっと誘いのメールをくれるだろう」

と思っていたのだ。ところが、何度かメールを無視していたら、接触は途切れてしまった。予想通りといえばそうなのだが、正直、あまり面白くなかった。

相手は私のことをどれだけ慕っているのだろう。

それは気になることだけど、それを試そうとするのは次元の低い行為である。でも、そうしなければ精神の安定が保てなかったのだから、仕方ないといえば仕方なかった。

今回の記事は読者にはちょっと理解し難い内容だろうが、世の中にはこんなことをする人間もいる。

そんな人間には、あまり近づかないほうがいい。

一緒にいてあまり面白くない人物だろうから。

5 Responses to “友情を試す。”

  1. kyotosometime Says:

    大小の差は有れ、人を試さない人も居ないような気がします。

    私も人を試さない方ですが、心が清いからではなく、単に面倒臭いからです。。

    >今回の記事は読者にはちょっと理解し難い内容だろうが、世の中にはこんなことをする人間もいる。

    いや、日本には、これだけ沢山の人が居るのだから、そう言う趣向の人も一定数居ますよ。
    ネット時代、ネットにつなげさえすれば、それが縁となって、同類と知り合う。。
    そう言う理想的な展開になるよう、お祈りします。

  2. 二条淳也 Says:

    kyotosometimeさん

    そうですか。私だけじゃないんですね。ちょっと安心しました。

    たしかに、人を試すのは面倒ですよね。

    気を遣って頂いて、本当にありがとうございます。

  3. なずな Says:

    二条さん

    相手からの愛情を試す、ほとんどの人が経験あるのではないでしょうか???私は、初期の彼氏達にさんざんしてしまいましたよ。(私だけじゃなくて、若いときにはみんなやってると思う!)

    相手からちょっと不快にさせられたという主観的事実を自分の心の中の言い訳にして、「○○なことされて私は傷ついたんだから、あなたも思い知ればいい」と、わざと何かを無視したり冷たい態度をとってしまっていました。

    彼氏という肩書ができてしまうと、「彼氏なんだからこのくらいのことやってくれて当たり前のはずだ」とか「彼氏なのになんで○○してくれないの!」とか傲慢なことばかり考えていました。ほどほどの友人には愛想がいいのに、彼氏や家族に対してはその関係性の肩書に甘えて、いじわるしたり、あたったりしていました。

    でも、お互いにとって幸せな姿って、それじゃないんですよね。一番身近な人が一番大切な人で、一番丁寧に接すれば接するほど、お互いが幸せになっていけるんですよね。

    それに、友情関係でも愛情関係でも、「関係性の肩書がある=関係ができあがっている」のじゃなくて、日々の言動の積み重ねから友情や愛情が積み重なって強固になるんですよね。本当は築きあげている途中だった建物に強度測定テストをして壊れてしまうのと同じだと思います。

    本当は、お母さんから欲しかった無償の愛情を誰かに求めてしまうのだと思います。でも自分はもらえなかった(と感じている)もの、自分は拒絶されてしまった行為を、友人が自分に求めてくるので苦痛に感じるのだと思います。自分は表現できずに我慢してくるのに、たやすく求めてくるなよ、と。自分はおやつを我慢しているのに、隣で平然と悪気もなくむしゃむしゃ食べている奴がいる、みたいに。

    家族間で愛情の築き方を体得できなかった人には、世間の人がそれを教えてくれようとします。未体験なことだから、苦しく感じてしまいますよね。どうかAさんなりの、未熟だった愛情表現(友情表現)を赦してあげてほしいです。そして、どうしても彼を拒絶しなければいられなかった自分も。

    まずは、自分の中の愛情のコップが満たされるまで、自分に愛情を注いでください。自分を肯定してあげてください。俺がんばってきたな。こういうところは俺っていいよな、と。

    あなたが何回も拒絶するまで、Aさんがそんなにアプローチしてきたくらい自分が魅力を持っていたということを認めてあげてください。

    私は二条さんのこと、「一緒にいてあまり面白くない人物だろうな」とは思いませんよ。実際、彼女さんもAさんと同じように、あなたを好きなんだろうなと感じます。

  4. なずな Says:

    追伸:いつか二条さんが人に甘えること、人から甘えられることを自分に許可できるようになって、Aさんのことをお手本の一人として思い出せる日が来ると思います。私も人に甘えたり、甘えられたりするのが苦手なので、練習中です。私の一番の先生は、実家のマルチーズ。「ああ、こんな甘え方があるんだ」「こんな風に甘えられると人は嬉しいんだ」ということを私に教えてくれます。

  5. 二条淳也 Says:

    なずなさん

    強度測定テストをして壊してしまうというのは、面白い例えですね。でも、なかなか真実を言い当てているように感じました。

    なずなさんも同じようなことをしたとのこと。皆さん、程度の差こそあれ、同じようですね。

    相手に好意を持っていれば、くっついてきても不快ではないのですが、Aさんにはあまり良い印象を持っていなかったので、かなりイラつきました。

    でも、人間関係に慣れるための、良い経験だったかもしれません。

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