毎日を一生懸命生きる。

「ひきこもっていて、親に申し訳ない」

ある人にこんな本音を漏らしたら、この人はこう答えた。

「毎日を一生懸命生きることが、親に対する恩返しだと思う」

その時は「ああ、そうか」と思ったのだが、この答えがかなり間違っていることがすぐに分かった。

「毎日一生懸命生きろ」と言われると、休むことができなくなる。少しでも休憩をすると「今の自分は一生懸命ではないのではないか」といった疑念が生じ、休憩することに罪悪感を感じる。

また、どれだけ頑張っても、まだ頑張りが足りないような気がして、精神的に追い詰められる。

「一生懸命」には際限がない。そのため、十時間働いても、十二時間働いても、

(まだ自分は頑張れたのではないか)

(もっと一生懸命できたのではないか)

といった不安が生じ、つねに不満足な状態になる。

「一生懸命やったかどうか」は、あくまでも自分の判断でしかない。そのため、自分に厳しすぎる人間は、どれだけ頑張っても「まだ一生懸命じゃない!」と断じてしまい、つねに不十分な感じがある。

「毎日を一生懸命生きる」という言葉の意味が、私にはよく分からない。一分の休みもなく働くことだとしたら、世界中の人間すべてが一生懸命やっていないことになり、モデルケースがなくなる。また、一生懸命生きることを厳格化したら、それこそまったく休憩することができなくなり、日常生活ができなくなる。

「毎日を一生懸命生きろ」

この言葉は、多くの人を苦しめてきたのではないか。一生懸命生きようと思えばキリがない。それこそ睡眠を摂ることすらできなくなり、結局は精神の荒廃に繋がる。「一生懸命の呪縛」は、多くの人にとって大変なストレスになっているのではないか。

一生懸命生きていないと、まずいかもしれない。

そう思い始めたら、あらゆる娯楽が楽しめなくなる。一生懸命という言葉が強迫観念のように押し寄せ、つねに自分を過酷な状態に追いやることに繋がる。

「毎日を一生懸命生きろ」

というより、

「毎日気楽に生きろ」

というほうが、精神衛生上、よっぽど好ましいことのように感じるのだが。

2 Responses to “毎日を一生懸命生きる。”

  1. hisa Says:

    いつも読ませていただいております。

    一生懸命生きる、と言うのは、「生きる」ことに一生懸命であれ、と言うことではないでしょうか。

    休まず働いたら、体を壊します。
    自分の人生を、活き活きと生きること。
    親から貰った命を精一杯生きること。

    これも、とても難しいことですが、私はそう言うことではないかと最近思うようになりました。

  2. 二条淳也 Says:

    hisaさん

    いつも読んで頂き、ありがとうございます。

    「親から貰った命を精一杯生きる」、たしかにそうかもしれませんね。生きていることが、そのまま親孝行なのだとしたら、たとえひきこもっていても、こうして生きていることには、何らかの意味があるのかな、と思います。

    ホント、難しいですよね。

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