「なんとかなる」の法則。

「こんな中年になっても、ひきこもっている。絶望的だ」

そう漏らすと、多くの人がこんなことを言う。

「心配しないで。なんとかなるよ」

とても無責任な発言だと思うが、その反面、とても嬉しい気もする。「なんとかなる」という言葉には、言いようのない明るさが備わっている。

どういう訳か、私の周りにはこの言葉を発する人が多い。父がその筆頭だが、それ以外にも、かなり多くの人がこの言葉を発する。

周りを見渡してみると分かるのだが、「なんとかなる」と言っている人は、本当になんとかなっている。逆に、「もうダメだ」と言っている人は、本当にダメになる。これは実に不思議なことだ。

人間は思っていることを現実化するという。この説が本当なのかどうか、私には分からない。だが、「なんとかなる」と言っている人が本当になんとかなっている姿を見ると、さすがに信じざるを得ない。実際は「なんとかならなかった人」もいるのだろうが、私の周囲にはそんな人がいないため、「なんとかなった人」を信じるしかない。

「なんとかなる」には、現実的根拠がまったくない。ただただ、合理的裏付けのない楽天的発想のもと、無責任にこの言葉は発せられる。

だが、どうだろう。この言葉の温かみは! 私はなにごとも悲観的に捉える人間なので、楽天的な人が「なんとかなるよ」と言ってくれると、本当に嬉しくなる。「なんとかなるよ」と言われたところで経済状況が好転する訳でもなく、年齢が若返る訳でもないのだが、それでもとても温かい気持ちになる。悲観的な人が「そのうち大変なことになるぞ」と言うと本当に暗い気持ちになるが、楽天的な人が「なんとかなるっしょ」などと言うと、「コイツ、無責任だなあ」と思いつつ、笑ってしまう。やはりこの言葉には、何らかの魅力があるのだ。

楽天的になりたい、楽天的になりたいと思いつつ、ついにそれを獲得できないまま、中年になった。

だが、もしかしたら、まだ手遅れじゃないかもしれない。

身の回りに「なんとなかる」と言ってくれる人がいる以上、私もその楽天的境地に立てるかもしれない。

ひきこもりの皆さん。

あなたの人生も、実はなんとかなるかもしれませんよ!

2 Responses to “「なんとかなる」の法則。”

  1. masaru Says:

    なんとかなる。

    僕も昨日、姉に「なるようになるよ」と言われて、暖かい気持ちになれました。

    僕は家で仕事をしていますが、統合失調症をして、ひきこもりと対してかわりません。

    僕もいまは働くことがとても怖い方です。淳也さんは、でも頑張られましたよね。

    30数こも仕事にチャレンジしたなんて、僕には正直尊敬できる勇気です。

    僕も年を取ることの絶望感。心の病気になってからの無駄にした5年間を、とても悔いています。

    でも、自分のベストだったと思っています。

    僕には養う家族がいるので、どこかでまた戦う覚悟を持たなくてはいけません。

    いや、もちたいなあと思います。

    ブログをたくさん読んで、淳也さんの気持ちに共感できることがたくさんありました。

    淳也さんの文章がとても読みやすく、上手だなあとも思いました。

    薬を飲みながら、どこでその覚悟を作ろうかと考え中です。

    自分のなかに、強い自分もいるはずだと思います。

    「なんとかなるさ」って、根拠がなさそうで、実は人間の強さを信じた真理かもしれませんね。

  2. 二条淳也 Says:

    masaruさん

    楽天的な、良いお姉さんに恵まれましたね。「なるようになる」。ホント、その通りですね。

    ご自宅で仕事をなさっていますか。羨ましいですが、他者との接点がないという点では、つらいかもしれませんね。

    職歴の多さが示すように、私も自分なりに頑張りました(どこも長くは続きませんでしたが)。

    masaruさんが「ベストを尽くした」ことは、ご自分が一番よく分かっていると思います。誰がなんと言おうと、自分がベストを尽くしたと思えば、それで良いと思います。私も、masaruさんがベストを尽くしたと思っています。そうやって、どんどん自分を肯定していきたいですね。

    共感できる箇所があって、良かったです。ブログの性質上、どうしても読み手に暗い印象を与えてしまいますが、「事実を書く」ことを一番重視していますので、その辺をご理解の上、またヒマがありましたら遊びに来て下さい。

    masaruさん、きっとなんとかなりますよ!

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