他人の機嫌に敏感。
相手が今日、機嫌がいいのか悪いのか、かなり敏感に感じ取るほうである。感じ取ったその「回答」が合っているのか間違っているのか分からないけれど、相手のわずかな心理変化を、とても繊細に受け止めてしまう。
職場にわりと感情にムラがある人がいて、私に対する態度にかなり違いがあるので、その対応にとても疲れてしまう。
「お疲れさまです。こんにちは!」
とにこやかに挨拶してくれる日もあれば、こちらの質問に、
「そんなこと、書類を見れば分かるでしょ!」
と、とてもつらく当たる日もある。そのたびに、相手の態度に一喜一憂してしまい、それだけでクタクタになる。相手の機嫌など、こちらには何の責任もなく、私が考えたところでどうしようもないことなのだけれど、それをきちんと感じ取ってしまう自分がいて、本当にイヤになる。
「自分の仕事に専念すればいいじゃないか」
とアドバイスする人がいて、それはその通りなのだけど、気になっていることを気にするなと言われても、実際のところ、それは無理な話なのだ。出勤する前から、「今日はAさん、機嫌がいいかな」とか、そんなことばかり考えてしまい、神経がとても疲れてしまう。
多かれ少なかれ、みんな感情にムラがあるわけであり、平板な対応を求める私のほうが間違っているのだけど、どうしても「毎日同じ対応をして欲しい」と思ってしまう。会うたびに違う対応をされると、それによって心がかき乱されてしまい、平静でいられなくなる。そして、相手の機嫌に翻弄されている自分を見て、もっとイヤな気分になる。
ある日、Tさんという女性の上司が職場を辞めることになった。だいぶお世話になったので、最後に安いハンカチでも買って渡そうと思った。だが、買う前に、いろいろ考えてしまった。
「Tさんには、キツイ言い方をされて不愉快な気分になったことがある。ハンカチなんか買うのやめよう」
「でも、Tさんは、時にはとても優しくしてくれた。お茶やお菓子をしきりに勧めたりしてくれて、あの時はとても嬉しかった。やっぱりハンカチ買おう」
そんなことばかり考えて、ふと気付くと、Tさんの機嫌に振り回され続けた自分がいたことを知って、情けなくなった。結局、Tさんに与えられた「不愉快な思い出」のほうが勝ってハンカチは買わなかったのだけど、Tさんのちょっとした機嫌の良し悪しなんかにいちいち対応している私が、本当にスケールの小さい人間に感じられて、強い自己嫌悪を感じた。
他人の機嫌なんか関係ない。自分は自分だ。
そう思いたいのだけれど、どうしても他人の機嫌を感じってしまう自分がいる。
敏感であることは、本当に生きづらい。