破局に備えて。
お金を遣うことに、妙な抵抗がある。「父が稼いだ大切なお金」という意識ももちろんあるのだが、それ以上に、「何かあった時のために」という意識が働いて、なかなか遣う気になれない。
「お金は遣うためにあるんだ」
という人がいて、それはその通りなのだけど、どうしてもそんな心境が私のなかに兆してこない。一万円が手に入ると、「何に遣おうかな」という気持ちにはならず、「何かあった時のためにとっておこう」という気になって、すぐに蓄財の方向へいってしまう。
将来起こる破局のために、少しでも備えておこう。
そんな気持ちが、私のなかにいつもある。やがて来る破局(災害、病気、親の死など)に備えて、一円でも多く蓄えようとする気持ちが、つねにある。
私はいつも悲観的な結末を想定する。人生の先に待つものは「楽しいこと」ではなく「悪いこと」であり、その時のために、少しでも財を蓄えようとしてしまう。自分でいうのもなんだけど、人生を楽しんでいないんだなあ、つくづく思う。
こんな考えかたをするのは私だけではないようで、周りを見ていると、悲観的な人ほどケチな傾向がある。逆に、楽観的な人は、どんどんお金を遣ってしまう。「え、そんなに遣っちゃうの?」と驚くような遣いかたを、楽観的な人はしばしばする。
だが、私はそうではない。
一万円遣うにしても、その一万円札を財布から出す際、
(この一万円を稼ぐために、俺は十時間も働いたんだ)
などと、どうでもいいようなことを想起してしまい、なかなか出費に踏み切れない。楽観的な人は、
「お金がなくなったら、また稼げばいいや」
と思ってどんどん遣うのだが、そんな人が本当に羨ましく思える。お金を遣うことは人生の楽しみの一つであり、それを味わっていないという意味では、私は「悲しい人」である。
十万円もらっても、百万円もらっても、私は「何かあった時のために」という理由で、貯金するのだと思う。それはなんだか、とても寂しい遣い道のように感じる。
将来、「破局の時」は本当にやってくるのかもしれない。そして、その時、私は「やっぱり貯めておいて良かったなあ」と思うのかもしれない。
でも、たとえその時後悔しても、今この瞬間を楽しむために散財したい自分がいる。
5月 3rd, 2012 at 8:35 PM
二条さんのブログ、興味深く拝見しております。
が、続けて拝見しておりますと、どうにも腑に落ちない部分、ご発言の統一性に欠ける部分やロジックのすり替えをなさる部分を感じます。
例えば、去年のクリスマスには3万7千円も散財しましたでしょ?
http://www.futoko.info/zzblogd/?p=362
>たとえその時後悔しても、今この瞬間を楽しむために散財したい自分がいる。
と仰られても、既にやってんじゃんと思うのですが?
それはさておき。
>お金を遣うことは人生の楽しみの一つであり、
って思う事の方が哀しいと思いますよ。
お金はあくまで、物品やサービスと交換するための道具に過ぎません。
まず、自分がやりたい事があってそれに費用がどれだけかかるかによって必要なお金の額が出てくるものでしょう。
お金を使う事が人生の楽しみって、金に使われてるだけにしか思えませんよ。
5月 3rd, 2012 at 9:02 PM
あと、もう一つ思ったのが、ケチと倹約は違いますよ。
5月 4th, 2012 at 12:27 PM
やめろ!その貯金無駄になる!今は出来るがいずれ出来なくされる!もう一つ世界経済システム崩壊中だ!今の札が紙くずになるのは時間の問題だ!だからやめろ!
5月 5th, 2012 at 1:33 PM
悲観的な性格ですが、無駄遣いばかりしている私が通りますよ・・(笑)
目の前の快楽に飛び付いてしまうだらしない奴な上に、その癖未来を心配してて「お金を使ってても楽しめない」という最悪のパターンです。
前のコメント返しのブログ更新頻度ですが、基本私は気まぐれ更新をモットーにしているので「頑張って」と言われるのはどうもプレッシャーで・・。
あ、でもたまには二条さんがコメントくれるのでしたら私も頑張って頻繁に更新するようにしますよ!(笑)
5月 6th, 2012 at 3:26 PM
安室怜二さん
こんにちは。
安室さんのおっしゃる通り、確かに去年のクリスマスは散財しましたが、それはあくまでも「例外的な事態」であり、普段の私は極めて吝嗇(りんしょく)です。
>お金を遣うことは人生の楽しみの一つであり、
って思う事の方が哀しいと思いますよ。
お金はあくまで、物品やサービスと交換するための道具に過ぎません。
まず、自分がやりたい事があってそれに費用がどれだけかかるかによって必要なお金の額が出てくるものでしょう。
お金を使う事が人生の楽しみって、金に使われてるだけにしか思えませんよ
私はそうは思いません。お金を遣うことは、間違いなく人間にとって「楽しみ」だと思います。安室さんには安室さんなりの意見があるでしょうし、私には私なりの意見がある。それでいいと思います。お金を遣うことは「社会に参加している感触」を味わえますし、買い物という行為でしか味わえない悦楽もあると思います。
>あと、もう一つ思ったのが、ケチと倹約は違いますよ。
これも、見る人によっての違いであり、見る側がそれを「ケチ」だと思えば、それはケチなのです。十円を出し渋って、品質の悪いほうの大根を私が買った。それは私にとっては「倹約」ですが、それを見たAさんにとっては「ケチ」に映ったかもしれない。ケチか倹約かは、見る人によって変わるのであり、その人なりの価値観でいいと思います。
それにしても、安室さんは私のブログをよく読んでくれているのですね。
本当にありがとうございます。
5月 6th, 2012 at 3:27 PM
RPGさん
なるほど……。
5月 6th, 2012 at 3:39 PM
憂愛さん
悲観的だけど無駄遣いしているというのは、憂愛さんらしい、とても微笑ましい姿ですね。無駄遣いを極端に怖れて、しみったれた遣いかたばかりしている私にとっては、憂愛さんのようなお金の遣いかたは、なんだか憧れます(笑)
「目の前の快楽に飛びついてしまう」という言葉、とても共感できます。私もまた、面白くもないような本に衝動的に二千円出したり、喫茶店で八百円のコーヒーを飲んで自爆することがあります。お互いさまですかね(笑)
応援がプレッシャーになっていたら、ごめんなさいね。
実は、何度も憂愛さんのブログにコメントしようとしたのですが、コメントすると、アメーバのペンネームが出てしまい(私はアメブロもやってる)、どうもうまくいきません。もともとパソコンが苦手なので、設定のしかたも分かってないんです(笑)。ブログ「高齢ひきこもり」も、設定はすべて詳しい人がやってくれたほどです。
ただ、憂愛さんのブログは、ほぼ毎日チェックしていますよ(と、またプレッシャーをかけちゃう)。
内面を記述したブログはとても価値があるものだと思います。
恥をさらすことで誰かが元気になるなら、それでいい。私はそう思ってブログを書いています。
憂愛さん、無理しない程度に、更新して下さいネ。
ストレスにならない程度に……。
4月 4th, 2013 at 8:06 PM
アメーバの方は、一度ログアウトしたあと、コメントを書けば、
アメーバのペンネームは出ないと思います。
けど、またログインしなければならないので、不便ですけど。