人気者。

キャッチセールスとおぼしき、訳の分からない人間によく路上で声をかけられる。他の人は「逃がして」いるのに、私が通り過ぎようとすると、

「すいません! ちょっといいですか!」

と食いついてくる。よほど気弱そうに見えるのだろう。

昔からそうだった。

宗教団体、絵画、手相、アクセサリー、くじ引き……。とにかく、あらゆる種類の売人に話しかけられる。こういう人がターゲットとして選ぶのは気弱そうで物事を断れないタイプの人間だろうから、私はいかにも弱々しく映っているのだろう。不名誉なことだ。

道もよく訊かれる。

通行人から「駅はどこですか?」と訊かれることはしょっちゅうだし、「シャッターを押してくれ」ともよく頼まれる。どこに行っても嫌われ者なのに、どういう訳か、路上では大人気である。

昔からこれがイヤだった。

「押しに弱そう」と見られるのは、男子として恥ずかしいことである。物売りが声をかけてくるということは、「こいつから金を取れる」と判断したということで、正直、非常に腹が立つ。気の弱い人物であることは確かなのだけど、簡単にそれが見抜かれたということが気に入らないのだ。

私を見たら、みんなよけて欲しい。物売りは逃げだし、道に迷っている人は私以外の人に当たって欲しい。いつも「ナメられている」ので、無性にそう思ったりするのだ。

ところが先日、ある女性から、こんなことを言われた。

「二条さん。あなた、知らない人からよく話しかけられるでしょ?!」

「そうなんです」

「分かるわあ。私だって、隣に二条さんがいたら話かけちゃうもん」

真意は分からないけど、悪い気はしなかった。話かけられるというのは「ナメられている」のとは違い、実は結構光栄なことなのではないか。そんなふうに思えてきたのだ。隣に私がいて、何を話しかけるのか全く分からないけど、それは避けられることよりは良いことなのではないか。

ひきこもっていると、とにかく物事を悪いほうへ考えてしまう。避ける人間がいたら「俺を避けた」と思うし、寄ってくる人間がいたら「俺から何かを取ろうとしている」と思ってしまう。かなり歪んだ考え方だけど、私の場合、ひきこもりがかなり長期間に渡っているので、そんなふうに考えてしまうのだ。

道を尋ねられたり、シャッターをせがまれたりすることを、もっと肯定的に受け止めたい。変なセールスでない限り、近寄って来る人を拒絶しないようにしたい。

そして、今度、私に道を尋ねて来る人がいたら、逆にこう聞き返してみたい。

なぜ僕を選んだのですか、と。

2 Responses to “人気者。”

  1. なずな Says:

    二条さんは一度、「こわもて」の顔が悩み・・・、という人とお話ができたらいいですね。こわもての人がいかに悩んでいるかを聞けば、人から道を聞かれやすいことが、どれだけ幸せなことかが分かると思います。怒っていないのに怒っていると思われて友達ができにくい人が、どれだけ苦しんでいるかを。

    文章を拝見していると、1つの事象から結論を全て創りすぎているように感じます。たしかに、人のよさそうな顔をしていると、不要なセールスに声をかけられやすいということはあるかもしれませんが、そうだとしたら「結構です!」と強気で撃退すればいいと思います。あるいは、「大変申し訳ありませんが、急いでますので。」とスマートにあしらってもよいでしょう。顔は人がよさそうでも、みるからにすごい筋力をつけている人がいますが、彼からは精神力の強さを感じ取れるので、なめられることは少ないと思います。もしどうしても第一印象でなめられたくないなら(文章からはそういうこだわりが感じられますが)体を鍛えてそういう人を目指してもいいでしょう。ムキムキの筋力とまではいかなくても、姿勢のよい人は猫背の人よりはなめられにくいと思います。

    二条さんのお顔は存じ上げませんが、変なセールスに声をかけられやすいというデメリットと、普通の人からは話しかけてみたい(友達になれるかもと思われる)というメリットの両方を持っているのだと思います。たいていの物事には、デメリットとメリットの両方がありますので、それを意識しながら対処していけばよいと思います。物事を両面から眺めて対処するということですね。

    また、たしかに第一印象と言うのは大事だけれど、それで一生が決まることのことのほうが少なくて、時間の経過とともに、変化していきます。悪い印象を与えてしまったならば、良い印象を与え続けて挽回すればいいし、良い印象を与えることができたならば、それを続けられるように努力していけばよいと思います。時間が経過することを、当たり前かつ猶予があると捉えてみてはいかがでしょうか。

    私は、世の中というのは多様な価値観が存在しているおかげでうまく回っていると思うのですが、もしかしたら引きこもりの人というのは、1つの価値観しか持っていないのではないかと思いました。

    悪いほうへ考えてしまう、というのは、価値観が一つしかないから起こるのではないでしょうか。いろんなものを見て、いろんな人から話を聞くと、自然と多様な価値観の存在を認めざるを得ませんが、引きこもってしまうとそういう出口を(正確にいうと、そもそも出口が必要なほどの囲いすら存在していないと私は思いますが)失ってしまうのでしょうね。

  2. 二条淳也 Says:

    なずなさん

    自分の顔にマイナスのイメージを持っているので、接してくる人に悪意を感じ取ってしまうのかもしれませんね。

    ただ、賑やかな場所を歩いていると、訳の分からない人も寄ってくるので、そんな人には近づいて欲しくないのです。

    道ぐらいは教えても何ら害はないので、親切に接したいですね。

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