もうすぐ母の日。

小学校四年生ぐらいの時だったと思う。家族でデパートへ行った。みんなで一階のジュエリー売り場を見ていると、手頃な価格のネックレスを見つけた。

しばらくそれを見ていると、隣にいた兄が、こっそり私に言った。

「母の日に、お母さんにこれを買ってあげようよ。二人でお金を出し合って」

すばらしい提案だと思った。母の日に息子二人からネックレスをもらったら、きっと母は喜ぶに違いない。幼い私の脳裏に、飛び上がらんばかりに喜ぶ母の姿が浮かんだ。

それからは、もうワクワクして眠れなかった。

(あのネックレスを渡した瞬間、お母さんはどんな顔をするだろう?)

そう思うと、いてもたってもいられなかった。

そして、あまりにも興奮が高まってしまった私は、兄から「絶対に言ってはだめだ」と言われていたのに、つい母にその計画を漏らしてしまった。

「あのねえ、お母さん。僕とお兄ちゃんで、母の日にネックレスを買ってあげることにしたんだ!」

そう告げた瞬間、母は大声で私に言った。

「よけいなこと、しなくていい!」

背筋が凍り付くような恐怖を覚えた。そして次の瞬間、とても悲しくなった。

母の喜ぶ顔が見たくてそんな計画を立てたのに、どうしてこんな怒りをかうのか、正直、まったく分からなかった。母は「自分を喜ばせようと演出する人」を極端に嫌うから、きっとそれを感じ取って怒鳴りつけたのだろうが、幼い子供には、とてもひどい仕打ちだったと思う。小学生の息子二人が母の日にプレゼントを買う計画を立てた。それに怒りを感じる母親の気持ちが、私にはまったく分からなかった。

私は家の手伝いをまったくしない子供だったから、「プレゼントを買うぐらいなら、お手伝いをしてちょうだい」といった意味なのかもしれないが、それならそれで、もっと別の言いかたがあった筈だ。

あれから長い月日が経ったのだけど、未だにあの時のショックから抜け切れていない。

年老いた母は、最近になって、

「お前は私の誕生日や母の日に、何もくれないね」

と言う。数十年前のあの出来事を、完全に忘れているのだろう。

手を振り払った側はそんなことはすぐに忘れるが、振り払われた側は、いつまでも覚えているものである。

もうすぐ母の日だが、「お母さんを喜ばせるためにプレゼントを買おう」などという気持ちは、私の中にまったく兆して来ない。母の日が来るたびに、あの時の怒鳴り声を思い出してつらくなるだけだ。

この文章を、何人の母親が読んでいるのか、私には分からない。

だが、もし我が子からプレゼントを差し出されたら、それがどんな物であっても、喜んであげて欲しい。贈り物を拒否されるということは、子供にとって大変つらいことなのだ。

もうすぐ母の日。

あの時、私を怒鳴りつけた母に、「それ相応の報復」をしたいと思っている自分がいる。

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