習慣。

高校生の頃から、二十年以上続いている習慣がある。

化粧水をつけることである。

今から二十年以上前の高校生には化粧水をつける習慣はなかった。修学旅行に化粧水を持っていったのも私だけだった。風呂上がりにコットンでパタパタ顔を叩いているのがよほど珍しかったのか、「なんだなんだ」とクラスメイトたちが集まってきたのを覚えている。

当時、私の顔はかなり白かった。白いというより青かった。病弱そうで気味の悪さを感じさせるほど、青白かった。冬になると、田舎の女子高生みたいにほっぺが真っ赤になるのがとてもコンプレックスで、なにかの週刊誌に「化粧水をつければほっぺの赤さがなくなる」と書いてあって、それに従ったのだ。

高校生の男子が容貌に敏感になるのはごく当然のことだが、他の生徒たちに比べて、私はかなり外形的な劣等感が強かったほうだと思う。クラスで集合写真なんかを撮ると、明らかに私だけが異様な風貌をしているように感じられた。クラス五十人のなかで群を抜いた醜さであり、自分自身でも正視に耐えなかった。

それだけ自分の顔に自信がなかったのは、他人から沢山笑われてきたからだと思う。同年代の女の子、つまり女子高生たちは、本当によく笑う。「一体なにが面白いんだ?」と不思議になるほど、つまらないことで大笑いする。その笑いのほとんどは、深い意味はないもののようだが、少しでも笑われたりすると、それが私にとっての「嘲笑」のように感じられて、深く傷ついた。

一度、駅の切符売り場で小銭をばらまいてしまった女子高生を見たことがあった。下校途中の私は、散らばった小銭を一緒になってかき集めた。そして、集めた小銭をその女子高生に渡すと、女子高生の友達たちが「キャハハ!」と笑った。

それが妙に神経を刺激した。

女子高生の友達たちは、あるいは小銭をばらまいた生徒のドジさに笑ったのかもしれないが、あの「キャハハ」が私の風貌を嘲笑したような気がして、とても傷ついたのだ。

あの頃から二十年以上経つのに、未だに化粧水をつけている。鏡に映る私の顔は、明らかに中年男の顔である。

できれば、女子高生から笑われた時の青白い顔に戻りたい気分だ。

あの頃の顔のほうが、明らかに美しかったような気がするから。

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