幸福に慣れていない。

今の職場は、わりとうまくいってるほうだと思う。

上司もそれなりに優しい人が多いし、短い勤務時間でも了解してくれている。同僚と接することもそれほど多くないので、ストレスも少ない。働いている時間なんて本当に短い時間だけど、それでもみんな良くしてくれている。

正直、すごく不安である。

私は幸福に慣れていない。今までずっと、嫌なことやつらいことばかりを味わってきた。だから、たまに平穏な日々が訪れると、その「ちょっとした幸福」に恐れおののいてしまう。

こんな平和な日が続いて良いのだろうか。

いつかえらいしっぺ返しが来るのでは。

そんな不安をどうしても感じてしまう。よっぽど今までの人生で幸福な時期がなかったんだなあ、と我ながら呆れてしまう。

私にとって「普通の状態」とは、村八分にされていたり叱られ役になっている状態である。それが私にとって普通の日々だった。だから、ごくたまに(今のように)誰とでもうまくいっている状態が続くと、不安を感じてしまうのだ。

小さい頃から、母親に、

「世の中はそんなに甘いもんじゃない!」

と言われて育ってきた。テストでいい点数を取ったり、水泳大会で活躍したりすると、母は必ず、

「世の中はそんなに甘いもんじゃない!」

と言って私の喜びを抑えてきた。

中年になった今でも、私は生活を楽しんだり、小さな幸せを喜んだりすることができない。楽しんだり喜んだりしようとすると、母の、

「世の中はそんなに甘いもんじゃない!」

という声が脳裏に浮かんで、

(喜んじゃだめなんだ。楽しんじゃだめなんだ)

と思ってしまう。小さい頃から十八歳まで、ずっとこの言葉を実の母親から聞かされてきたのだ。この傾向は恐らく一生続くのだと思う。

私にとって「幸福」とは「不幸が訪れる前段階」である。ちょっとでも楽しいことがあると、

(さあ、次はいよいよ不幸の番だ)

と身構えてしまう。そして不思議なことに、本当に「不幸」はやって来るのだ。

今の職場でも、いずれ嫌なことやつらいことはやって来るだろう。そして、それは私が「待ち望んでいたもの」でもあるのだ。

「不幸な状態」こそが私にとって「普通」なのだから。

4 Responses to “幸福に慣れていない。”

  1. なずな Says:

    二条さんって、本当に本当に本当にお母さんのことが好きなんですね。
    大事な人なんですね。

    だって私だったら、基本的に嫌いな人の言葉を守り続けることはありません。好きな人からもらったアドバイスは実行し続けるけれど。

    お母さんを愛する方法、「世の中はそんなに甘いもんじゃない!」という教え、「喜ぶな、楽しむな」というルールを守る以外にもあるといいですね。

    でもその呪縛がいかに強いかということもよくわかります。私のよく知る人も、そういった子供の頃受けた叱責に、その後の50年以上も縛られ続けているから。

    なぜ何倍もの時間をかけても上書きできないのでしょうか???
    たぶん、か弱い存在であったときに受けた衝撃を癒せるのは、時間ではない、別の何かなのでしょうね。

  2. 二条淳也 Says:

    なずなさん

    母が好きだからではありません。恐怖による支配です。教えに背いたら見放されるかもしれないという恐怖心から、あの教えを守っていたように思います。それぐらい母親を信頼していませんでした。

    呪縛が解ける日が来るといいですが、もしかしたら、それは母親が死ぬ日かもしれませんね。

  3. なずな Says:

    私の知る限り、相手が亡くなるということだけではその呪縛が解けることはないように思います。

    むしろ、困難になる可能性もあります。
    相手との新しい人間関係を構築するチャンスを永久に失ったかのように感じやすくなるので。

    あなたを離したくなくて、お母さんが恐怖を使って、あなたを縛りつけた。

    長い間、二条さんにはお母さんが酷使した、恐怖を使った価値観しか、掴まるべき枝がなかったのだと思います。

    他の枝に移るには、今掴んでいる手をいったん離さなければならない。

    それは掴み続けるよりも大きな恐怖を乗り越えなければならない。

    だから、今のままその枝を掴み続けていてもいいと思います。

    あなたは自由に選んでいいのです。
    あなたは、既に自由なのですから。

    私は二条さんのことを、たくましくて、勇気のある人だと思っています。

    理由は、自分自身と真剣に向き合い自分のことを見つめ続ける勇気とタフさ、自分想いを正確に表現できる知性、それを公表する勇気を持っているからです。私は二条さんの文章から、明らかにそれを感じます。

    あなたが羨ましいと眺めている、ひきこもっていない人たちにも、それができる人は、本当に少ない。

    自分の弱さを認める勇気がない。だから、相手に転嫁する人も多いですよね。

    自分から目をそらしているからこそ、ひきこもらずにいられると言えるのかもしれません。

    私は、ひきこもっているかいないかに関わらず、「自分の弱さを認めることのできる人」を尊敬します。

    私の書き込みは、あなたを苦しめてしまっているでしょうか。

    もし、そうであれば謝りたいです。
    控えたほうがよければ、教えてください。

  4. 二条淳也 Says:

    なずなさん

    私はなずなさんのコメントを不快に感じたことはありませんが、誤った解釈をされているのならそれをただしておこうと思って、あんなことを書いてみました。

    私は自分のことを肯定できるような人間ではないと思っていますが、それにしても「勇気がある」と言われると嬉しいものです。

    ひきこもってない人たちにもそれぞれの弱さがある。そうかもしれませんね。

    これからもよろしくお願いします。

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