毎日を一生懸命生きる。
「ひきこもっていて、親に申し訳ない」
ある人にこんな本音を漏らしたら、この人はこう答えた。
「毎日を一生懸命生きることが、親に対する恩返しだと思う」
その時は「ああ、そうか」と思ったのだが、この答えがかなり間違っていることがすぐに分かった。
「毎日一生懸命生きろ」と言われると、休むことができなくなる。少しでも休憩をすると「今の自分は一生懸命ではないのではないか」といった疑念が生じ、休憩することに罪悪感を感じる。
また、どれだけ頑張っても、まだ頑張りが足りないような気がして、精神的に追い詰められる。
「一生懸命」には際限がない。そのため、十時間働いても、十二時間働いても、
(まだ自分は頑張れたのではないか)
(もっと一生懸命できたのではないか)
といった不安が生じ、つねに不満足な状態になる。
「一生懸命やったかどうか」は、あくまでも自分の判断でしかない。そのため、自分に厳しすぎる人間は、どれだけ頑張っても「まだ一生懸命じゃない!」と断じてしまい、つねに不十分な感じがある。
「毎日を一生懸命生きる」という言葉の意味が、私にはよく分からない。一分の休みもなく働くことだとしたら、世界中の人間すべてが一生懸命やっていないことになり、モデルケースがなくなる。また、一生懸命生きることを厳格化したら、それこそまったく休憩することができなくなり、日常生活ができなくなる。
「毎日を一生懸命生きろ」
この言葉は、多くの人を苦しめてきたのではないか。一生懸命生きようと思えばキリがない。それこそ睡眠を摂ることすらできなくなり、結局は精神の荒廃に繋がる。「一生懸命の呪縛」は、多くの人にとって大変なストレスになっているのではないか。
一生懸命生きていないと、まずいかもしれない。
そう思い始めたら、あらゆる娯楽が楽しめなくなる。一生懸命という言葉が強迫観念のように押し寄せ、つねに自分を過酷な状態に追いやることに繋がる。
「毎日を一生懸命生きろ」
というより、
「毎日気楽に生きろ」
というほうが、精神衛生上、よっぽど好ましいことのように感じるのだが。
6月 12th, 2012 at 6:11 PM
いつも読ませていただいております。
一生懸命生きる、と言うのは、「生きる」ことに一生懸命であれ、と言うことではないでしょうか。
休まず働いたら、体を壊します。
自分の人生を、活き活きと生きること。
親から貰った命を精一杯生きること。
これも、とても難しいことですが、私はそう言うことではないかと最近思うようになりました。
6月 13th, 2012 at 2:12 PM
hisaさん
いつも読んで頂き、ありがとうございます。
「親から貰った命を精一杯生きる」、たしかにそうかもしれませんね。生きていることが、そのまま親孝行なのだとしたら、たとえひきこもっていても、こうして生きていることには、何らかの意味があるのかな、と思います。
ホント、難しいですよね。