頭を下げるのがつらい。

あるドキュメンタリー番組で、男性がこんなことを言っていた。

「今まで社長をずっとやってきたから、他人に頭を下げるのが一番つらい」

この人はずっと会社を経営してきており、相手に頭を下げることは滅多になかったという。それがこの不況で会社が倒産し、転職して、平社員として頭を下げる側になった。それがとてもつらいというのだ。

正直、子供じみていると思った。この男性は五十代後半である。誰が見ても「いい歳した大人」だ。そんな人が「頭を下げるのがつらい」などと言っているのだ。内心バカにしながらこの人の姿を見ていた。

だが、よく考えれば、私も同じである。私もまた、頭を下げるのがつらいと感じている一人である。

ひきこもっていると、相手に頭を下げる機会がまずない。仕送りを持ってきてくれる父には「ありがと」とだけ言ってそれを受け取るだけだし、買い物の際には店員から一方的に頭を下げられるだけだ。ほんの短時間、働いているけど、頭を下げるような環境からは徹底的に逃げているので、そんな場面はない。

人生を振り返ってみると、「頭を下げる機会」から逃げ続けてきたような気もする。

働いていれば、相手に頭を下げなければならないこともある。だが、そんな時、私の中には、

(こんな奴に屈したくない)

という妙な意地が働いてしまうのだ。そして大抵の場合、ついに頭を下げることなく、そこから去ってきた。上司と衝突した時も、ほとんどの場合、頭を下げずに職を投げ出すという手段に打って出てきた。思えば、自尊心を守ることだけを考えてきた人生だったかもしれない。

頭なんて下げないに越したことはない。だが、頭を下げないで生きてきたということは、しかるべき人生経験を積まなかったということなのではないか。頭を下げるべき場面でそれをしなかったということが、今になってツケとして現れてきているのではないか。

もしかしたら、私やテレビに映った男性のように、「頭を下げる場面から逃げ続けてきた」という人は多いのかもしれない。特に男性にとっては、それはつらい場面だ。だが、頭を下げてこなかったということは、かえって他人からの軽蔑を招くことなのではないか。

頭を下げることは、確かにある種の屈辱であるけれど、そこから逃げるのだけはまずいような気もする。

6 Responses to “頭を下げるのがつらい。”

  1. なずな Says:

    頭をさげるのって、誰にとっても楽しいことではないですよね。だからこそ、頭を下げられる人は尊敬されるんじゃないかなあ。頭を下げられる人は、自分のプライドよりも大切なものを持っている人だと思います。あるいは心底感謝したときか。私は初めての会社に入ったばかりの頃、先輩が90度のお辞儀をしたのを隣でみましたが、自分はそんなお辞儀をしたことがなかったので、腰がどうししても曲がりませんでした。でもそのあと、心からお客様に感謝する瞬間があって、そのとき自然と頭が下の方まで下がっていました。

    この社長さんは、自分の地位に安住して頭を下げることを忘れていたから会社が潰れたのだと思います。リーダーには、部下とは別のシーンで、部下の見ていないところで頭を下げる場所はたくさんあると思いますから。それができていればこの会社は潰れなかったはずです。

    それにしても二条さんは、一見不快に感じた事柄からも内省して、相手から学ぶことができてすごいですね。

  2. 二条淳也 Says:

    なずなさん

    自然と頭が下がる時って、本当にありますよね。人生でそんな機会をあまり味わっていないので、もっと味わってみたいですね。

    自尊心が高くて頭を下げられないというのは、ある種の悲劇かもしれません。高い地位にずっといると、そうなっていくのかもしれません。

    卑屈に見えないように自然に頭を下げられるようになりたいです。

  3. なずな Says:

    卑屈に見えないようになるんじゃなくて、卑屈ではなくなるようになる、という方向性のほうを、どちらかといえばオススメしたいです。

    卑屈なくせに卑屈じゃないように見せようとしているのか、卑屈だけれどもそういう自分を減らそうとしているのかは、みる人が見ればわかってしまいます。

    その場合、自分を偽ろうとする人よりも、自分を改善しようとする人の方が好感がもてます。

    現状が同じでも、どこに目標をおいているかどうかだけで、評価は変わってしまいます。

    誰にとっても、卑屈な自分が現れるのを完全に消すことは難しいと思うんです。一生卑屈な感情とは、別れられないと思うんです。誰だって持っているものだから、その存在を偽る努力は、不要だと思いますよ。
    (人によって、その卑屈な感情の現れる頻度は違うし、現れ方もちがうので、卑屈な感情を持たない人もいるように見えているでしょうけど、みんな持っているので、安心してくださいね。)

    卑屈な自分がいるのを認めて、でもその反対でありたいと思う自分もいて、卑屈さの反動で素直になってみる。そういう繰り返しじゃだめですかね?(そもそも、卑屈の反対って、なんだろう?素直、でいいのかな?)

  4. 二条淳也 Says:

    なずなさん

    卑屈の反対は「堂々」ではないでしょうか。まあ、堂々としながら頭を下げるのも難しい話ですが。

    「ごめんなさい」ばかり言っている人他者を苛つかせます。そのへん、難しいですね。

    もしかしたら、卑屈に見えていても気にしないことが大切なのかもしれませんね。

  5. Heinrich Says:

    頭を下げるべき場面でそれをしなかったということが、今になってツケとして現れてきているのではないか。

    果たして、あなたが頭を下げるべき場面と判断したあらゆるは、結果的にすべて正しいのでしょうか?
    時を遡れないこの世界で合否は確かめられませんが、「頭を下げるべき場面」という言葉が少し気になりました。もう一つ「頭を下げないべき場面」もありますよ。

  6. 二条淳也 Says:

    Heinrichさん

    すべて正しいかどうかは分かりません。

    たぶん、誰にも分からないでしょうね。

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