誰にでもできる仕事。

仕事を選ぶ際に、いつも気を付けていることがある。

(これは誰にでもできる仕事だろうか?)

ということである。

私は「誰にでもできる仕事」しかしたことがない。「誰にでもできる仕事」しか、自分にはできないと思っている。ベルトコンベアーから流れてくる商品を受け取る仕事、決められた部屋をずっとモップで掃除し続ける仕事、汚れたお皿を洗い続ける仕事……。そんな「誰にでもできる仕事」しか、自分にはできないと思っている。

私には、自分の労働能力に対する徹底的な不信感がある。単調で技能を全く必要としない仕事しか、自分にはできないと思っている。だから、私は今までそんな仕事ばかりしてきた。仕事というより作業といったほうがいいかもしれない。

私は恥をかくことを極端に怖れる。難しい仕事にチャレンジしたら、大勢の前で叱責されて恥をかくかもしれないという懸念を、いつも抱えてきた。仕事が単調であればあるほど、怒られる可能性は低くなり、同時に恥をかく可能性も低くなる。だから、私はそんな単調な作業にばかり従事してきた。

だが、こんな作業を繰り返してきても、絶対に自信には結びつかない。単純労務を十年、二十年続けてきても、蓄積されるのは自分の能力に対する不信感と絶望感であり、自信が蓄積されることはない。「怒られる恐怖」から逃げ続けてきたために、私は自信を獲得する機会を失ってしまった。

ある人が、

「あなたに欠けているのは能力ではなく、自信だと思う」

と言ったが、それは当たっているかもしれない。あるいは、私は単に自信がないだけで、それなりに仕事をこなす能力はあるのかもしれない。

だが、難度の高い職場に入って、もし自分が「一番劣った人間」だったらどうすればいいのだろう。序列があれば、必ず最下位が存在する。もしかしたら、私がその最下位かもしれない。そう思うと、私は強い不安を覚える。そして、「誰にでもできる仕事」に逃げ込みたい衝動に駆られる。

これまでずっと、「誰にでもできる仕事」ばかりしてきた。そして、「誰にでもできる仕事」からも逃げ、ひきこもり生活に入った。

今は少しだけ働いているが、それでも逃げ出したい時がある。

自分自身に対する絶対的な肯定感があれば、仕事でいくら失敗しても、くじけないのだろうけど……。

2 Responses to “誰にでもできる仕事。”

  1. 馬の助 Says:

    僕もそうです。上に立ちたくありません。中間管理職(たとえバイトリーダーでも)をやれるほどメンタル強くありません。人にとっては歩いたり呼吸する程度の簡単さであっても僕にとっては無理です。40年以上、慣れようと努力してきたけど駄目な物は駄目でした。また、マルチタスクよりも単純作業を好みます。

    上に立つと(例え新入りをちょっと見るだけでも)「おい、○○!どうしてXXはちゃんと仕事しないんだ!ちゃんと見ろって言っただろ!」と言っても、例えばその部下のXXが言うことを聞かなかったら、またはXXのコミュニケーション能力が不足していて、または、XXの調子が悪かったとか、それが全部僕のせいにされるのは耐えられません。他人の責任を見る事を自分の責任として負う事には耐えられません。

    けど、そんな耐性しかない自分をありのまま受け入れるしかないと悟る事にしています。40年以上悪あがきを続けてきたのだから充分じゃないか。死ぬまでこのままでもいいじゃないか。もし変われるのならそれはそれで良し。と言うことで。

    人それぞれに耐性のレベルや耐性の方向性があるのだから二条さんも思いつめないでくださいね。

  2. 二条淳也 Says:

    馬の助さん

    馬の助さんも、単純作業を好むタイプですか。また、上に立つとそのぶんストレスも増えるでしょうから、日々の仕事がつらくなるでしょうね。私なんか、部下を叱るのも向いていない感じです。

    「死ぬまでこのままでもいいじゃないか」というのは、なかなかいい姿勢ですね。確かに、その通りかもしれません。

    自分らしさを受け入れて、自然に生きていけばいいのかもしれませんね。

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