「好き」と「理解」は違う。
彼女とデートすると、大抵「どこかに泊まろう」ということになる。「泊まろう」と言い出すのは常に彼女のほうであり、私がいつもそれを断るのだ。
私の性質上、誰かと一緒に寝るということができない。同じ部屋に誰かがいると思うと、全然眠れないのだ。
それを分かって欲しくて、こんなことを言ったことがある。
「一緒の部屋に泊まるなんてとてもできない。泊まるなら、別々の部屋に泊まろう」
これが意外なほど彼女の気分を害した。
「信じられない!」
と彼女は怒り、しばらく険悪な状態が続いた。
とにかく、私は「一人の時間」が沢山ないと生きていけない。三時間働いたら、二日ぐらい休み(一人の時間)がないと、心が回復しない。恋人と一回会ったら、できれば三週間は会わないで休みたい。大好きな父と会うのも月に一回ぐらいで十分であり、兄弟と会うのは五年に一回ぐらいで十分だ。
他人にはこれが全く理解できないらしい。
ある日、職場で飲み会があった。三十人ぐらいが参加したけど、私一人が参加しなかった。飲み会に行くより、一人で読書でもしていたほうが楽しいからである。それを父に話すと、不機嫌そうな顔をして、
「俺はお前が理解できないよ」
と言った。
父も(恋人の)R子も、私のことが大好きである。文字通り、私のことを愛してくれている。
だが、「好き」と「理解」は違う。父もR子も、私のことが好きだが、理解はしていない。一人の時間が沢山ないと生きていけないこと、大好きな父やR子とでさえ、三週間ほどの間隔を空けないと心が回復しないこと。それらが、彼らには理解できていない。
父もR子も、快活で社交的な人である。こういう人から見れば、私のような人間は本当に理解できないのだと思う。
逆に、母は違う。母は私のことをそれほど愛していないが(多分)、理解はしてくれている。
「二十日間のうち、十九日は一人でいたい」
と言っても、
「あの子はそういう子だから」
と認めてくれている。
自分のことを好きになってくれるというのは、本当に嬉しいことだ。だが、欲張りな言い方をすれば、好きでいて欲しいし、理解もして欲しい。とにかく一人の時間が欲しいこと、三ヶ月ぐらい誰とも話をしたくない時期もあること。そんなことを理解して欲しい。かなりの変わり者なのかもしれないけど、私とはそういう人間であることを、彼らに理解して欲しい。
「好き」と「理解」は違う。
「好きだけど理解してくれない人」もいるし、「好きではないけど理解はしてくれている人」もいる。
私のように変わっている人は、なかなかその両方を得るのは難しいのだろう。
9月 18th, 2012 at 7:21 PM
分かります。付き合った男性達は少なからず私に好意を持ってくれていたのは感じていましたが、理解してくれた男性(または理解しようと一生懸命になってくれたり)は一人もいませんでした。
今の私の唯一の理解者は母親くらいでしょうか?それも私が生まれてから30年以上経った今になって、やっと理解しようと努力してくれるようになりました。それでも子供時代は変わり者扱いされて「普通の良い子になれ!」が親の願望で厳しくしつけられましたが、最近は諦めの境地に入ってきたというか・・(私はメンヘラにしては珍しく両親と仲は良いのです。まあ、子供の頃はなかなか親から理解を得られず葛藤の連続でしたが・・)
唯一の理解者であり親の愛情も与えてくれるその母親がこの世からいなくなってしまったら・・と考えると、恐ろしくて夜も眠れなくなります。
9月 19th, 2012 at 10:59 PM
またもや、一般論では処理できない命題ですね。。
人生相談の真の達人(or神)に、二条さんの悩みを総ざらえ書き出したものをぶつけてみたいと思ってしまいます。。(素直になりなさいとか、そんな単純論ではどうにもならない)
私も二条さんほどではありませんが、一人の方が落ち着くけど、世の中の主流の流れはそうなってなくて、それを上手くかわせる立ち位置に居ないことに、時々苛立ちを覚えていたのを自覚させられました。
9月 21st, 2012 at 10:17 PM
憂愛さん
「理解される」ことは「愛される」よりも難しいですよね。特に「変わっている人」はなかなか理解されない。肉親でも理解してくれないのですから、ホント、難しいと思います。
お母様がいなくなったら……という悩み、とても分かります。理解者がいなくなるというのは、考えただけでも不安になりますよね。
世の中の人はこの問題にどうやって立ち向かっているのか、聞いてみたいですよね。
9月 21st, 2012 at 10:19 PM
kyotosmoetimeさん
kyotoさんも一人のほうが落ち着きますか。社交的な人はこのような心境がどうしても理解できないようで、ちょっと困りますよね。
私なんか、一人でいたいと思っているのに、たまに無性に寂しくなって人を求めたりするので、よけいに周囲は困惑するのかもしれません。